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当ブログのSSは女性への暴力行為(いわゆるリョナ的な)の描写を含む場合があります。嘔吐や流血などの表現に現実を見失う方は閲覧をご遠慮ください。 登場人物などは全てフィクションです。存在するわけがありません。

●お知らせ(6/1)
・短編「赤髪メイジのキティ」

目次

★赤髪メイジのキティ

「壁役は任せてくれ。この磨き上げられた剣と盾で、皆を守ってみせると胸を張る熟年ナイト。
「真っ先に倒したいヤツがいたら教えてくれ。百発百中の矢で射貫いてやるからさ」と豪語する青年アーチャー。
「怪我をしたらわたしにすぐおっしゃってください。でも、無理はしないでくださいね」とほほ笑む少女プリースト。
 
 仲間の三人が、あっという間に倒れた。
 無様に転がっている。無様としか言えない。何の抵抗もできずにやられてしまった彼らを見て、魔法使いのキティは思わず、
「あんたらバッカじゃないの!? あっちにはシーフがいるんだから、トラップ張ってるのは当たり前じゃん! なに真正面から突っ込んでんの! バカバカ! バーカ!」
 と声を荒げて罵倒した。
 すれ違う男性は思わず目で追ってしまうほど可愛らしい顔立ちで、背も低いから、まだ十代になったばかりと紹介されても納得するだろう。
 いかにも魔法使い然とした紺色のローブはミニスカタイプ。両足は同じく紺色のオーバーニーソックスに包まれていて、肌の露出はほとんどない。
 ショートヘアは燃えるように赤く、そして、先ほどの遠慮のない罵倒からして、性格はキツめだ。
「つーかアーチャーとプリースト! ナイトと肩並べて前進してどうすんの? ウオオオオとか叫んで、何がしたかったのあんた達!」
 どう見ても距離を取ってサポートするのが得意のはずなのに、気でも触れたように前へと突撃していった二人を見下ろす。いや、見下す。
「す、すまない。矢だけでも戦えるか試したくて……」
「ごめんなさい、新しく手に入った無駄に攻撃力の高い杖で殴りたかったのよ……」
「アホかマジで焼くわよ!?」
 幼い顔にはっきりと怒りを浮き上がらせている。同年代の少女でもこんな表情にはなるまい。
 また、すぐそばでくねくねしている甲冑姿の男がひとり。
「キ、キティたん! ボクも! ボクも罵ってほしいですゥ! ナイトのくせに守れなかったボクを、ハァ、汚い言葉で責めてぇ!」
「うわ気色わるっ! オッサンのくせに黄色いあげんな! 動くな! つーか最初の時とキャラ違いすぎでしょ!」
 今度はあきらかな嫌悪感で満ちた顔になる。キティは歯を噛みながら、杖をミシリと握りしめた。 本気でぶっ叩いてやろうかと思ったところ、がしゃり、と鎧がこすれる音が聞こえる。この気色悪い熟年ナイトのものではない。
 あー、とキティは心底面倒くさそうに、そちらに振り返った。
 十数歩先にいるのは、いかにもキザっぽいナイト、体つきがたくましい少年顔のファイター、やけに肌を露出しているセクシーなメイジ。あと一人シーフがいるはずだが、どこかに隠れているのだろう。
 キザナイトがやたら白い歯を見せて笑った。
「ハッハッハ。おやおや、もしやと思ったが、本当に罠に引っかかっていたとは。ナイトはまだ分かるが、なぜ後衛職の二人まで麻痺しているんだ?」
「聞かないであげて。バカなだけだから」
 キティは少し距離を離しつつ、キザナイトに答える。
「先輩、油断しちゃ駄目っすよ。あえて罠をくらっておいて、油断させるつもりかもしれないっす」
 と、真面目そうな少年ファイターは倒れている三人を注視した。。
「うふふふふふ」
 お姉さんメイジは謎の含み笑いを繰り返すだけで意味不明だ。このパーティも頭のネジがずれている印象がある。
 キティはロリ顔に苛立ちを貼り付けて、あからさまに大きな舌打ちをした。
「まったく、まともなヤツいないんかこのゲームは!」 
 
 近年のオンラインゲームの発展はめざましく、皆が思い描いていた未来はすでに実現されているといっても過言ではない。
 特に、つい先日発売された『シンクロファンタジーオンライン』はゲーマーのみならず、多くの人間を魅了した。
 値段こそ張るものの全ての周辺機器を揃えれば、自分の体がゲームと一体になることができる。バーチャルリアリティなんて言葉すら生ぬるいほどで、五感も思いのまま。まさに「異世界に召喚された」という昨今のライトノベルのような感覚が全身が味わえるのだ。
 キャッチコピーは「あなたがキャラクターになる」というシンプルなもので、まさにそのワードだけでこのゲームの醍醐味を表している。
 キティのプレイヤーも相当なゲーマーで、特にオンラインゲームには糸目がない。ただし言動から分かる通り性格に少々難ありなのでほとんどフレンドができず、ほぼ一人で遊び続けている生粋の“ぼっち”プレイヤーであった。
「これだからパーティはイヤなのよ。メンドくさいから!」
 ではなぜそんな彼女がパーティを組んだかというと、このバトルコンテンツで勝利すると限定報酬が貰えるからである。
 それはソロでは手に入らないレア装備なので、どうしても欲しかったのだが、パーティでしか参加できないコンテンツなので今まで敬遠していたのだ。
 しかし根っからのゲーマーである彼女はレア装備と聞くといつまでも放っておけず、こうして一億歩くらい譲歩して、メイジを求めているパーティに入ってやったのである。
 それがこの有様。
キティは三人の頭上に現れている『麻痺』というログを殴り飛ばしたくなった。実際は手が通り抜けるだけなのでやらないけど。
「ハッハッハ。いやいや、ハズレパーティを組んでしまうことはよくあることさ。今回は運がなかったと思って諦めるのが賢明だよ」
 喋り方がいちいちイラッとくるが、キザナイトの言うことはもっともだ。
 このバトルコンテンツは四対四の対人戦で、勝利する方法は二つある。
 相手パーティを全滅させるか、相手自陣に配置されているオブジェを破壊するか――後者は時間がかかって面倒だし、そもそもオブジェを破壊するということは相手パーティを突破しておく必要があるため、実質全滅させることが勝利条件といえる。
キティ側はすでに三人が一時的にダウンしている。だから一対四。麻痺や毒といった状態異常はある程度時間がたてば自然回復するが、パーティ戦においてそんな時間を与えてくれる相手がいるわけもない。
 さらにあちらは高火力を手軽に出せるメイジがいるし、どこから急所を狙ってくるか分からないシーフもいる。
「あーそうね、もう絶望を通り越して地獄って感じ。でもさー、あたしは諦めるって行為が大っ嫌いなのよ」
 悪い癖というか、キティはいつもそうだった。
 オンラインゲームは基本的に、複数人とコンテンツを楽しむことが醍醐味のゲームだ。
 だがキティは、ずっと、いつでも、いつまでも、一人でプレイしてきた。パーティじゃないと絶対倒せないようなボスモンスターでさえ、負けたとしてもそこで諦めずに、攻略するために挑戦し続けてきたのだ。
 表情を引き締めているキティに、キザナイトはさらに白い歯を見せつける。
「ハッハッハ。これはこれは、面白い冗談だね。メイジ一人だけで我々に勝てるとでも?」
「やってみないと分かんなくない? それともなによ、そっちこそ。あたしを諦めさせようとしてるのって、本当は勝つ自信がないからじゃないの?」
 あえて挑発するようにキティはにやりと笑う。
「ハッハッハ。なかなか、強気なお嬢さんだ。いいだろう。ここは譲歩して一人ずつ……」
「ちょっと、なに勝手に決めてんの? ていうか甘く見ないで。それに一人ずつとかメンドくさいでしょーが。あんたらまとめて相手してやる」
 杖をくるりと一回転させて、三人へ突きつける。
 はっ、と少年ファイターが目を見開いて、
「先輩先輩! こいつ絶対何か企んでる! 正々堂々なんか捨てて、ここはリンチでフルボッコにするのが賢明っす!」
「ハッハッハ。タイマンが得意なはずのファイターとは思えない発言だね。いやしかし僕も同意見だ。キミもそうだろう?」
「うふふふふふふふ」
「賛成って言ってるっす!」
「いやただ意味もなく笑ってるだけでしょそこのエロメイジ」
 やはりあちらのパーティも頭のネジが飛んでいる、とキティはため息を吐いた。
 とにかく、自らギブアップを宣言するのは御免だ。そんなことはプライドが許さない。
「だ、駄目だキティ……! お前ひとりでは……!」
「そうよ……! 後衛職が一人でパーティに挑むなんて無茶よ……!」
「んほぉぉぉ! キティた痛いっ! いたたたたた! つ、杖で叩くのはやめてぇッ!」
「開幕全力ダッシュしたあんたらに言われたくないっつーのよ! あとそこのキモナイトは口開くな!」
 もういい、関わらないでおこう。キティはいつも通りソロプレイの気分で、相手パーティを見据えた。
 壁役のナイト、攻撃役のファイター、範囲攻撃のメイジ、そして今ここにいないが俊敏性の高いシーフ。バランスの取れたパーティだ。ソロのメイジではどうあがいたって勝てる要素なしである。
 だが、だからこそキティは燃える。ソロで攻略不可能とされたダンジョンやボスをクリアしてきたのだ。
「ハッハッハ。では参ろうか!」
 キザナイトが抜刀した瞬間、キティは――――
全速力で逃げ出した。
「あっ! 逃げた! あいつ口だけっすよ!」
「ハッハッハ。ここはちょっと狭いからな。メイジが得意とする場所に移動するんだろう。しかしこちらにもメイジがいるからな。ともかく追いかけるとしよう」
 まだ床で麻痺し続けている三人を一瞥することもなく、彼らはキティの後を追い始めた。
 
 
 キザナイトの予想は正しく、フィールド内でも特に開けた場所でキティは足を止めていた。軽く息を弾ませながら、追いついてきた相手パーティに振り返る。
「いた! あそこっす!」
「ハッハッハ。もはや言葉はいらないだろう。このまま仕掛けるぞ! まずは退路を塞ぐのだ!」
「うふふふふふふ」
 目配せされたお姉さんメイジが、笑いながら杖を掲げた。広いフィールドであればメイジがまず行動する――キティ狙いはそれだった。
「かかった!」
 お姉さんメイジが呪文を唱える瞬間、彼女の足元でカチリ、とスイッチのような音。
 直後に爆発したように煙が吹き上がり、一瞬で彼女を包み込んだ。
「わっ!? な、なんだ!?」
 少年ファイターが驚愕していると、次第に煙が薄れていく。
 お姉さんメイジは立っておらず、床で寝息を立てていた。杖を抱き枕にして。
 彼女の頭上には、『睡眠』のログが表示されている。
「こ、これはマジックトラップ……! 先輩、あいつメイジなのにサブジョブにシーフ付けてやがるっす!」
 このゲームは、いわゆるメインジョブの他に、他プレイヤーとの差別化をはかるべくサブジョブというシステムが導入されている。
 性能はメインの半分以下になってしまうが、メインの欠点を補うかたちで設定するのが定石だ。
たとえばプリーストならメイジをサブにして、治療だけでなく攻撃魔法も扱えるようにするとか、そんな具合である。
 キティはというと、常にソロであるため、ダンジョンの攻略にはシーフのスキルがほぼ必須だったのだ。仮に性能半分でも、罠の解除や隠し宝箱の発見、はては敵モンスターの察知がソロで可能になる。
「いやー、こんな簡単に引っかかるなんてね。メイジから潰すのは基本でしょ。ソロ志向のあたしですらパーティの立ち回り分かるってーの」
「ハッハッハ。これはなんとも、異色なメイジだ。だがしかし、僕のサブはプリーストでね。状態異常はすぐに解除できるのだよ。さあ起きたまえ」
 キザナイトが治癒魔法を唱えようと口を開いた。が、今度は彼の足元から煙が吹き上がる。
 そして大きないびきをかいて爆睡する姿が現れる。
「アッー! 先輩ィ!」
「あ、あんたらホントにバカ? 攻撃魔法の罠を張ってたんだから警戒くらいしなさいよ」
 本当は何かしらでダメージを与えた後の治癒魔法で引っ掛けるつもりだったのだが、もう二人をダウンさせてしまった。
「くそっ、可愛い顔をして外道なやつ! けど俺は魔法使えないからカンケーないな!」
「あはっ、ただの脳筋がメイジに勝てると思ってんの? この距離で」
 ファイターは実装されてるジョブの中で極めて物理攻撃力が高い。見た目通り格闘で相手を打ち倒すのが得意だ。
その反面、魔法属性の防御面はからっきし。接近される前に攻撃魔法を一発当てれば終わりである。そしてこの少年ファイターは見るからにアホっぽいので、キティはもう勝利を確信していた。
「メンドくさいから広範囲魔法ぶちかましてあげる! 消し飛んじゃえ!」
 キティは杖を振り上げ、単体ではなく複数の敵を攻撃するための呪文を唱え――
「この瞬間を待っていたわよ……!」
「――ッ!?」
 囁くような声は真後ろから。しかし、すでに詠唱段階に入っているせいでただちに行動をキャンセルすることができず、何者かの攻撃を受け入れるしかなかった。
「あッ……!?」
 首にチクッ、と針に刺されたような痛み。
 マズった、とキティは瞬時に理解した――と同時に、即座に反撃の魔法詠唱を完了させていた。
「“ファイアボム”!」
 轟音が弾ける。
彼女とその背後にいる者、両者の間に小さな爆発が生じた。胸のあたりでモロに爆発を受けた襲撃者は、くぐもったうめき声と共に吹き飛ばされた。
「ちっくしょ、シーアサか……! 通りで探知できなかったわけね……!」
 がくりと膝を着きつつも、首元を押さえながらキティは吹き飛んでいった相手に視線を移す。
 十数歩ほど離れた場所で転がっているのは、相手パーティの最後の一人、シーフ職の少女だった。サブジョブはアサシンで間違いない。シーフが好む組み合わせジョブで、俗にシーアサと呼ばれる。
 吹き飛ばされた女シーフは、少し焦げた胸元を押さえながら立ち上がった。
「あいたたた……! ふふ、そうよ! 実は最初からのこのフィールドで待っていたの! アサシン初期スキルの“霧隠れ”は便利ね! さすがチートスキルと言われるだけあるわ!」
「おいッ! 最初から待ってたなら、先輩たちが眠らされる前になんで助けなかった!」
「…………ほら、敵をあざむくにはまず味方からと言うじゃない?」
「最初の間はなんだよ!? あとそれ使い方ちょっと違うと思うぞ!」
 こいつらよくパーティ組めたな……とキティはどうでもいい疑問を抱いたが、現状の危機に冷や汗をかいていた。
「うくっ、しびれる……!」
 アサシンは暗殺に長けたジョブだ。特にシーフのサブジョブとなれば、攻撃の厄介さに拍車がかかる。本来ならHPが瞬時にゼロになってもおかしくないのだが、キティの判断力の良さが功を奏した。
 が、おそらくシーフの武器に麻痺属性が付与されているのだろう。ダメージ自体は軽く済んだが、全身の筋肉がビリビリと突っ張ったようになっていて、うまく体が動かない。
 麻痺状態になると、治癒するか自然回復を待つしかない。キティたった一人の状況では――
「まあでも、グッジョブ。これで勝ったも同然だな」
 少年ファイターは屈託のない笑みを浮かべてサムズアップ。
 だがキティは、「は?」と煽るように彼を睨んだ。
「なに、言ってんの。まだバトルは終ってない。言ったでしょ。あたしは諦めるのが大っ嫌いだって」
「おいおい、こんな状態でもまだギブアップしたくないってか? 無駄なことやってないでさっさと――」
「そっちこそ、メイジ一人になに手こずってんの? あはっ、あたしが女キャラだからって遠慮してんの? 根性なしのガキ。ゲームなんかやめて寝とけっつーの」
 ゲームのキャラクターで見ればキティの方が年下だが、プレイヤーの年齢は判断がつかない。
 が、少年ファイターはどうもそれが気に障ったようだ。
「こ、このやろ、ガキって言ったかお前! もう俺はガキなんかじゃねーよ!」
「ああ、そう? じゃあ、随分と“ガキみたいな大人”ね。女一人ヤれないくせに大人ぶってんじゃねーわよ」
「て、てめぇ……!」
 この程度の煽りに分かりやすく反応するんだから、プレイヤーもはまだまだ子供で間違いないだろう――キティはあからさまにため息を吐いてやる。
「いいぜ、後悔すんなよ? もう許してやらねーから」
「いちいち前置きしなくていいって。おどおどしてんのバレバレ」
 ますます眉間をぴくぴくさせる少年ファイター。
 彼は動けないキティの胸倉を掴んで無理やり立ち上がらせると、空いている拳をギリギリと握りしめた。
「こんのやろ! ……っらァ!!」
 一瞬ためらう素振りを見せたが、少年ファイターの拳はキティの腹部に飛んだ。ミニスカローブの中央に拳が埋まる。
 ぼふっ、と布団でも殴りつけたような音が響いた。
「ふッぐ……!」
 少女の目が見開かれ、体がくの字に折れる。
 メイジは軽装になりがちで、装備に物理耐久がほとんど無い。そもそも防御力に乏しいジョブだし、攻撃力がものをいうファイターに殴られてはひとたまりもない。
 胸倉が放されると、そのまま地面へと倒れ込んだ。
「ぅっ、げ、ぇほッ! げほっげほッ…………!」
 まだ麻痺状態が続いているため、手足が思うように動かせない。腹の痛みを押さえこむこともできず、彼女はだらりと弛緩した体をぴくぴくと痙攣させるしかなかった。
「どうだ、おい……! 俺だってな、女の腹を殴るくらいできんだよ!」
 胸を張って言えることではないと思うが、少年ファイターは興奮した様子で言い放つ。お仲間の女シーフはというと、肩をすくめて呆れていた。
「げほッ、ぁはっ、あっはははは」
 なんとか仰向けに転がったキティは、なぜだか笑い声を洩らした。
気味が悪いのか、少年ファイターは少し後ずさる。実際異様な光景だ。体が痺れ、思い切りボディブローをくらった少女の方が、笑っているのだ。
「なに、もう終わり? あたしのHPまだ残ってるんだけど?」
「なっ……お前、もう無駄なことするなよ……!」
「無駄ぁ? ふざけたこと言わないで。まだ負けてないでしょーが!」
 転がっている杖を掴んだ。ロリ顔魔法使いは麻痺という状態異常になりながらも、杖を支えにゆっくりと立ち上がろうとしている。
 オーバーニーソックスに包まれた細い脚がぷるぷると震えて今にも崩れ落ちそうだが、瞳の力強さはいまだ失われていない。
「やるだけ無駄? 往生際が悪い? ふん、上等よ。それをひっくり返すのが気持ち良いんだから……!」
 彼女はいつもそうやってゲームをプレイしてきた。
 一度は考えたことがないだろうか? RPGやアクションゲームのいわゆる『負けイベント』は、どうにかすれば勝てるんじゃないか、と。
 キティは常にそんな思考の持ち主で、そして自ら実行してきた。システムの穴を突いたり、時にはバグを利用してイベントをクリアすることだってあった。
 だがMMOというのはそうもいかない。確認された不具合は修正されるし、バグを利用した攻略は、不正利用としてアカウントを停止される可能性すらある。
 だから彼女は、真っ向からこのゲームに挑むしかなかった。パーティを組むことが推奨されるオンラインゲームにおいて、ソロでどこまでやれるのか。
「ソロはパーティに勝てないなんて、どこに書いてあんの? ねえ? できるわけないって、勝手に決めつけてんじゃないわよ……!」
 細々とした声量ながらも、心臓を突き刺すような声は少年ファイターと女シーフを動揺させていた。
 が、女シーフはジョブの基本能力で、キティの行動に素早く気づく。
「ッ……! 止めて! そいつ、杖の先で呪文を書いてるわ!」
 ちっ、とキティは舌打ちし、少年ファイターが即座に行動する。
「あっ……! やらせるか!」
 リーチの長い脚が、少女の杖を蹴り飛ばす。
 支えを失ったキティが倒れ込むより先に、少年ファイターの固い拳が、ボディアッパーとなって少女の腹部を突き上げた。
「ごぶッ…………!!」
 肉を打ち付ける音と、低い呻き声。同時に、キティの頭上に『クリティカルヒット!』のテキストが浮かび上がった。
 まだ十二、十三歳程度の体格でしかない彼女は、メイジゆえ物理的な防御力も薄い。少年とはいえたくましい腕から放たれる拳は、柔らかな腹筋に完全に埋まり込んでいた。
 くの字に折れた細身な体が、ボディアッパーで強引に宙へ持ち上げられる。メリメリとした音が体内から響き、キティは全身をびくりと痙攣させた。
「っ、ぁ、かはッ……ぁ゛っ……!」
 横隔膜が圧迫され呼吸が止まり、ひくひく悶えながら舌を突き出している。滴り落ちていく唾液の筋が、妙な色気を醸し出していた。
「よし……! クリ入った!」
 少年ファイターが言いながら拳を引き抜く。
支えを失ったキティはどさりと地に落ちる。ようやく麻痺が回復したため、なんとか腹部を抱えることはできたが、呼吸困難な状態が続く。
「終わりだろ! ファイターのデバフなしパンチなんだ……メイジならもうHPが……」
 少年ファイターはしかし、表情をさらに曇らせた。
 いまの攻撃は、確かに入った。クリティカルヒットした。少女はメイジで、物理的な耐性はほぼ皆無と言っていい。
 それなのに。
「げほッ……! かはッ……! はあ、はあ゛ッ……!」
 それなのにキティは、また立ち上がった。なんとか酸素を取り込み、荒い呼吸を繰り返している。
「なんでだ……! メイジが、ファイターの攻撃を食らって無事なはずが……! お、おい! なんか分かるか!?」
 優位に立っているはずの少年ファイターは女シーフに視線を飛ばす。
「ダメージは入ってるわよ! でも、まだゼロじゃない!」
「んなバカなことがあるか! 直接攻撃が二回入ってんだぞ? しかもこいつは防御バフもかけてないのに……!」
「……いや、まさか。ちょっと待って、“調べる”!」
 女シーフの両目が、わずかに青い色を帯びた。これはシーフ特有のスキルで、相手の具体的なステータスを可視化することができる。すでにバトルは終盤に差し掛かっているからほとんど無駄ではあるのだが、今回だけはあまりにも状況が異常だった。
 ぜえぜえと肩を上下させるキティの周囲に、いくつかのウィンドウが展開された。彼女のステータスが数値となって表示されている画面である。
 それを見た少年ファイターと女シーフは、あんぐりと口を開いた。
 HPが一、二、三……五桁ある。
「……は? おい、表示バグってんぞ」
「違うわよ! 正真正銘こいつの基本ステだってば!」
「いや、いやいやいやおかしいだろ! なんでHPがナイトより高いんだよ!? 先輩の二倍近く――――」
 動揺の最中、何かに気づいたように言葉が止まる。少年ファイターの視線はステータス画面から仲間の方へ移り、女シーフは驚愕の表情で何度もうなずく。
「こいつ、成長ポイントをHPにガン振りしてるのよ! 信じらんない……!」
 察しの良いプレイヤーなら分かるだろう。『成長ポイント』はレベルが上がるごとに獲得できるポイントで、筋力や魔力などに振り分け、好みのステータスに成長させることができるシステムだ。
 普通、長所となるステータスを上げることが基本である。ファイターで魔力をアップさせても無意味だし、クレリックで敏捷性をアップさせても前に出ないのだから宝の持ち腐れ。
 だがキティは、不可能といわれたものを強引になんとかするタイプの人間。常識というもの捨て去るスタイルのプレイヤーなのだった。
 にやり、と彼女は口元を吊り上げる。
「あはっ、気付いた? すごいっしょ? げほッ、メイジでも、HPこんなになるのよ、けほっ」
 HPがゼロにならない限り、キャラクターが倒れたという判定にはならない。だから、彼女が倒れない限り、キティ側のパーティは『敗北』にならないのだ。
「ほら、どうしたの。二発くらい、げほっ、全然余裕なんだけど?」
 先ほどの攻撃は、普通ならメイジくらい戦闘不能になっている。しかしキティのHPが尋常ではないため、まだ五分の一も削れていなかった。
 制限時間はまだまだ残っている。彼女が倒れない限り、このバトルはいつまで経っても終了しない。
「それとも、もうこんな可愛い女の子は殴れない? くふふっ、意気地なし。男なら暴力で女を屈服させてみろっつーの」
「てんめぇ……! ”発勁”!」
 少年ファイターがスキルを発動する。頭上に現れるのは『攻撃力増加』のログ。わずかの時間だが二倍近い数値になっているはずだ。
 さらに、
「”経穴”!」
 続けて彼はキティのこめかみを、両サイドから人差し指で突く。
「んッはぁ!?」
 電流でも流れたかのようにロリ顔少女の肢体が震える。瞳孔がキュッと狭まり、顎を上げてぴくぴくと痙攣した。
 頭上に表示されるのは『防御力低下』。成長ポイントをすべてHPに振り分けているキティにしてみれば、もはや防御力がゼロに等しい状態だ。
「”四連突き”、一! うおらああああああああああッッ!!」
 激しく叫びながら、少年ファイターは再び拳を打ち放った。
 威力の上がった拳が、防御力の下がった少女の腹へと、遠慮なくぶち込まれる。
「グッ……! ぐぷッ!?」
 ズンッとめり込んだのは腹部の中央。
 拳がすぐに引き抜かれると、くの字に折れ曲がるキティの口から、唾液の飛沫が飛び出す。
「二!」
 次に狙われたのは脇腹。左拳が右脇腹を壮絶に抉る。
 メギッ――という音を、キティは体内で聞いた。
「ぃぎッッ!? っがァ……!」
 弓のように体が曲がった少女の頭上に『右肋骨(九番 十番)骨折』のログ。体内から全身に行き渡る激痛に、キティの瞳が一瞬裏返る。
「三!」
 続けて臍の辺りに、拳が振り下ろされる軌道で着弾した。防御力皆無な腹筋はバンッと風船が割れるような音をたて、猛打を受け入れる。
 拳がズブリと下腹部まで侵入すると、少年ファイターは駄目押しとばかりに拳をひねり込んだ。
 折れた肋骨の一部が、体内を泳ぎ回る。
「ふぎゅッ!? くぶッッ……!! ぇ゛お゛ぉぉぉッ!」
 キティは紫色に変色した唇から、赤みがかった胃酸がこぼれた。『大腸 小腸 一部断裂』。
「四! とどめだああああああああああ!」
 ミニスカローブの上からでも分かるほど、ボコボコに変形している少女の腹部。”四連突き”最後の一打は、鳩尾めがけて放たれる。
 掬い上げるような軌道の拳が、ローブを巻き込みながら鳩尾にめり込んだ。
「ッ……!? ッぐ……!」
 一瞬で手首まで沈みこんだ拳は、胃袋まで一気に抉り込まれた。ずっしりと埋まった拳を、少年ファイターは再び強引にねじり上げる。
 ――なにか、破れる音がした。
「ぉ゛ッ……ォ゛……!?」
 腹腔内から喉にかけてゴボッと生々しい音が上っていく。ロリ顔少女の瞳がむき出しになり、喉が大きく脈動したかと思うと、桃色に上気した頬が膨らんだ。
「ぶぷッ、ごええぇ゛ぇ゛ッ! ぇえ゛っ、ぐぇ゛ぇ゛ぇっぇぇぇ!!」
 濁り切った吐瀉液が溢れた。びちゃびちゃと地面を叩き、足元を一気に汚していく。
 わずかに混じる固形物は、一時的なステータスアップのために食べた食事アイテムだった。二人の足元には、キティが吐きだした唾液、胃液、血液、吐瀉物でまみれている。
「どうだ、おらぁ!」
 少年ファイターは拳で持ち上げたキティを、地面へ投げつけるように振り払った。
「ぎゃうっ! ぁッ、がはッ……! げぼッ、ごほッ……!」
 背中から打ち付けられ、再度口から吐瀉液が吹き出る。ようやく猛撃から解放されたキティはすぐに腹部を抱え、小さくなるようにうずくまった。
 彼女の頭上に表れているステータスは、蒼然たるものだった。

『右肋骨(九番 十番)骨折』
『大腸 小腸 一部断裂』
『肝臓 陥没』
『胃袋 破裂』

 内臓器官に属する状態異常がほぼすべて、小さな体をがんじがらめにしている。
 胃が空っぽになるまで嘔吐した少女は、口の端に小さな泡を吹かし、中途半端に潰された虫のように悶えた。
「カハッ、く、ごっぽ……! げぼッ! んくッ……ぇ゛っ……」
肋骨で傷つけられた腸の血が腹腔内に広がり、咳き込むたびに腹からぐちょぐちょと、血と内臓が絡み合う音が聞こえる。
「ちょっと、あんたやりすぎ……!」
 さすがに顔を引きつらせている女シーフ。見ているだけで内臓が痛くなってくる光景に、無意識のうち手を腹部に添えていた。
「はぁ……はぁ……! まだ、削り切れてねえ……! むちゃくちゃだこいつ……!」
 むちゃくちゃに少女の腹を殴り潰した本人が言うセリフではないが、これだけの殴打を受けてもキティのHPはまだギリギリで二桁を保っていた。
ただ、今も内臓から出血しているため、HPが毒状態のように減り続けている。こうなれば後は放っておいても、ゼロになって再起不能だ。
 そこでようやくというか、残り二人の役立たずが目を覚ました。目をこすりながら状況を確認すると、
「ハッハッハ。どうやら寝ている間に終わったようだね」
「うふふふふふ」
 と、まるで反省の色もない様子だった。
「あはっ、あっは、げぽっ、あはははははッ」
 腹を抱えながら仰向けに転がったキティは、吐瀉液で汚れきった唇を歪ませる。
「かはッ、あんた、やるじゃん。女の子の胃も、腸も、ほとんど、げほっ、破けるまで、お腹を殴りまくるなんて、あははっ、見直しちゃったよ」
内臓を全てぐちゃぐちゃにされたせいで気でも狂ったか、というような笑い声だった。かなり異様な光景で、お姉さんメイジすら口をつぐんでいる。
「でもさ、ちょっと、時間かけすぎじゃない? いくら可愛いからって、けほッ、あたし一人夢中になって、いいの?」
 む、とキザナイトが初めて表情を曇らせる。
「どうしたんスか、先輩?」
「……ハッハッハ。これはしてやられたようだ。我々は最初から彼女に釣られていたということだね」
 キザナイトが宙で指を踊らせると、彼自身のログ画面が展開された。
 そのウィンドウに表示されているのは、パーティの拠点となるオブジェ周辺。そこには、
「アッー! あいつらは!」
 キティとパーティを組んで、最初からいきなり突っ込んで罠に引っかかったあの三人が、オブジェを攻撃している。その残り数値も、あとわずか。
 キティは、囮だった。
 全員が悟った瞬間、オブジェの防衛力数値がゼロになる。
『Bチームの拠点が破壊されました。Aチームの勝利です』
 フィールド全体に女声のアナウンスが流れると同時、満身創痍の少女は仰向けのまま拳を掲げた。
 HPは、残り「1」で止まっている。彼女のパーティは最終的に、全員生存の状態。文句なしの勝利だった。
 
「はーーーーーマジ疲れた。もう二度とやんないわ」
 報酬受取所の前。治療を受けたキティは、限定報酬である金色の首飾りを弄んでいた。レア装備を手に入れたので、瞳には喜びの色が満ちている。
 そこへ、背後からおずおずとした声がかかる。
「あ、あの……」
「んあ?」
 キティはだるそうに、座ったまま首だけそらして後ろを見た。
 熟年ナイト、青年アーチャー、少女プリースト。先ほどまでパーティを組んでいた面々が並んでいる。
「なに?」
「いえ、あの、すみませんでした」
 プリーストの少女がぺこりと頭を下げると、あとの二人も彼女に続いた。三人ともどこか窮屈そうな表情である。
 あー、とキティは立ち上がり、お尻をぽんぽんはたきながら告げる。
「あれが勝つための最適解よ。あたしが言い出したことだし、あんた達は謝る必要ない」
 ほぼ全て、キティが考えた作戦である。あえて三人が突っ込んで罠に引っかかるのも、それに激怒するキティも、その後の行動も。
 三人はお世辞にもレベルの高い装備を持っているとは言い難かった。だから彼女は、どうすれば勝てるかを考え、そして自分を犠牲にするような作戦を提案したのである。
「……では、改めてお礼を。ありがとうございました」
 再度、三人が深く頭を下げる。
 ん、とキティは恥ずかしそうに目をそらす。
いつもソロで遊んでいた彼女にとって、パーティを組むことはほぼ初めてのこと。だからお礼を言われることに慣れておらず、頬をぽりぽりとかいた。
「あー、はいはい、どうもね。そんじゃあたし行くから」
「ああっ、待ってくださいっ。狩りですか? それなら一緒に行きましょう!」
「え? いや、最初に言ったっしょあたしはソロプレイヤーだって。パーティは組まない主義なの!」
「じゃあ、せめてフレンド! 相互フレンドだけでもお願い! せっかく一緒に遊んだのに、このままさようならなんて寂しい! こっちから申請送っちゃいます!」
「ちょ、ちょっと待っ……」
 静止する暇もなく、少女プリーストからのフレンド申請がメッセージBOXに届いた。続けて、あとの二人の申請まで送られてくる。
 会話することすらなかった彼女のオンラインゲーム人生に、初めてのフレンド申請が届いたのである。
「えっ、いや、あのっ」
 バトルでの強気な姿勢はどこへやら。思いもよらぬ出来事にあたふたしている様子は、まさに年齢相応の少女そのものだった。あくまで、キャラクターの年齢ではあるが。
「許可! 許可だけでもいいのでお願いします! そんなしょっちゅう声かけたりしませんからー!」
「わわっ、な、涙目でしがみつかないでよ! 分かった、分かったから!」
 一刻も早くこの場から離れたかったので、キティはマイコンソールを表示し、フレンド申請の【許可】ボタンを急いでタップした。
 今までたった一人でプレイしてきた彼女のフレンド一覧に、少女プリーストのキャラネームが追加される。
 すると、間髪置かずに新たなフレンド申請が届いた。残り二人と、そして、さきほどバトルした相手パーティ四人からも申請が届いている。
「あ?」
 見れば、施設の入り口に立っている彼らが見えた。白い歯を光らせるキザナイトが、そっぽを向いているが目がこちらに向いている少年ファイターが、意味不明な含み笑いをこぼしているお姉さんメイジが、手を振りながらウィンクしている女シーフが。
「ああ? なによもう! バッカじゃないのあんた達……! こんな、一人でずっと生きてきたあたしに……ほんと、なんなのよ……!」
 
 別に、一人でも全然平気だ。
 リアルでも同じ。キティは――キティのプレイヤーは、一人でいることが多かった。
 友達がいないわけじゃない。かといって多くもない。親友と呼べる人もいない。
 親はいつも遅くて、家では一人でいることがほとんど。だからオンラインゲームに手を出した。
 ちょっとアレな性格は自分でも分かっている。ここでもやっぱり一人だったが、全然平気だ。だって慣れているから。
 でも、いまはなんだか、悪い気はしない。
 
 キティはとっさに、目元を腕で隠す。そうしながら、少し震えた声で言う。
「しょーがないわね、ほんと。フレンドになってやるわよ。でも言っとくけどね、ソロ志向なのは変わらないから、絶対に」
 その点だけは譲れないところだった。実際、ソロで攻略し続けることに快感を覚えているし、これからもそうしてこのゲームを遊ぶつもりだ。ゲームのサービスが終了するまで。
「まあでも、あたしが必要なら呼べばいいんじゃない? そんとき暇だったら、なんか手伝ってやんないこともない、かもね」
 ぐすっ、とキティは鼻を鳴らして、口元に笑みを浮かべた。

★空手美少女アユミ

「うーーーーーん」
 自分の名前付近に刻まれている数字を見ながら、セーラー服の少女がずっと唸っている。
 背は低めで胸も少ないが、彼女は空手少女であり、制服の下には美しく引き締まった肉体が隠れている。
『アユミ 勝率:10.4%』
 これは最下位の数字であり、少女の――アユミの胸には焦りと怒りが次第に積みあがっていた。
 腕を組んで唸るアユミのポニーテールが、くいっ、と後ろに引っ張られる。
「アユミちゃん、まーたランキング見てるの? もうやめときって。見てたって何も変わらないよ」
 艶のある声色と、セクシーなチャイナドレスに身を包んだ女性だった。彼女はアユミの親友で、普段から仲良く接している数少ない友人である。
「ていうかこれ、ひどくない? 最初はトップに近かったのにさ。バージョンアップされてこんなに下がるとか、マジ調整ミスでしょ。ヨーコもそう思わない?」
「んー、まあ確かに、えらく変更されたところは多かったわね。前がちょっと強すぎたし?」
「そりゃまあ、ゲージ半分あれば七割コンボ入るとか意味分かんないくらい強かったけど。でもそれってコンボありきじゃん? 小技の判定はそこまで強くなかったって」
「他のキャラの巻き添えくらって、一緒に弱体化されたって感じよね。あっはは、でも今はちょっと弱すぎだけど、あはははっ」
「わーらーうーな! そっちは新技と硬直減少で強くなってんじゃないのよ! あてつけか!」
 けらけら笑う親友はといえば、最近の順位は上から数えた方が早い位置にいる。
アユミは自分の境遇にため息をついた。何度目のため息なのか、数える気すら失せる。
ちら、と液晶画面の「外側」を彼女は見上げた。
 そちらには一人の男性が椅子に腰かけ、画面の「中」を注視している。この男性はさきほどの「警察官キャラ」を操作していたプレイヤーであり、現実世界の人間なのだ。
「この男の人もまさか思ってないよねー。わたしたちは画面の裏で生きてるってこと」
 ヨーコはその男性に手を振っているが、人間たちが気づくことはない。試合の領域以外は画面に映らない仕様だからだ。
 そう、彼女たちは格闘ゲーム『シンクロファイト』のキャラクターである。

 二人は今、テニスコートほどの広さがあるスペースを見下ろしていた。
 四方には段差があって、その「試合場」を見下ろせるかたちになっているのだが、人間が見ることのできるのはその「試合場」だけだ。
 はあ、と空手美少女アユミは再度ため息をつく。
「見た目あんまり好きじゃないけど。あの人上手いよね。ジャック使いじゃ結構上にいるプレイヤーでしょ?」
「全国大会に出たってこの前言ってたよ。強キャラはホント恵まれてるわよね~」
 そう、いわゆる『強キャラ』は、技の発生猶予が早いとか、火力が高いといった点が挙げられる。勝ちやすいキャラはそれだけで使用人口が多くなるし、プレイヤースキルの高い人間が使うのもごく当たり前のことだ。
 一方で『弱キャラ』もその名称通り。よっぽど愛着がない限り、使うのもためらわれるようなキャラクターも存在している。
 そして昨今のゲームはオンラインで随時アップデートが可能となっており、格闘ゲームもその流れに沿っている。プレイヤー間で強すぎると評された弱体化されるし、弱すぎたら強化される――のが望ましいのだが、それはプレイヤー視点なので、キャラクターたちがどう考えているかは、当の本人たち次第である。
「あ、ほら来たわよ。白馬の王子さまが」
 ヨーコの視線は画面外へと向けられている。しかしアユミは、その言葉だけでもうため息が出た。
 いつもの曜日、いつもの時間。そしていつもと代わり映えのしない服装をした少年が筐体に座っていた。
 何度も、何度も見ているプレイヤーだ。肩幅が狭く小柄で、髪がすこしのっぺりしていて、気弱そうな目をしていて、眼鏡をかけていて。一見して誰もが「オタク」と印象付ける風体だ。
「来た来た。よく飽きないなあ」
 このゲームが稼働してから、少年は継続してプレイしている。使用しているキャラクターを最初から一切変えないまま、これまで続けてきたという今では珍しいプレイヤーだ。
 少年が筐体にコインを入れ、相手へと乱入する。
 キャラクター選択画面になると、カーソルは迷うことなく右下へと動き、アユミのアイコンで止まった。
 そう、この少年はずっとアユミを使い続けている。稼働当初こそ強いキャラクターだったので使用人口はそれなりにいたが、理不尽な弱体化を受けたことで『キャラ替え』するプレイヤーが溢れたことは、ネットのコミュニティでも一時祭りになったほどだ。
 他のゲームセンターにも少しはいるかもしれないが、この店でアユミを使い続けているのは彼だけである。
「勝率下がってるのにさ。あたしを使ったって上がんないよ」
「あなたのことが好きってことでしょ? 羨ましいわ」
 ふん、とアユミは鼻を鳴らして、制服のスカートを翻しながら試合場へと飛び降りる。
 対戦相手は、少年よりも歳上のプレイヤーが使用するジャックだ。いで立ちは見た通り警察官だが、金髪で憎たらしい表情、事件解決には賄賂も惜しまないというなんとも好感を持てない設定になっている。
「ははっ、まだあいつに使われているのか。キミも災難だなアユミ。僕としても最初から有利と分かっている戦いには気が引けるのだが……ゲームだから仕方ないんだ。許してくれ」
 と、こんな風に神経を逆なでするようなキャラクターなのだ。
「いちいちうるさいなあ……! 黙って操作に従ってろっての」
 二人が開始位置に立つと、風景が一瞬で切り替わった。地下駐車場らしき場所になっている。もし人間が筐体の中を覗けるなら、ジオラマセットのように見えるだろう。
 両者は戦闘態勢を取る。お互いに設定されている専用のポーズだ。
フィールドに入った時点で、キャラクターたちはプログラムとプレイヤーの操作に従うことになる。
 このバトルステージの音楽が流れ始め、さらに女性の声でシステム音声が鳴り響く。
『ラウンドワン、シンクロォ、ファイッ!』
 第一ラウンドが開始されると、アユミは即座に前へと駆けた。
(最初はやっぱ、攻めるよね)
 これは、アユミ自身が意思をもって行動しているのではない。キャラクターを動かしているのはプレイヤーであり、彼女自身がそれに逆らうことはできないのだ。
 だから、自分とは意に反する行動をさせられることも当然ある。しかし少年とはいわば腐れ縁のようなものだから、彼の戦い方はほとんど理解できていると言っていい。
 実際、アユミのような『弱キャラ』はダメージを与えるチャンスを積極的に掴みに行く必要がある。だから、開幕で前に出るのは理屈に合っているのだった。
「はっ!」
 呼気と共に右ストレートを繰り出す。
「フフッ」
 しかしそれはあっさりとガードされる。
だが、これは特に不利というわけでもない。こちら側が攻めているという状況が重要なのだ。アユミは果敢にジャックを攻め、ガードを固めさせる。
「――そこっ!」
 通常攻撃を繰り返す中で、右足を大きく後ろへと引いた。一瞬だけ溜める姿勢を見せた後、ジャックの頭へと打ち放つ。
「ぐあっ!」
 見事なハイキックが入った。
 キャラクターの中には、特殊なガードを行わなければ防げない攻撃を持っている。アユミのハイキックは通常のガードでは防げないため、ダメージソースとなりえる攻撃だ。
 しかも、ここから連続コンボに繋げることもできる。
「ふっ、はっ、せっ!」
 拳と足でコンボ数を伸ばしていき、連続ヒットが「9HIT」の文字が浮かび上がったところで、締めの固有技を叩き込む。
「“蒼撃蹴”!!」
 アユミのコンボを締めくくる技の一つ。大そうな名称だが実際は単なる飛び蹴りである。
「ぅぐおおお!」
 合計十発の攻撃を受けたジャックは物凄い勢いで吹き飛んでいく。停車していた高そうな車に背中をぶつけ、地面へと倒れ込んだ。
 そして、プレイヤーの操作に従ってジャックはすぐ立ち上がった。このゲームは妙にキャラクター演出にこだわっていて、衣服の汚れや表情の変化まで細かく設定されている。だが今の彼の表情は、なんてことないという顔だった。
「あーもう! やっぱ安すぎじゃんこのコンボ!」
 アユミは相手側の体力ゲージを見上げて、思わず毒づいた。これは仕様として存在しないセリフだが、人間側に聞こえることはない。あくまでもプログラム上の動きしか認識できないからだ。
「はっはっは、せっかくガードを崩してもこれだけとは。いやいや気の毒だ」
 癇に障るジャックの言葉。
 彼の体力は、せいぜい二割程度しか減っていなかった。以前のバージョンであれば、これだけで四割近くのダメージを稼ぐことができたはずなのに。
「くっ……弱キャラってほんとどうしようもない……!」
 しかし、体力をリードしたのはアユミの方だ。ここからは無理せず、隙を見せない堅実な立ち回りで――
 アユミはそう考えていても、操作するのはプレイヤーが同じ気持ちとは限らない。
 自分の意思に反して、体がぐいっと前へと躍り出ていく。
「わわっ!?」
 思いのほか攻めの姿勢を崩さない少年に、アユミは少し驚いていた。いつもなら慎重な動きで戦っているのに。
 再びジャックへと肉薄し、攻撃を繰り出す。一旦距離が離れたから、かなり見え見えの攻撃である。
 にも関わらず、アユミの拳はあっさりと顔面にヒットした。
「なっ……」
 そう声を洩らしたのは、ジャックの方だった。予想外なダメージに唖然としている。簡単にガードできるはずなのに、まるでわざと食らったような――
 しかも今の地点は画面端だ。キャラクターによってはコンボパーツを組み換え、さらに火力を向上させることだってできる。
 弱キャラと言われているが、かろうじてアユミもそれができるキャラクターだった。
「“蒼天烈掌”!!」
 ヒット数を稼いだあとの絞め技を、ジャックの胸にぶちかます。漢字は多いが実際はただの掌底突きである。
「ぬぅわああああああ!」
 少し間の抜けたダメージボイスと共に、再び地面へ倒れ込む金髪警察官。
 さらに、彼は立ち上がらない――プレイヤーがレバーを操作していないのだ。
「これって……舐めプ?」
 一瞬、苛立ちがアユミの胸にこみ上げてきた。
 上級者が初心者と対戦しているとき、前者が手加減することはよくあることだ。それは別に手を抜いているわけではなく、初心者が長くゲームを遊んでくれるよう相手をしているわけで、いわば『接待プレイ』である。
 だが、アユミを操作する少年は稼働初期からプレイしているし、コンボの精度だって先ほどのように十分なレベルだから、初心者をとっくに脱却している。
 ジャックのプレイヤーには悪意がある――舐めプレイというやつだった。相手を格下だと断定し、あえて自分が不利になるような行動をする。端的にいえば馬鹿にしているのだ。
「あはっ、気の毒はそっちだよジャック!」
 いまだにうつ伏せで倒れたままの金髪警察官に、ダウン攻撃が仕掛けられる。
アユミは膝をグッと曲げてから、現実世界ではありえないほどの高さまでジャンプした。地上で倒れている相手の背中めがけて、両足から降下していく。
やはり相手プレイヤーは避ける素振りもなく、ジャックは攻撃をもろに受けることになる。
「ふげぇ!」
 黒のスパイクシューズがジャックの背中に打ちつけられ、地面にまで亀裂が走った。
『ノックアーウトッ!』
 お気楽なシステムボイスが響いて、アユミがポイントを先取した。二ポイント制なので、少年は次も勝てば対戦勝利になる。
「お、おのれ、くそっ。このプレイヤーはそういうヤツだったな。忘れていた……!」
 ジャックとしても、まともに戦えなかったのは不本意だろう。しかし、プレイヤーの操作に反抗することは絶対にできないから、不運と言わざるを得ない。同情はしないが。
 対して、少年は正直だ。相手の動きが明らかに変だったら、たとえば筐体のレバー不調とかを疑うものだが、戦い方を変えることはなかった。
(そこは、まあ嫌いじゃないし)
 毎回プレイしにやってくる少年にため息を吐きつつも、アユミはどこか親近感を覚えるのだった。
『ラウンドツー、シンクロォ、ファイッ!』
 第二戦の合図が流れ、アユミは再びジャックへと突撃した。
 

『ノックアーウトッ!』
 結果から言えば、少年が勝利した。第一ラウンドと同じくらいの速さで。
 アユミは相手プレイヤーの顔を見上げた。舐めプレイをしていたくせに、眉間に皺をよせて歯を噛んでいる。
「ふん、調子に乗りすぎね。おおかた、手を抜いてたらそのままやられちゃったってとこでしょ」
 おそらく相手は、逆転して勝つつもりだったのだろう。だが、思いのほか少年の腕前が低くなかったので、反撃の糸口を掴めないまま体力を削られてしまったのである。
 アユミが弱キャラだからといって、手を抜きすぎただけの話だ。
「く、くそっ、この俺がアユミに負けるとは……!」
「あーあー、顔に泥付いちゃって。キャラはプレイヤーに従うしかないもんね。ゲームだから仕方ない、よね?」
 バトル開始前のお返しとばかりに、アユミはにやにやしながらジャックを見下ろす。
 手加減されていたとはいえ、勝ちは勝ちだ。体力バーの上あたりに『1WIN』文字が表示されていることに、アユミは思わず笑みをこぼした。
 筐体にコインが投入される音が響いた。アユミの表情が一転して険しくなる。
 理由は簡単だ。相手プレイヤーがそのまま居座っていたからである。
「ちょっと、なに連コしてんのよ……!」
 基本的にこういったゲームは交代制だ。人気のゲームなら後ろに人が並んでいるし、厳密なルールが設けられていないにしろ、待ちがいないか確認するのはマナーである。
 それをあのロン毛男は、顔を真っ赤にしながら連続でコインを投入――俗にいう連コインをしたのだ。
 運が悪いというか、見た目だけはちょっとコワモテな印象なので、オタク気質なゲームである『シンクロファイト』のプレイヤーたちは窮屈そうにしている。
「こ、この際なんでも構わん! もう一度だ!」
 アユミに負けたことがそんなに悔しいのか、ジャックもロン毛男と同じ表情になっている。
「ふん、キャラはプレイヤーに似るっていうよね。あんたサイテーだよ」
 操作に従うしかないとはいえ、連コインを許容するとは、ゲームキャラクターの風上にも置けない。
バトル開始前システムボイスが流れ始めると、アユミは気を引き締め直し、バトルの構えを取った。
『ラウンドワン、シンクロォ、ファイッ!』
 開幕は、やはり少年は強気に攻めていく様子で、アユミの体が勢いよく前進する。
 最初の試合と違うのは、相手の行動だった。ジャックはガードではなく、アユミと同じく突撃してきたのである。
(もう舐めプはおしまいってことね……!)
 こうなると、単純にプレイヤーの実力勝負だ。
ただ、アユミの性能がこのゲームでかなり弱い方なのは周知の事実で、ジャックは強キャラの部類に入る。その分は少年が不利と言えた。
 お互いが間合いに入ったとき、アユミの方がぴたりと止まった。少年が相手の動きをどう読んだのか分からないが、ともかくガードへ移行する。
 ジャックはというと、技の出が早い弱攻撃を繰り出してきた。顔を狙うジャブだ。
多分、同じような行動をアユミもしたなら、判定の弱さで殴られていただろう。少年は、やはり考えて操作してくれている。
「オラ、オラオラオラッ!」
 リーチは短いが、発生の早さと判定の強さに優れるパンチを次々打ち込んでくる。こうしてガードしているだけでも、アユミとしてはかなり辛い状況だ。
(あたしは切り返し技も弱くなった……!)
 攻撃の合間、強引に技を差し込むことで状況から抜け出す技がある。しかしそれも弱体化を一途を辿ったので、こうしてガードで固まる方がある意味安全なのだった。
 チャンスのポイントは、相手の行動を先読みすることにある。
 ジャックの膝が動くのを見て、アユミはとっさに祈った。少年に。これはおそらくローキックで、ジャンプで回避すれば隙を突ける。
 祈りが通じたのか、アユミはガードを解いて跳躍の体勢を取ろうとした。
 だが、腕をがっしりと掴まれたことで、アユミは目を見張る。
「あ、まずっ……!」
 相手の選択肢は“投げ”だった。打撃判定ではないから、ガードで防ぐことができない。
これはガードを崩す手段として最も基本的といえる行動で、ローキックの初動はフェイントだったのだ。
 掴まれた右腕がぐいっと持ち上げられ、胴が前面に晒される。
 これはジャックの投げ技 “ボディラッシュ”だ。
「そらぁ!」
 フック気味の拳がセーラー服の脇にねじ込まれる。
「ぐうッ……!」
メキッ、と肋骨の軋む音。アユミは歯を食いしばって激痛に耐えるが、技名の通り一発だけでは終らない。
 右腕を掴み上げられたまま、さらに拳が唸りをあげる。二発目は下腹部に打ち込まれた。
 どぷっ、と水っぽい音と共に、臍の下がへこむ。
「んぅぅッ!?」
 子宮と膀胱が痛く刺激されて、妙に艶のある声が溢れた。身体が勝手にぴくぴく震えて、しめった熱い息が漏れる。
まだ、最後の一撃が用意されていた。三発目に狙われるのは、臍の辺り。警察官として鍛えられているという設定のたくましい腕が引き絞られる。
「く、ぁっ……!」
“ボディラッシュ”は合計三発のボディ攻撃を放つ投げ技だ。投げ技の途中でガードすることはできないから、アユミは自分の腹へと打ち込まれようとする拳を見届けるしかない。
「これで終わりだ!」
 真正面からのボディブロー。セーラー服に包まれた、空手少女らしい引き締まった腹部に、男の拳が叩き込まれる。
 ズブリと臍の周辺に拳が沈んだ。
「ぐッふ……!」
 アユミの目が見開かれ、しなやかな体躯がくの字に折れる。
 腹筋を打ち抜かれ、体内に潜む小腸の中心にまで拳が沈み込んだ。拳が奥に突き進むと腸がかき分けられて、ぐちゅぐちゅした音と痛みがアユミを襲う。
「ぅぷっ、げおッ」
 内臓を無理やり動かされたことで、嘔吐感がこみ上げる。喉がグッ、蠢いたが、彼女はなんとか耐えた――厳密には、仕様上まだ吐くまでに至っていないのだった。
(気持ちわるいぃぃ……! こんなにお腹を、ナカの内臓まで殴られたのに……!)
 実際のところ、キャラクターの痛覚は人間とほぼ同じと考えていい。ただし設定されているプログラムの限度を超えることはできないから、例えナイフで心臓を刺されても絶命しない設定であれば、死ぬほど痛くても死ねないのだ。
「ッ、げほっ……ぇ、ぅぶふッ……!」
「はははっ、身体を鍛えているといっても、どんなキャラから殴られたって同じだからなあ?」
 その通り。アユミは十六歳という設定で、歳相応の可愛らしい顔立ちだが、ファイターらしい体つきだ。腹筋だって力を込めなくてもうっすら割れているほどだが、このゲームでは防御力という概念がそもそも存在しない。
 そのうえ、打撃の演出には妙なこだわりがあるらしく、たとえば腹部を殴られたとき陥没や、腹肉の動き、内臓の音など、やけに凝ってつくられている。
 仮に子供キャラの無邪気なパンチでも、鍛えられた腹筋にはズボリとめり込んでしまう。アユミはそれを何度も経験した。
「ぅ、ぐっ……! 一回投げが入ったくらいで、いい気に……!」
 唾液を垂らしながらも、アユミは強がりを見せた。
 まだ“ボディラッシュ”をくらっただけだ。体力も半分以上残っているし、まだまだチャンスは残されているはずだ。
 しかし、先に攻撃を取られたせいなのか、少年の操作に明らかな動揺が見え始める。
「ぅ゛うッ!? がはっ……!」
 下から突き上げるボディアッパーが、アユミの鳩尾を捉えた。両足が浮き上がるほどの威力。
 背中を突き抜けそうな衝撃と痛みが胃袋に襲いかかり、彼女は口をがぱっと開いて悶えた。唾液の飛沫が散って、突き出た舌からは糸を引いている。
(くうっ、ガードが間に合ってない……!)
 普段の少年なら簡単に貰うはずのない攻撃だ。最初に投げを食らってしまったから、慌てているのかもしれない。
 アユミが思わず少年の顔を見上げようとしたとき、左頬にストレートパンチが飛んできた。
「づぁ……!」
 視界が一気にブレて、身体ごと殴り飛ばされる。紺色のワゴン車に背中から激突して、酸素が軒並み叩き出された。
 さらに、視界が強制的にぼやけて左右に揺れ動く。
(あ、やば、ピヨった……)
 アユミは焦点の合わない目で、フラフラと身体を揺らしていた。連続で攻撃を受け、障害物に衝突したことで『スタン値』が限界点を超えたのである。
 プレイヤーがレバーをひたすら回すことで復活するのだが、大抵間に合わない。
 アユミは肩を掴まれる感触と同時に、背中をぴったりと障害物に押し付けられたことを自覚した。
「一方的だな、アユミ!」
 ぼやけた視界でも分かる。ジャックが勝ち誇った表情で、拳を力強く握りしめている。
 肩を掴んでいる彼の手に力が込められると、空気を切るような音が目の前から聞こえた。
 直後、体の中心から轟音。
「あッ……」
 視界が一瞬でクリアになり、アユミは自分の腹部に向かって伸びる男の腕を見た。
 拳が、丸々飲み込まれている。
「くぶッ、っ、ごォ゛ォ゛ッ……!!」
 がくがくとしなやかな肢体が痙攣する。
 血の気が引いた顔。目は飛び出さんばかりに見開かれて、口からは粘ついた唾液が幾筋も糸を引いていた。
 彼女のすぐ傍に、パソコンの別ウィンドウのような画面が表示される。このゲームにおける演出の一つで、『とどめの瞬間』を際立たせるものだ。
 その画面には、アユミの体内が映し出されている。
「どうだ、アユミ……! お前の胃に、完璧にめり込んだぞ……!」
 興奮したようにジャックは唇を歪ませた。
 画面に表示されているのはアユミの内臓器官。ゲームだからデフォルメされているとはいっても、そのあたりをやたらと凝って再現している。見ただけで嫌な鳥肌が立ってしまうほどだ。
「ぁ、はがッ……かふ、ぉ゛ぅ……!!」
 自分の胃袋を、ジャックの拳が完璧に殴り潰している映像。丸みを帯びているはずの胃袋は、薄っぺらくなるまで歪まされている。アユミは痙攣を繰り返しながらそれを凝視するしかなかった。
 やがて拳が引き抜かれる。強烈なボディブローによって叩き潰された腹筋は、元に戻ろうとしない。
 空手少女のセーラー服はクレーターを残したままになっている。体内映像でも、胃袋は潰れたままだ。
「とどめだ……!」
(も、ダメ、ナカが、破れちゃう……)
 焦点の合わない目でジャックを見つめる。彼は拳を引き絞り、また同じ箇所を狙っていた。
 アユミは――操作している少年は、抵抗できない。これは『とどめ演出』だからである。壁を背にした”ボディラッシュ”をくらった時点で、もう負けは決まっていたのだ。
「ぬあああぁぁぁ!」
 激しい呼気とともに打ち出された拳は、陥没したままの腹に再び捻じ込まれた。ドブッ、と鈍い音がして、瀕死であるアユミの身体がびくんと跳ねあがる。
 背中にあるワゴン車が、激しい音と同時に砕け散る。
 アユミの胃袋にめりこんだ拳がそのまま奥へと押し込まれ、脊椎にぴったりと密着する映像が流れた。
 グチャッ――という効果音。
 胃袋が破れる音だった。
「ふ、ッグ……! ッ…………ェッ……! げえ゛ぇ゛ぇぇぇぇ!!」
 一瞬耐えたものの、格闘少女の喉がぐぼりとうなり、激しい嘔吐が始まる。
 拳が引き抜かれると、陥没した腹を抱えて両膝をつく。地面へびちゃびちゃと夥しい量の吐瀉液を撒き散らし、さらに自ら顔を押し付けてうずくまった。
『ノックアーウトッ!』
 ラウンド終了を告げるシステムボイスを気にする余裕もなかった。アユミは内臓がひっくり返ったような痛みと止まらない嘔吐に悶絶する。
「ぉ゛ぇ゛ぇ……! ぉぷッ、ごぼっ! ぐぶッ……!」
 吐き出されるのは白く濁った胃液のみ。固形物を吐瀉しないのはこのゲームの異様なこだわり演出において、唯一の妥協点といってもよかった。だが、キャラクターの苦しみが軽減されるわけでもない。
 女の子とは思えない重い咳を繰り返しながら、アユミは胃の激痛にひたすらのたうち回る。
(また、吐いちゃった……こいつ、見てるのに……!)
 今、少年はどんな目で自分を見ているのか。ゲームとはいえ、まだ十六歳という設定の少女が無様に嘔吐して、もがき苦しんでいる姿。
 できれば見られたくなかった――見せなくなかった。
 弱キャラと罵られてもずっと使い続けてくれている彼に、応えてあげたいのに。
 痙攣しているアユミに、ジャックはへらへらした口調で、
「へへっ、いい格好だぞ。あんな変なプレイヤーに使われると災難だよなあ?」
 ぴくっ、とアユミは肩を震わせた。嘔吐による咳き込みさえ止まる。
 アユミがうずくまったままなのでいい気になったのか、ジャックは続ける。
「満場一致で『弱キャラ』と言われているお前をいつまでも使ってるんだぜ? 未練がましく女キャラに夢中になって、みじめだ」
 明らかに馬鹿にしている口調だった。
 アユミはそれが、ひどく耳障りに思えた。全身をめぐる血液の温度が高まる。頭に駆け上ってきて、痛みで朦朧とした意識を拾い上げた。
 地面に押し付けていた顔を、ぐいっと起こす。にらみつけたその先には、表情を引きつらせるジャックがいた。
「な、なんだよ、その目は……」
 今のアユミは自らの吐瀉液にまみれていて、美少女といえる整った顔立ちは汚れている。
だが、ジャックは彼女を笑い飛ばすことができなかった。向けられた鋭い眼光に怯んで後ずさりさえしている。
「いま、なんつった? あんた」
 怒りの色で染まった声は、心臓に響くほどだった。拳をぶち込まれた腹の痛みさえ、怒りでどうでもよくなっている。
「あんたは、知らないでしょ……こいつは、夜遅くまで、あたしで練習してんのよ」
 少年は定期的にゲームセンターにやってきては、シンクロファイトで遊んでいる。
 アユミは知っている。彼はただ闇雲に遊んでいるわけではないことを。格闘ゲームで勝つためには、それ相応の努力が必要だ。
「コミュ障のくせに、勇気振り絞って対戦相手と話したりして……! メモって、考えて、次に活かそうとがんばってんのよ! こいつをバカにするのだけは、許せない……!」
 さっさと強いキャラを使えば、そんな面倒なことしなくたっていいのに。少年の腕前があれば、すんなり勝てるようになるのに。
 それでも彼は、アユミと一緒に戦い続けようとするのだ。
 それが、とても心地良かった。
 いつだって空手少女アユミは、彼のことを待っていた。
「連コなんかするヤツに、絶対負けない……! 負けたくない! そうでしょ……!?」
 最後の言葉は、自分に――少年に言い聞かせた。
 ぐるぐると痛みが渦巻いている腹部を押さえながら、彼女は立ち上がる。脚をがくがく震わせながらも、目に宿る闘志は燃えたぎるように熱い。
「し、知ったことかそんなもの。仮にそいつがどれだけ上手くても、キャラ性能の差は埋まらん!」
 圧倒されていたジャックは、優位を取り戻そうとしているようだったが、唇が小さく震えていた。
「性能なんて、もうどうだっていい! あたしはこいつとなら……!」
 弱体化を受けたことで、アユミは確かに失望した。それはどんなプレイヤーも同じだった。
 元々高い性能を持っていただけに、がくっとランクが下がったためにプレイヤーはすぐに別のキャラへと移行した。勝ち続けるために。
 でも、少年だけは違った。彼と一緒なら、いくらでも戦える。
「ぅ、げほ……えッ……! さあ、第二ラウンドよ……」
 再び胃液が逆流してきて咳き込んだが、彼女はバトルの構えを取った。
 ジャックは先取したのが自分だというのに、まるで追いつめられているような表情のまま準備に入っている。
 第二戦。闘志が沸き上がっていても、アユミが不利なのは間違いなかった。
 ゲーム特有のシステムとして、第一ラウンドのダメージ状況は引き継がれるようになっている。体力ゲージは満タンだが、いわゆる『部位ダメージ』は残っているのだ。
(ッ……いつまた、吐くか分かんない……!)
 すでに腹と内臓をひどく殴り潰されている。乱数が『嘔吐する』の演出データを引き出さないよう祈るしかなかった。
『ラウンドツー、シンクロォ、ファイッ!』
「うおおおおおおおおおお!」
 第一戦と同じく、ジャックは猛烈なスピードで接近してくる。すでにボロボロのアユミはプレイヤー操作も入りづらくなっているし、畳みかけてくるのは当然だった。
 振り上げられる右腕。
(ガードは左側……! でも、今の状態じゃ間に合わ――)
 ジャックも強キャラの名に恥じず、疲弊している相手のガード行動よりも早く攻撃を叩き込むことができるだろう。もうファーストアタックは取られたと言っていい。
 だが、アユミの身体がスッと流れるように動く。
「え」
 思わず声が洩れる。
 目の前を拳が通り過ぎていき、アユミ自身の膝がジャックの下半身に――男の大切な部分にカウンターで突き刺さった。
「~~~~~~~~~~~~~~~!!」
 謎の呻き声を発した男性警察官は、股間を押さえて膝をつく。
 その瞬間には、アユミの追撃の踵落としが脳天に決まっていた。ジャックは地面に顔面をたたきつけられる。
 たやすく反撃が決まったことに、アユミ自身が驚愕していた。
「ぐぬッ、おのれぇ!」
 ジャックの右脚がわずかに動いたことを、アユミは見逃さなかった。
(足払い……! ガード、じゃない。ジャンプが最適……!)
 だが、これはプレイヤーには感知できない部分だ。仮にその動きを捉えたところで、繰り出される攻撃までに操作が追いつくはずはない。
 そのはずなのに、アユミはすでに跳躍していた。ガードではなく。
 前もって攻撃を読んでいた――いや、違う。明らかにいまのは『見てから』だ。
 ジャックの足払いを容易に回避し、そのまま彼の背中にズンッと着地する。
「ぐえええ!」
 再びジャックの呻き声。体力ゲージがあっという間に半分まで削られている。
 背中に飛び乗ったまま、アユミは目を白黒させていた。まるで羽が生えたように身体が軽い。
 ふと少年を見上げると、なぜか彼も驚いたように目を見開いていた。
――聞いたことがある。プレイヤーと操作キャラクター……二人の強い思いが重なれば、文字通り一心同体になるって。
 身も心も『シンクロ』するって。
(あたしの視界、思ったこと、全部伝わってるんだ……!)
 きっとそうだ。でなければ、先ほどの足払いを確認してから回避したことの説明がつかない。
 なにより、少年を『勝ちたい』という意識が流れ込んでくる。
 自分も同じだ。勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい!
「……えへへ」
 つい、笑みがこぼれた。少年の心を感じることができて、どうしようもなく嬉しかった。
「ええいクソッ、いい加減離れろ!」
 ずっと踏みつぶされていたジャックが強引に立ち上がり、裏拳を繰り出してきた。
 アユミは少しだけ距離を置き、簡単にそれを避ける。
「なんだろ、あたし、もう負ける気しないよ!」
 もう一度、少年を見上げる。彼もいつの間にか笑顔を浮かべていた。
 シンクロした二人は、どんな強キャラにだって負けない。きっとこれからも。
 アユミは勝利を確信し、狼狽しているジャックの顔面へと拳を叩き込むのだった。

★設定屋さん

 西野綾香は、以前から気になっていた飲食店のポップにある『レディースデー』という文字に顔をしかめた。
「なによこれ……帰ろ」
 ヒールが強くアスファルトを踏み鳴らす音。その音で、彼女がイラついているのは傍から見ても分かるだろう。
 綾香は、一言でいえば「デキる女」である。
 高校を卒業してすぐにデザイン会社へ就職し、二十歳でチームをまとめるリーダーになった。そして二十五歳の今では、複数のチームを管理する立場にまで出世した。そのうち、拠点を統括するポジションにまで登りつめるだろうと言われている。
 上司やクライアントの期待には十分応えてきたし、綾香自身も自分の能力に自信を持っている。
 学生の頃から陸上部で身体を鍛えていて、今でも運動や筋トレは継続中だ。次第に「可愛い」といったものを表すにはキツい年齢になってきたが、鍛えているおかげか若々しいエネルギーに満ち溢れている。
 同性からは憧れの存在である彼女は、人間の本質的なところに不満を持っているのだった。
「女って理由で特別扱いされて、何が嬉しいっていうのよ」
 思わず独り言を漏らすくらいに、綾香にとっては大きな問題といえた。
 身近なところでいえば、先ほどの『レディースデー』である。
 女性であれば料理が安い、映画が安い、何かしらおまけが付いてくる――
 性別に左右されず、一人の人間として積みあがってきた綾香には、この手のやり口を強く嫌悪していた。
 女も男も同じ人間だ。子供と大人での違いこそあっても、性別によって優遇されたりする理由が見当たらない。
――西野さん、女性なんだからもっと愛想よくできないの?
 忘れかけていた上司の言葉が思い起こされて、綾香はさらにイラついた。これは、職場環境の問題について抗議したときに言われたことだ。
「女だからなに? おしとやかにしろって? ふざけんな」
 街灯がともり始めた道で、彼女は不満の思いを口から吐き出し続ける。
 いつも通っている道。こうして文句を垂らしながら歩いている道。それなのに綾香はどこか違和感を抱いた。
「……あれ、こんなのあったっけ」
 本屋がある。いや、それ自体は別におかしくないが、いつも通っている道なのに今まで気づかなかったのが不思議だ。まるで初めて訪れた土地であるかのような感覚。
 表札みたいな看板には『設定屋』と彫られている。
 無意識のうちに、綾香は『設定屋』の扉を引いた。木の扉が軋みながら開き、内部の光が視界に差し込む。
 古本屋だ、と綾香は印象づけた。くすんだ色の本棚。収まりきらずに平積みされた本。乾いた紙の匂い。それら一つ一つが、綾香の苛立っていた心の色を洗い流していく。
 視界の奥。カウンターらしき大きなテーブルを隔てて、一人の少女が視線を返してきた。
「こんばんは」
 少女の声は小さいのだが、妙に鼓膜へ響いた。脳に直接話しかけられたかと思って、綾香は肩を少し震わせた。
 店番をしているアルバイトなのだろうか――真っ黒な長髪は肩よりも下まで伸びており、肌は対照的に白くて透明感がある。
 これまた古風というか、紺のセーラー服を着ている。いわゆる『文学少女』といった様相を呈している少女は、じっと綾香を見つめている。
「あ、えっと……」
 どうしよう、と綾香は焦りつつも、本棚を見回す。彼女自身、特に小説などを好んで読むわけではない。こういった古本屋はサブカルな雑誌なんて置いてなさそうだし――
「ついここに入ってしまったのでしょう。構いませんよ」
 少女はつり目気味の瞼をゆっくり閉じてから続ける。
「あなたはこの世界に不満を持っていますね」
 ぎくり、と綾香は少女を凝視してしまった。
 どうしてだろう。少女は目を閉じているのに、心を見透かされている気がする――よく本を読んでいるから、洞察力が高いのだろうか。
「別に驚くことではありませんよ。むしろ不満を持っていない人間なんていません。わたしも例外なく」
 少女は瞼を開き、天井を軽く仰いだ。
「この世界は気に入らない設定が多すぎる。そう思いませんか?」
「――あの、なんの話なのかさっぱり……」
 なんだか――宗教的な、怪しいお店に入ってしまったのかもしれない。綾香はそう感じたが、不思議とこの少女に嫌悪感を抱かなかった。
つらつらと間を置かない話し方だが、読み聞かせるような声に聞き入ってしまう。
 そして次の言葉に、綾香の胸はどきりとした。
「女と男の違いとか知ったことじゃないって考えていますよね?」
「え……? なんで知って…?」
 思わず一、二歩後ずさるくらいに動揺した。
「あなたがそういう人だからです。よくある設定なので珍しくもありません」
 少女はゆっくりと立ち上がった。読んでいた本を閉じてから、
「この本には世界の設定が全て書かれています。この意味が分かりますか」
 と、さらりとした口調で伝えられた。あまりにも普通のトーンで話すものだから、綾香もその意味をよく拾いきれなかったというか、単純に理解できなかった。
「無理もないですね。ではこちらへ来てください。直接お見せします」
 少女は再度本を開いてぱらぱらとページをめくる。
「は、はぁ……」
 ちんぷんかんぷんな綾香は、なんでこんな店に入ったのだろう、と改めて自問した。しかし、少女は悪い人ではなさそうだし、ちょっと興味も湧いてきたのも事実だった。
 すぐ目の前まで寄っていくと、少女は本の半分くらいのページのところで指を当てた。
「ここがあなたの設定ページです」
「……え?」
 西野綾香――大きく印字された文字と顔写真。ぞくりと綾香の背筋が震える。さらに、横書きで羅列されている文章に目を剥いた。
 生年月日、年齢、正確、出身、学歴、職歴、家族構成、はてはスリーサイズまで。そのほかにもたくさん、個人情報といってもいい事項が所狭しと書かれている。
「な、な、なんでわたしが本に載ってるの? しかもこんな、誰も知らないことまで!」
「言ったでしょうあなたの設定ページだと。ここに年表もあっておそらくこの先――」
「待って待ってやめて! 言わないで!」
 目をそらしながらとっさに手で制す綾香は、胸の鼓動が早まっていることを自覚した。
 信じたわけじゃない。突然とんでもないことを突きつけられたものだから、理解がほとんど追いついていなかった。
 ただ、このページの全てを読んではいけない気がする。それだけは分かるのだった。
 でも少女はそんな綾香の動揺など気にも留めない。
「それでは手っ取り早く髪にしましょう。ここに『黒のショートヘア』とありますね? ここに――」
 テーブルに転がっている鉛筆を手にすると、【髪】という項目に、
『茶色のポニーテール』
 と書き加えた。そして印字されていた『黒のショートヘア』には二重線を引く。
 小説などはほとんど読まない綾香でも、少女がいま何をしたのか、なんとなく察しはついていた。が、そんな馬鹿なことがあり得るのかと、まだ半信半疑の状態だった。
 それでも、心臓の早い鼓動は鳴りやまない。文字から視線を外せない。
「あちらの鏡を見てください」
 テーブルのすぐそばに設置されている姿鏡。少女の声に促されるまま、おそるおそる視線をそちらへ向けた。
「うわっ……」
思わず声がもれる。
髪型が、そっくり変わっていた。『茶色のポニーテール』に。
「こうして設定を変えることもできるのです。もうお分かりですよね」
「し、信じられない……! 魔法みたい!」
 綾香は髪の尾を手で触れた。引っ張ると頭皮が痛いし、手触りもいつもと同じ。間違いなく自分の髪だ。
 ここでようやく、綾香にも一つの可能性に気づいた。
「あの、それって、人じゃなくてもいいの?」
「ある程度は自由に設定できますがあくまでも地球ベースの本ですので。たとえば『宇宙で呼吸ができる』は無理ですが『地球は呼吸ができない』は可能です」
 あまりにも極端な例だったが、綾香の理解を得るには十分だった。
 自分が望むような世界に変えることだって、できるということなのだ。しかし、そんなとんでもない本をどうしてこの少女が持っているのか。
 この店はいったい、何なのか。
「試してみますか?」
「え? い、いいの?」
 正直なところ、綾香が期待していた言葉だ。だが、こうもあっさりかけられると逆に不安になってくる。
「ほら、その、お金とかは……」
「必要ありません」
「それじゃ、他に何か取られるとか」
「いりません。寿命とか魂を取るのは悪魔や死神のやることですし私は違います」
 じゃああなたは何者なんだ、と綾香は率直な疑問を抱くものの、それを尋ねるのはどうもためらわれる。深入りするのは危ない――と直感的に思ったからだ。
 そう簡単に安心はできない。が、少女が嘘を言っているようにも見えないのだった。
「本の所有者である私が書かなければ変わらないのでその点はあらかじめご了承を。それではご希望の設定を教えてください」
 ページをいくつかめくって、鉛筆で止める。
 そのページには何が書かれているのか――綾香は好奇心をそそられたが、心のどこかでストップをかけていた。
 知ってはいけないことまで書かれている気がする。だから彼女は好奇心を今は振り払って、一つの心情を吐露した。


 翌日。
 綾香はそわそわしながら自分のデスクへ腰を下ろした。
 もう、彼女自身はあの店で出会った少女のことを信じて疑っていない。朝起きて、駅まで歩いて、電車に乗って、会社に着くまでに確信を得ていた。
「西野さん、これ十五時までにまとめといて」
 年下の女にへらへら鼻の下を伸ばす上司も、
「先にお昼失礼しまーす」
 女性社員をいつも食事に誘うはずの同僚も――どの男性も、まるで異性に興味を失ったかのように淡々としている。
 あの少女に告げたのは、『性別で態度を変えない』という言葉だ。本にどう書かれたのかは分からないが、とにかく、綾香が想像していたとおりの世界になったことは間違いない。
 男や女の態度でもうイライラすることがない――そう思うと、妙にうきうきとしたテンションになってくる。だって、自分の理想と感じる世界がもう訪れたのだから。
 
「ふふっ」
仕事を終えた綾香は上機嫌で通りを歩く。
 今日はイラつくこともなかったから効率的に業務を進めることができたし、男から下心丸見えの言葉もかけられなかったし、社内でもそんな光景を見ることもなかった。みんな自分のことに専念していて、とても心地よかったのだ。
そして、再びあの店に行こうと思っていた。お礼を言いたいし、なにより、もっと自分の思い通りにできると考えたからだ。
 あの曲がり角の先に『設定屋』がある。綾香は無意識にスキップでもしそうなほど浮かれた気持ちで店を目指した。
 曲がった瞬間に、ドンッ、と肩に衝撃を受けた。ほとんど周りを意識していない状態だったから、反対側から歩いてくる人物に気づかずぶつかってしまったのである。
「いってえな。おい」
 若いのに、無理やりドスを効かせようとした感じの声。
 見れば、髪を薄く金色に染めた青年だった。綾香は同年代の女性と比べて若干背が高いし、青年と同じくらいだ。
「あ、すみません」
「いてえっつんだよコラ。折れてるかもしれねえだろ、大人なら誠意見せろや」
 うわ、と綾香は顔をしかめる。面倒くさいヤツに絡まれた。設定屋はすぐそこにあるのに。
 せっかく今日は良い気分だったのに、こいつのせいでまた苛立ちが帰ってきた。
「だから、謝ってるじゃないの。ていうかそれくらいで折れるわけないでしょ」
「あぁ? ぶつかっといて何だよその態度。おい、ちょっとツラ貸せや」
「はい? 何なのあなた、初対面で――」
 失礼なヤツだ、と思いをぶつけようとする前に、頬に衝撃を受けた。
「ぶっ……!?」
 ――痛い。
頬が、痛い。
「おら、こっち来い」
 折れかけた膝では満足に抵抗できず、腕を引っ張られるままに路地の裏へと連れていかれる。
 ひりひりとした刺激で、綾香はようやく殴られたことに気づいた。平手ではなく、握り込んだ拳で。
「な、なにするの! 放して!」
「うっせーな、お前からぶつかってきたんだろうが! 土下座すりゃ勘弁してやるよ!」
「ふざけないでよ! 誰が土下座なんか……!」
 普段から、男に負けたくないと考えている綾香だ。素直に謝るはずもなく、こんなくだらないことで土下座なんてしたくない。
男の言いなりになんか、なりたくない。
 その意思を持ちながら生きてきたし、精神だけでなく肉体的にも彼女は鍛えてきたのだ。
 幸い、青年はそこまで大柄ではない。綾香は彼の腕を強引に振りほどいて、一瞬驚いたそいつの顔に、思い切り平手打ちをくらわせた。
 小気味良い音が路地裏に響き、瞬時に静まり返る。
 少しだけたたらを踏んだ青年は、頬を押さえながら綾香を睨み返した。
「何だ、やんのか」
「う……相手が女だからって、強がらないでよね!」
「あ? 何言ってんのお前、意味分かんねーよ」
 明らかに苛立っている青年が右手を伸ばしてくる――その手首あたりを綾香は手の甲で弾き、わずかに膝を曲げて重心を置き、青年の腹部めがけてストレートパンチを放った。
 唯一習っていた、護身術である。今回が初実践であるが、何度も練習してきたこともあってほぼ確実に対応できた。
「――ぃたっ!?」
 しかし、呻いたのは綾香の方だった。思い切り打ち放った拳は確かに青年の上腹部をとらえたが、乾いた音を立てて弾かれてしまったのだ。
 仮にも筋力トレーニングを積んできた綾香だ。薄く張った筋肉は並の男よりパンチ力はあるはずだったのに、青年にはまるで通じなかったのである。
 へえ、と青年は少し関心したようだった。
「結構やるじゃん。腹に力入れてなきゃダウンしてたぜ」
 力を入れていた、というのは何の気休めにもならなかった。綾香は自分のほぼ最大限の力がほとんど通じなかったことにショックを受けていて、動揺を隠しきれない。
「そっちは二発殴ったんだからな。まだ殴らせろよ」
「はあ? 本当にどうしようもないわね……!」
 苛立ちの火がさらに強まり、綾香は負けじと青年を睨み返した。
 先に手を出してきたのはそっちなのに。ちょっとぶつかったくらいで、いい歳してキレちゃってカッコ悪い。
 なによりも、声を大にして言いたいことがある。
「それに、女を殴るなんて最低! みっともない……!」
 見知らぬ相手に暴力を働くなんて当然おかしいし、女を殴る男なんてどうかしている。常識の欠片さえ持っていないのか。
 青年は、「は?」と眉をひそめる。
「あのさ、さっきからなに言ってんの? 女だから何だよ」
 理解不能、といった表情だった。本当に。
 綾香はそこで、胸の内がざわりとする感覚に陥った。その正体が何なのか気づく前に、
「ぅぐっ……!」
 青年の拳が、腹部に入っていた。
「っ、ぇ……!? げほッ!」
 目を白黒させた綾香は大きく咳き込み、体をくの字に折って苦悶する。
 体を鍛えて護身術を習っていたといっても、別に格闘技ができるわけでもない。対して青年は慣れた様子で殴ってきた。何の躊躇もないボディブローだった。
「女だからってカンケーねーだろ。おい」
「う、ぅぅ……!」
 ようやく、綾香は自分の矛盾点に気が付いた。
 今まで自分はどんな思いで生きてきた?
 優遇されているのが嫌いで、女という理由で人格まで注意されて、女に媚びを売る男がみっともなくて。
『女を殴るなんて最低』
 だったら、どうしてこんな言葉が出てきた?
 性別で扱いを変えない世界を望んだのは、誰だ?
 綾香は自分の意思を取り戻そうとする。しかし、殴られたという事実、加えて、腹の痛みがそれを邪魔し、心がふらふら揺れるばかりだった。
「あー、最初にぶつかってんだから、全部で三発だな。じゃあと一発殴るわ」
 青年の口調は、“相手が女でも”容赦がないようだった。
この世界では男女の区別がないのだから、当たり前なのだ。
「い、いやぁっ……!」
「なよなよした声出すな、むかつくんだよ!」
 青年は右腕を大きく振りかぶった。まっすぐ顔面を狙う構えだ。
「ひッ……!」
 とっさに腕で覆い隠す。
 だが、鈍い音は再び腹部から聞こえた。
「ぅっぶ……!?」
 顔を守ろうと両腕を上げた瞬間、無防備になった腹を狙われた。
 体を持ち上げるようかという拳は、ブラウスに隠された綾香の腹へと沈み込む。鍛えているはずの腹筋が、めりめりと音をたててへこんでいく。
「ぐっ、ぶぁ……ッ……むぐっ!」
 肺を圧迫されたことで、押し出されるようにして空気と唾液が口からこぼれた。見開いた目には涙が浮かび、視界が滲む。
 ガクガクと膝が震え始めると同時に、喉の奥から何かがこみ上げてきた。腹に突き刺さっている腕から手を離し、反射的に口を押さえる。
「へっ」
 綾香の悶絶ぶりにほくそ笑んだ青年は、彼女の腹に拳をさらに深く押し込んだ。
 ぐりっ、とブラウスに反時計のねじれが生じる。
「ぅう゛っ」
 音をたてて軋む内臓。綾香は濁った呻き声を洩らし、目を白黒させた。
「ッ、ぇっ、ぐぷっ!」
 喉の奥からのぼってきた酸味に身体が震え、綾香は耐えきれずに胃液を吐き出した。
 ある程度鍛えていたおかげなのか、もろに胃の中のものを嘔吐することはなかった。しかし、勢いよく吐いた胃液は青年の腕にかかり、彼をまたしても逆上させる。
「おいおい! きたねえだろ!」
 青年は拳を引き抜くと、びくんと痙攣する綾香を突き飛ばした。
「いっ……! かはっ、けふっ」
 塀に背中を強打し、残り少なかった酸素が全部飛び出した。
 綾香は塀を支えにしながらずるずると尻もちをつく。そのまま、腹部を抱えるようにしてアスファルトに横たわった。
「ぅぅっ、ふっ、う゛え゛ぇぇぇっ、けほっ」
 痛い。お腹痛い。気持ち悪い。
 いまだに痛みの引かない腹部と、視界がぐるぐる回るような嘔吐感。粘ついた唾液が溢れて止まらない。
 悶え続ける綾香は、次に起きることを予感していた。
 ここは人気のない路地裏で、もう夜になろうとしている時刻。力の強い男が、女を殴りつけて抵抗できないようにしている。
 こいつは他人を躊躇なく殴るような男だ。これだけで済むはずがない。
 綾香の下腹部の奥で、何かがうずいた。防衛本能が働いて、そちらも一緒に抱えてうずくまる。
「けふっ、や、やだぁ……! ぜったい、いや……!」
 涙もぼろぼろと流れてくる。無様とかそんなこと言ってられない。なんとか脱出する方法を考えなければ――
「ったく、冷めたわ。もういいよお前」
 心底興味なさそうな声だった。
 え、と綾香はうずくまったまま、遠のいていく足音を聞いている。痛みをこらえながらおそるおそる顔をあげると、青年の姿はすっかり消えてしまっていた。
 助かった、と言えるのか。
「うぅ……」
 だが、綾香の心にはなぜだか引っかかるものがあった。海の底にあるような感じ。
 そして、それを掬い上げると、涙がさらに溢れてきた。殴られた腹部が痛いとか、吐きそうだからじゃない。
 自惚れだと思われたっていい。だ女として襲われなかったことが、悔しい。
 女を人気のないところに連れ込んで、ぼこぼこにして、逃げられなくして、それで終わりって――
 いや、今この世界は、どういう常識なんだっけ。
 それを考えると同時に、綾香は自分の愚かさも自覚するのだった。
 誰よりも女としての意志を持っているのは、他でもない自分だということに。

 生気を失った表情で、綾香は『設定屋』の扉を開いた。
 なぜだか懐かしい感じがする紙の匂いと淡い電灯。黒髪の少女は、昨日といつもの恰好で椅子に座っていた。
「こんばんは。随分とお疲れですね」
 やはり無表情で少女は言った。何があったか知らないはずなのに、少女にはすべてが御見通しのような気さえする。
「自分の望んだ世界にはなりませんでしたか?」
「あ……」
 どう答えたらいいのか分からない。
 確かに綾香の願いは叶えられた。女だからって優遇されない世界。女だからってちやほやされない世界。女だからって色目を使われない世界。
 でも、さっき分かった。
 自分自身が、女であることを盾にしていたこと。
――女だから、なんだっていうんだ。
簡単なことだった。“そういうことを言える女”であることに悦になっていただけ。有り体にいえば、自分に酔っていたのだ。
 なんて情けない。なんてみっともない。世間や他人のことをあれこれ突っ込むくせに、肝心の自分は――
「……戻して」
 自然とそう口にしていた。
「よろしいのですか?」
「いい。自分のこと、よく分かったから」
「なるほど。それではあなたが変更する前の世界に戻しますね」
 淡々の少女は答える。その表情からはやはり何も読み取れない。
戻すよりも、また別の設定で世界を変えることだってできる。しかし、精神的にも肉体的にも疲弊した綾香には、もうどうでもよかった。
「人は何かに直面して初めて自分自身を知るのです。あえて偉そうに言わせていただきますがあなたにはいい経験になったことでしょう」
 まるで、昔から知っているかのような口ぶりだった。
 ぞくりと綾香の心臓が震える。
 目の前にいる少女は、単なる書店の店員ではない。世界の常識を変えることができる本なんて、そんなおかしな本を持っていること自体、疑問が浮かんでくる。
 だって、この少女だって自分の好きなように変えることだってできるはずだ。それをどうして、他人である綾香に試させたのか。
 そもそも――今の世界はどうやってつくられたのか。
 あっ、と綾香は声をあげた。その時にはもう遅くて、少女は本へと鉛筆を走らせていた。