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★空手美少女アユミ

「うーーーーーん」
 自分の名前付近に刻まれている数字を見ながら、セーラー服の少女がずっと唸っている。
 背は低めで胸も少ないが、彼女は空手少女であり、制服の下には美しく引き締まった肉体が隠れている。
『アユミ 勝率:10.4%』
 これは最下位の数字であり、少女の――アユミの胸には焦りと怒りが次第に積みあがっていた。
 腕を組んで唸るアユミのポニーテールが、くいっ、と後ろに引っ張られる。
「アユミちゃん、まーたランキング見てるの? もうやめときって。見てたって何も変わらないよ」
 艶のある声色と、セクシーなチャイナドレスに身を包んだ女性だった。彼女はアユミの親友で、普段から仲良く接している数少ない友人である。
「ていうかこれ、ひどくない? 最初はトップに近かったのにさ。バージョンアップされてこんなに下がるとか、マジ調整ミスでしょ。ヨーコもそう思わない?」
「んー、まあ確かに、えらく変更されたところは多かったわね。前がちょっと強すぎたし?」
「そりゃまあ、ゲージ半分あれば七割コンボ入るとか意味分かんないくらい強かったけど。でもそれってコンボありきじゃん? 小技の判定はそこまで強くなかったって」
「他のキャラの巻き添えくらって、一緒に弱体化されたって感じよね。あっはは、でも今はちょっと弱すぎだけど、あはははっ」
「わーらーうーな! そっちは新技と硬直減少で強くなってんじゃないのよ! あてつけか!」
 けらけら笑う親友はといえば、最近の順位は上から数えた方が早い位置にいる。
アユミは自分の境遇にため息をついた。何度目のため息なのか、数える気すら失せる。
ちら、と液晶画面の「外側」を彼女は見上げた。
 そちらには一人の男性が椅子に腰かけ、画面の「中」を注視している。この男性はさきほどの「警察官キャラ」を操作していたプレイヤーであり、現実世界の人間なのだ。
「この男の人もまさか思ってないよねー。わたしたちは画面の裏で生きてるってこと」
 ヨーコはその男性に手を振っているが、人間たちが気づくことはない。試合の領域以外は画面に映らない仕様だからだ。
 そう、彼女たちは格闘ゲーム『シンクロファイト』のキャラクターである。

 二人は今、テニスコートほどの広さがあるスペースを見下ろしていた。
 四方には段差があって、その「試合場」を見下ろせるかたちになっているのだが、人間が見ることのできるのはその「試合場」だけだ。
 はあ、と空手美少女アユミは再度ため息をつく。
「見た目あんまり好きじゃないけど。あの人上手いよね。ジャック使いじゃ結構上にいるプレイヤーでしょ?」
「全国大会に出たってこの前言ってたよ。強キャラはホント恵まれてるわよね~」
 そう、いわゆる『強キャラ』は、技の発生猶予が早いとか、火力が高いといった点が挙げられる。勝ちやすいキャラはそれだけで使用人口が多くなるし、プレイヤースキルの高い人間が使うのもごく当たり前のことだ。
 一方で『弱キャラ』もその名称通り。よっぽど愛着がない限り、使うのもためらわれるようなキャラクターも存在している。
 そして昨今のゲームはオンラインで随時アップデートが可能となっており、格闘ゲームもその流れに沿っている。プレイヤー間で強すぎると評された弱体化されるし、弱すぎたら強化される――のが望ましいのだが、それはプレイヤー視点なので、キャラクターたちがどう考えているかは、当の本人たち次第である。
「あ、ほら来たわよ。白馬の王子さまが」
 ヨーコの視線は画面外へと向けられている。しかしアユミは、その言葉だけでもうため息が出た。
 いつもの曜日、いつもの時間。そしていつもと代わり映えのしない服装をした少年が筐体に座っていた。
 何度も、何度も見ているプレイヤーだ。肩幅が狭く小柄で、髪がすこしのっぺりしていて、気弱そうな目をしていて、眼鏡をかけていて。一見して誰もが「オタク」と印象付ける風体だ。
「来た来た。よく飽きないなあ」
 このゲームが稼働してから、少年は継続してプレイしている。使用しているキャラクターを最初から一切変えないまま、これまで続けてきたという今では珍しいプレイヤーだ。
 少年が筐体にコインを入れ、相手へと乱入する。
 キャラクター選択画面になると、カーソルは迷うことなく右下へと動き、アユミのアイコンで止まった。
 そう、この少年はずっとアユミを使い続けている。稼働当初こそ強いキャラクターだったので使用人口はそれなりにいたが、理不尽な弱体化を受けたことで『キャラ替え』するプレイヤーが溢れたことは、ネットのコミュニティでも一時祭りになったほどだ。
 他のゲームセンターにも少しはいるかもしれないが、この店でアユミを使い続けているのは彼だけである。
「勝率下がってるのにさ。あたしを使ったって上がんないよ」
「あなたのことが好きってことでしょ? 羨ましいわ」
 ふん、とアユミは鼻を鳴らして、制服のスカートを翻しながら試合場へと飛び降りる。
 対戦相手は、少年よりも歳上のプレイヤーが使用するジャックだ。いで立ちは見た通り警察官だが、金髪で憎たらしい表情、事件解決には賄賂も惜しまないというなんとも好感を持てない設定になっている。
「ははっ、まだあいつに使われているのか。キミも災難だなアユミ。僕としても最初から有利と分かっている戦いには気が引けるのだが……ゲームだから仕方ないんだ。許してくれ」
 と、こんな風に神経を逆なでするようなキャラクターなのだ。
「いちいちうるさいなあ……! 黙って操作に従ってろっての」
 二人が開始位置に立つと、風景が一瞬で切り替わった。地下駐車場らしき場所になっている。もし人間が筐体の中を覗けるなら、ジオラマセットのように見えるだろう。
 両者は戦闘態勢を取る。お互いに設定されている専用のポーズだ。
フィールドに入った時点で、キャラクターたちはプログラムとプレイヤーの操作に従うことになる。
 このバトルステージの音楽が流れ始め、さらに女性の声でシステム音声が鳴り響く。
『ラウンドワン、シンクロォ、ファイッ!』
 第一ラウンドが開始されると、アユミは即座に前へと駆けた。
(最初はやっぱ、攻めるよね)
 これは、アユミ自身が意思をもって行動しているのではない。キャラクターを動かしているのはプレイヤーであり、彼女自身がそれに逆らうことはできないのだ。
 だから、自分とは意に反する行動をさせられることも当然ある。しかし少年とはいわば腐れ縁のようなものだから、彼の戦い方はほとんど理解できていると言っていい。
 実際、アユミのような『弱キャラ』はダメージを与えるチャンスを積極的に掴みに行く必要がある。だから、開幕で前に出るのは理屈に合っているのだった。
「はっ!」
 呼気と共に右ストレートを繰り出す。
「フフッ」
 しかしそれはあっさりとガードされる。
だが、これは特に不利というわけでもない。こちら側が攻めているという状況が重要なのだ。アユミは果敢にジャックを攻め、ガードを固めさせる。
「――そこっ!」
 通常攻撃を繰り返す中で、右足を大きく後ろへと引いた。一瞬だけ溜める姿勢を見せた後、ジャックの頭へと打ち放つ。
「ぐあっ!」
 見事なハイキックが入った。
 キャラクターの中には、特殊なガードを行わなければ防げない攻撃を持っている。アユミのハイキックは通常のガードでは防げないため、ダメージソースとなりえる攻撃だ。
 しかも、ここから連続コンボに繋げることもできる。
「ふっ、はっ、せっ!」
 拳と足でコンボ数を伸ばしていき、連続ヒットが「9HIT」の文字が浮かび上がったところで、締めの固有技を叩き込む。
「“蒼撃蹴”!!」
 アユミのコンボを締めくくる技の一つ。大そうな名称だが実際は単なる飛び蹴りである。
「ぅぐおおお!」
 合計十発の攻撃を受けたジャックは物凄い勢いで吹き飛んでいく。停車していた高そうな車に背中をぶつけ、地面へと倒れ込んだ。
 そして、プレイヤーの操作に従ってジャックはすぐ立ち上がった。このゲームは妙にキャラクター演出にこだわっていて、衣服の汚れや表情の変化まで細かく設定されている。だが今の彼の表情は、なんてことないという顔だった。
「あーもう! やっぱ安すぎじゃんこのコンボ!」
 アユミは相手側の体力ゲージを見上げて、思わず毒づいた。これは仕様として存在しないセリフだが、人間側に聞こえることはない。あくまでもプログラム上の動きしか認識できないからだ。
「はっはっは、せっかくガードを崩してもこれだけとは。いやいや気の毒だ」
 癇に障るジャックの言葉。
 彼の体力は、せいぜい二割程度しか減っていなかった。以前のバージョンであれば、これだけで四割近くのダメージを稼ぐことができたはずなのに。
「くっ……弱キャラってほんとどうしようもない……!」
 しかし、体力をリードしたのはアユミの方だ。ここからは無理せず、隙を見せない堅実な立ち回りで――
 アユミはそう考えていても、操作するのはプレイヤーが同じ気持ちとは限らない。
 自分の意思に反して、体がぐいっと前へと躍り出ていく。
「わわっ!?」
 思いのほか攻めの姿勢を崩さない少年に、アユミは少し驚いていた。いつもなら慎重な動きで戦っているのに。
 再びジャックへと肉薄し、攻撃を繰り出す。一旦距離が離れたから、かなり見え見えの攻撃である。
 にも関わらず、アユミの拳はあっさりと顔面にヒットした。
「なっ……」
 そう声を洩らしたのは、ジャックの方だった。予想外なダメージに唖然としている。簡単にガードできるはずなのに、まるでわざと食らったような――
 しかも今の地点は画面端だ。キャラクターによってはコンボパーツを組み換え、さらに火力を向上させることだってできる。
 弱キャラと言われているが、かろうじてアユミもそれができるキャラクターだった。
「“蒼天烈掌”!!」
 ヒット数を稼いだあとの絞め技を、ジャックの胸にぶちかます。漢字は多いが実際はただの掌底突きである。
「ぬぅわああああああ!」
 少し間の抜けたダメージボイスと共に、再び地面へ倒れ込む金髪警察官。
 さらに、彼は立ち上がらない――プレイヤーがレバーを操作していないのだ。
「これって……舐めプ?」
 一瞬、苛立ちがアユミの胸にこみ上げてきた。
 上級者が初心者と対戦しているとき、前者が手加減することはよくあることだ。それは別に手を抜いているわけではなく、初心者が長くゲームを遊んでくれるよう相手をしているわけで、いわば『接待プレイ』である。
 だが、アユミを操作する少年は稼働初期からプレイしているし、コンボの精度だって先ほどのように十分なレベルだから、初心者をとっくに脱却している。
 ジャックのプレイヤーには悪意がある――舐めプレイというやつだった。相手を格下だと断定し、あえて自分が不利になるような行動をする。端的にいえば馬鹿にしているのだ。
「あはっ、気の毒はそっちだよジャック!」
 いまだにうつ伏せで倒れたままの金髪警察官に、ダウン攻撃が仕掛けられる。
アユミは膝をグッと曲げてから、現実世界ではありえないほどの高さまでジャンプした。地上で倒れている相手の背中めがけて、両足から降下していく。
やはり相手プレイヤーは避ける素振りもなく、ジャックは攻撃をもろに受けることになる。
「ふげぇ!」
 黒のスパイクシューズがジャックの背中に打ちつけられ、地面にまで亀裂が走った。
『ノックアーウトッ!』
 お気楽なシステムボイスが響いて、アユミがポイントを先取した。二ポイント制なので、少年は次も勝てば対戦勝利になる。
「お、おのれ、くそっ。このプレイヤーはそういうヤツだったな。忘れていた……!」
 ジャックとしても、まともに戦えなかったのは不本意だろう。しかし、プレイヤーの操作に反抗することは絶対にできないから、不運と言わざるを得ない。同情はしないが。
 対して、少年は正直だ。相手の動きが明らかに変だったら、たとえば筐体のレバー不調とかを疑うものだが、戦い方を変えることはなかった。
(そこは、まあ嫌いじゃないし)
 毎回プレイしにやってくる少年にため息を吐きつつも、アユミはどこか親近感を覚えるのだった。
『ラウンドツー、シンクロォ、ファイッ!』
 第二戦の合図が流れ、アユミは再びジャックへと突撃した。
 

『ノックアーウトッ!』
 結果から言えば、少年が勝利した。第一ラウンドと同じくらいの速さで。
 アユミは相手プレイヤーの顔を見上げた。舐めプレイをしていたくせに、眉間に皺をよせて歯を噛んでいる。
「ふん、調子に乗りすぎね。おおかた、手を抜いてたらそのままやられちゃったってとこでしょ」
 おそらく相手は、逆転して勝つつもりだったのだろう。だが、思いのほか少年の腕前が低くなかったので、反撃の糸口を掴めないまま体力を削られてしまったのである。
 アユミが弱キャラだからといって、手を抜きすぎただけの話だ。
「く、くそっ、この俺がアユミに負けるとは……!」
「あーあー、顔に泥付いちゃって。キャラはプレイヤーに従うしかないもんね。ゲームだから仕方ない、よね?」
 バトル開始前のお返しとばかりに、アユミはにやにやしながらジャックを見下ろす。
 手加減されていたとはいえ、勝ちは勝ちだ。体力バーの上あたりに『1WIN』文字が表示されていることに、アユミは思わず笑みをこぼした。
 筐体にコインが投入される音が響いた。アユミの表情が一転して険しくなる。
 理由は簡単だ。相手プレイヤーがそのまま居座っていたからである。
「ちょっと、なに連コしてんのよ……!」
 基本的にこういったゲームは交代制だ。人気のゲームなら後ろに人が並んでいるし、厳密なルールが設けられていないにしろ、待ちがいないか確認するのはマナーである。
 それをあのロン毛男は、顔を真っ赤にしながら連続でコインを投入――俗にいう連コインをしたのだ。
 運が悪いというか、見た目だけはちょっとコワモテな印象なので、オタク気質なゲームである『シンクロファイト』のプレイヤーたちは窮屈そうにしている。
「こ、この際なんでも構わん! もう一度だ!」
 アユミに負けたことがそんなに悔しいのか、ジャックもロン毛男と同じ表情になっている。
「ふん、キャラはプレイヤーに似るっていうよね。あんたサイテーだよ」
 操作に従うしかないとはいえ、連コインを許容するとは、ゲームキャラクターの風上にも置けない。
バトル開始前システムボイスが流れ始めると、アユミは気を引き締め直し、バトルの構えを取った。
『ラウンドワン、シンクロォ、ファイッ!』
 開幕は、やはり少年は強気に攻めていく様子で、アユミの体が勢いよく前進する。
 最初の試合と違うのは、相手の行動だった。ジャックはガードではなく、アユミと同じく突撃してきたのである。
(もう舐めプはおしまいってことね……!)
 こうなると、単純にプレイヤーの実力勝負だ。
ただ、アユミの性能がこのゲームでかなり弱い方なのは周知の事実で、ジャックは強キャラの部類に入る。その分は少年が不利と言えた。
 お互いが間合いに入ったとき、アユミの方がぴたりと止まった。少年が相手の動きをどう読んだのか分からないが、ともかくガードへ移行する。
 ジャックはというと、技の出が早い弱攻撃を繰り出してきた。顔を狙うジャブだ。
多分、同じような行動をアユミもしたなら、判定の弱さで殴られていただろう。少年は、やはり考えて操作してくれている。
「オラ、オラオラオラッ!」
 リーチは短いが、発生の早さと判定の強さに優れるパンチを次々打ち込んでくる。こうしてガードしているだけでも、アユミとしてはかなり辛い状況だ。
(あたしは切り返し技も弱くなった……!)
 攻撃の合間、強引に技を差し込むことで状況から抜け出す技がある。しかしそれも弱体化を一途を辿ったので、こうしてガードで固まる方がある意味安全なのだった。
 チャンスのポイントは、相手の行動を先読みすることにある。
 ジャックの膝が動くのを見て、アユミはとっさに祈った。少年に。これはおそらくローキックで、ジャンプで回避すれば隙を突ける。
 祈りが通じたのか、アユミはガードを解いて跳躍の体勢を取ろうとした。
 だが、腕をがっしりと掴まれたことで、アユミは目を見張る。
「あ、まずっ……!」
 相手の選択肢は“投げ”だった。打撃判定ではないから、ガードで防ぐことができない。
これはガードを崩す手段として最も基本的といえる行動で、ローキックの初動はフェイントだったのだ。
 掴まれた右腕がぐいっと持ち上げられ、胴が前面に晒される。
 これはジャックの投げ技 “ボディラッシュ”だ。
「そらぁ!」
 フック気味の拳がセーラー服の脇にねじ込まれる。
「ぐうッ……!」
メキッ、と肋骨の軋む音。アユミは歯を食いしばって激痛に耐えるが、技名の通り一発だけでは終らない。
 右腕を掴み上げられたまま、さらに拳が唸りをあげる。二発目は下腹部に打ち込まれた。
 どぷっ、と水っぽい音と共に、臍の下がへこむ。
「んぅぅッ!?」
 子宮と膀胱が痛く刺激されて、妙に艶のある声が溢れた。身体が勝手にぴくぴく震えて、しめった熱い息が漏れる。
まだ、最後の一撃が用意されていた。三発目に狙われるのは、臍の辺り。警察官として鍛えられているという設定のたくましい腕が引き絞られる。
「く、ぁっ……!」
“ボディラッシュ”は合計三発のボディ攻撃を放つ投げ技だ。投げ技の途中でガードすることはできないから、アユミは自分の腹へと打ち込まれようとする拳を見届けるしかない。
「これで終わりだ!」
 真正面からのボディブロー。セーラー服に包まれた、空手少女らしい引き締まった腹部に、男の拳が叩き込まれる。
 ズブリと臍の周辺に拳が沈んだ。
「ぐッふ……!」
 アユミの目が見開かれ、しなやかな体躯がくの字に折れる。
 腹筋を打ち抜かれ、体内に潜む小腸の中心にまで拳が沈み込んだ。拳が奥に突き進むと腸がかき分けられて、ぐちゅぐちゅした音と痛みがアユミを襲う。
「ぅぷっ、げおッ」
 内臓を無理やり動かされたことで、嘔吐感がこみ上げる。喉がグッ、蠢いたが、彼女はなんとか耐えた――厳密には、仕様上まだ吐くまでに至っていないのだった。
(気持ちわるいぃぃ……! こんなにお腹を、ナカの内臓まで殴られたのに……!)
 実際のところ、キャラクターの痛覚は人間とほぼ同じと考えていい。ただし設定されているプログラムの限度を超えることはできないから、例えナイフで心臓を刺されても絶命しない設定であれば、死ぬほど痛くても死ねないのだ。
「ッ、げほっ……ぇ、ぅぶふッ……!」
「はははっ、身体を鍛えているといっても、どんなキャラから殴られたって同じだからなあ?」
 その通り。アユミは十六歳という設定で、歳相応の可愛らしい顔立ちだが、ファイターらしい体つきだ。腹筋だって力を込めなくてもうっすら割れているほどだが、このゲームでは防御力という概念がそもそも存在しない。
 そのうえ、打撃の演出には妙なこだわりがあるらしく、たとえば腹部を殴られたとき陥没や、腹肉の動き、内臓の音など、やけに凝ってつくられている。
 仮に子供キャラの無邪気なパンチでも、鍛えられた腹筋にはズボリとめり込んでしまう。アユミはそれを何度も経験した。
「ぅ、ぐっ……! 一回投げが入ったくらいで、いい気に……!」
 唾液を垂らしながらも、アユミは強がりを見せた。
 まだ“ボディラッシュ”をくらっただけだ。体力も半分以上残っているし、まだまだチャンスは残されているはずだ。
 しかし、先に攻撃を取られたせいなのか、少年の操作に明らかな動揺が見え始める。
「ぅ゛うッ!? がはっ……!」
 下から突き上げるボディアッパーが、アユミの鳩尾を捉えた。両足が浮き上がるほどの威力。
 背中を突き抜けそうな衝撃と痛みが胃袋に襲いかかり、彼女は口をがぱっと開いて悶えた。唾液の飛沫が散って、突き出た舌からは糸を引いている。
(くうっ、ガードが間に合ってない……!)
 普段の少年なら簡単に貰うはずのない攻撃だ。最初に投げを食らってしまったから、慌てているのかもしれない。
 アユミが思わず少年の顔を見上げようとしたとき、左頬にストレートパンチが飛んできた。
「づぁ……!」
 視界が一気にブレて、身体ごと殴り飛ばされる。紺色のワゴン車に背中から激突して、酸素が軒並み叩き出された。
 さらに、視界が強制的にぼやけて左右に揺れ動く。
(あ、やば、ピヨった……)
 アユミは焦点の合わない目で、フラフラと身体を揺らしていた。連続で攻撃を受け、障害物に衝突したことで『スタン値』が限界点を超えたのである。
 プレイヤーがレバーをひたすら回すことで復活するのだが、大抵間に合わない。
 アユミは肩を掴まれる感触と同時に、背中をぴったりと障害物に押し付けられたことを自覚した。
「一方的だな、アユミ!」
 ぼやけた視界でも分かる。ジャックが勝ち誇った表情で、拳を力強く握りしめている。
 肩を掴んでいる彼の手に力が込められると、空気を切るような音が目の前から聞こえた。
 直後、体の中心から轟音。
「あッ……」
 視界が一瞬でクリアになり、アユミは自分の腹部に向かって伸びる男の腕を見た。
 拳が、丸々飲み込まれている。
「くぶッ、っ、ごォ゛ォ゛ッ……!!」
 がくがくとしなやかな肢体が痙攣する。
 血の気が引いた顔。目は飛び出さんばかりに見開かれて、口からは粘ついた唾液が幾筋も糸を引いていた。
 彼女のすぐ傍に、パソコンの別ウィンドウのような画面が表示される。このゲームにおける演出の一つで、『とどめの瞬間』を際立たせるものだ。
 その画面には、アユミの体内が映し出されている。
「どうだ、アユミ……! お前の胃に、完璧にめり込んだぞ……!」
 興奮したようにジャックは唇を歪ませた。
 画面に表示されているのはアユミの内臓器官。ゲームだからデフォルメされているとはいっても、そのあたりをやたらと凝って再現している。見ただけで嫌な鳥肌が立ってしまうほどだ。
「ぁ、はがッ……かふ、ぉ゛ぅ……!!」
 自分の胃袋を、ジャックの拳が完璧に殴り潰している映像。丸みを帯びているはずの胃袋は、薄っぺらくなるまで歪まされている。アユミは痙攣を繰り返しながらそれを凝視するしかなかった。
 やがて拳が引き抜かれる。強烈なボディブローによって叩き潰された腹筋は、元に戻ろうとしない。
 空手少女のセーラー服はクレーターを残したままになっている。体内映像でも、胃袋は潰れたままだ。
「とどめだ……!」
(も、ダメ、ナカが、破れちゃう……)
 焦点の合わない目でジャックを見つめる。彼は拳を引き絞り、また同じ箇所を狙っていた。
 アユミは――操作している少年は、抵抗できない。これは『とどめ演出』だからである。壁を背にした”ボディラッシュ”をくらった時点で、もう負けは決まっていたのだ。
「ぬあああぁぁぁ!」
 激しい呼気とともに打ち出された拳は、陥没したままの腹に再び捻じ込まれた。ドブッ、と鈍い音がして、瀕死であるアユミの身体がびくんと跳ねあがる。
 背中にあるワゴン車が、激しい音と同時に砕け散る。
 アユミの胃袋にめりこんだ拳がそのまま奥へと押し込まれ、脊椎にぴったりと密着する映像が流れた。
 グチャッ――という効果音。
 胃袋が破れる音だった。
「ふ、ッグ……! ッ…………ェッ……! げえ゛ぇ゛ぇぇぇぇ!!」
 一瞬耐えたものの、格闘少女の喉がぐぼりとうなり、激しい嘔吐が始まる。
 拳が引き抜かれると、陥没した腹を抱えて両膝をつく。地面へびちゃびちゃと夥しい量の吐瀉液を撒き散らし、さらに自ら顔を押し付けてうずくまった。
『ノックアーウトッ!』
 ラウンド終了を告げるシステムボイスを気にする余裕もなかった。アユミは内臓がひっくり返ったような痛みと止まらない嘔吐に悶絶する。
「ぉ゛ぇ゛ぇ……! ぉぷッ、ごぼっ! ぐぶッ……!」
 吐き出されるのは白く濁った胃液のみ。固形物を吐瀉しないのはこのゲームの異様なこだわり演出において、唯一の妥協点といってもよかった。だが、キャラクターの苦しみが軽減されるわけでもない。
 女の子とは思えない重い咳を繰り返しながら、アユミは胃の激痛にひたすらのたうち回る。
(また、吐いちゃった……こいつ、見てるのに……!)
 今、少年はどんな目で自分を見ているのか。ゲームとはいえ、まだ十六歳という設定の少女が無様に嘔吐して、もがき苦しんでいる姿。
 できれば見られたくなかった――見せなくなかった。
 弱キャラと罵られてもずっと使い続けてくれている彼に、応えてあげたいのに。
 痙攣しているアユミに、ジャックはへらへらした口調で、
「へへっ、いい格好だぞ。あんな変なプレイヤーに使われると災難だよなあ?」
 ぴくっ、とアユミは肩を震わせた。嘔吐による咳き込みさえ止まる。
 アユミがうずくまったままなのでいい気になったのか、ジャックは続ける。
「満場一致で『弱キャラ』と言われているお前をいつまでも使ってるんだぜ? 未練がましく女キャラに夢中になって、みじめだ」
 明らかに馬鹿にしている口調だった。
 アユミはそれが、ひどく耳障りに思えた。全身をめぐる血液の温度が高まる。頭に駆け上ってきて、痛みで朦朧とした意識を拾い上げた。
 地面に押し付けていた顔を、ぐいっと起こす。にらみつけたその先には、表情を引きつらせるジャックがいた。
「な、なんだよ、その目は……」
 今のアユミは自らの吐瀉液にまみれていて、美少女といえる整った顔立ちは汚れている。
だが、ジャックは彼女を笑い飛ばすことができなかった。向けられた鋭い眼光に怯んで後ずさりさえしている。
「いま、なんつった? あんた」
 怒りの色で染まった声は、心臓に響くほどだった。拳をぶち込まれた腹の痛みさえ、怒りでどうでもよくなっている。
「あんたは、知らないでしょ……こいつは、夜遅くまで、あたしで練習してんのよ」
 少年は定期的にゲームセンターにやってきては、シンクロファイトで遊んでいる。
 アユミは知っている。彼はただ闇雲に遊んでいるわけではないことを。格闘ゲームで勝つためには、それ相応の努力が必要だ。
「コミュ障のくせに、勇気振り絞って対戦相手と話したりして……! メモって、考えて、次に活かそうとがんばってんのよ! こいつをバカにするのだけは、許せない……!」
 さっさと強いキャラを使えば、そんな面倒なことしなくたっていいのに。少年の腕前があれば、すんなり勝てるようになるのに。
 それでも彼は、アユミと一緒に戦い続けようとするのだ。
 それが、とても心地良かった。
 いつだって空手少女アユミは、彼のことを待っていた。
「連コなんかするヤツに、絶対負けない……! 負けたくない! そうでしょ……!?」
 最後の言葉は、自分に――少年に言い聞かせた。
 ぐるぐると痛みが渦巻いている腹部を押さえながら、彼女は立ち上がる。脚をがくがく震わせながらも、目に宿る闘志は燃えたぎるように熱い。
「し、知ったことかそんなもの。仮にそいつがどれだけ上手くても、キャラ性能の差は埋まらん!」
 圧倒されていたジャックは、優位を取り戻そうとしているようだったが、唇が小さく震えていた。
「性能なんて、もうどうだっていい! あたしはこいつとなら……!」
 弱体化を受けたことで、アユミは確かに失望した。それはどんなプレイヤーも同じだった。
 元々高い性能を持っていただけに、がくっとランクが下がったためにプレイヤーはすぐに別のキャラへと移行した。勝ち続けるために。
 でも、少年だけは違った。彼と一緒なら、いくらでも戦える。
「ぅ、げほ……えッ……! さあ、第二ラウンドよ……」
 再び胃液が逆流してきて咳き込んだが、彼女はバトルの構えを取った。
 ジャックは先取したのが自分だというのに、まるで追いつめられているような表情のまま準備に入っている。
 第二戦。闘志が沸き上がっていても、アユミが不利なのは間違いなかった。
 ゲーム特有のシステムとして、第一ラウンドのダメージ状況は引き継がれるようになっている。体力ゲージは満タンだが、いわゆる『部位ダメージ』は残っているのだ。
(ッ……いつまた、吐くか分かんない……!)
 すでに腹と内臓をひどく殴り潰されている。乱数が『嘔吐する』の演出データを引き出さないよう祈るしかなかった。
『ラウンドツー、シンクロォ、ファイッ!』
「うおおおおおおおおおお!」
 第一戦と同じく、ジャックは猛烈なスピードで接近してくる。すでにボロボロのアユミはプレイヤー操作も入りづらくなっているし、畳みかけてくるのは当然だった。
 振り上げられる右腕。
(ガードは左側……! でも、今の状態じゃ間に合わ――)
 ジャックも強キャラの名に恥じず、疲弊している相手のガード行動よりも早く攻撃を叩き込むことができるだろう。もうファーストアタックは取られたと言っていい。
 だが、アユミの身体がスッと流れるように動く。
「え」
 思わず声が洩れる。
 目の前を拳が通り過ぎていき、アユミ自身の膝がジャックの下半身に――男の大切な部分にカウンターで突き刺さった。
「~~~~~~~~~~~~~~~!!」
 謎の呻き声を発した男性警察官は、股間を押さえて膝をつく。
 その瞬間には、アユミの追撃の踵落としが脳天に決まっていた。ジャックは地面に顔面をたたきつけられる。
 たやすく反撃が決まったことに、アユミ自身が驚愕していた。
「ぐぬッ、おのれぇ!」
 ジャックの右脚がわずかに動いたことを、アユミは見逃さなかった。
(足払い……! ガード、じゃない。ジャンプが最適……!)
 だが、これはプレイヤーには感知できない部分だ。仮にその動きを捉えたところで、繰り出される攻撃までに操作が追いつくはずはない。
 そのはずなのに、アユミはすでに跳躍していた。ガードではなく。
 前もって攻撃を読んでいた――いや、違う。明らかにいまのは『見てから』だ。
 ジャックの足払いを容易に回避し、そのまま彼の背中にズンッと着地する。
「ぐえええ!」
 再びジャックの呻き声。体力ゲージがあっという間に半分まで削られている。
 背中に飛び乗ったまま、アユミは目を白黒させていた。まるで羽が生えたように身体が軽い。
 ふと少年を見上げると、なぜか彼も驚いたように目を見開いていた。
――聞いたことがある。プレイヤーと操作キャラクター……二人の強い思いが重なれば、文字通り一心同体になるって。
 身も心も『シンクロ』するって。
(あたしの視界、思ったこと、全部伝わってるんだ……!)
 きっとそうだ。でなければ、先ほどの足払いを確認してから回避したことの説明がつかない。
 なにより、少年を『勝ちたい』という意識が流れ込んでくる。
 自分も同じだ。勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい!
「……えへへ」
 つい、笑みがこぼれた。少年の心を感じることができて、どうしようもなく嬉しかった。
「ええいクソッ、いい加減離れろ!」
 ずっと踏みつぶされていたジャックが強引に立ち上がり、裏拳を繰り出してきた。
 アユミは少しだけ距離を置き、簡単にそれを避ける。
「なんだろ、あたし、もう負ける気しないよ!」
 もう一度、少年を見上げる。彼もいつの間にか笑顔を浮かべていた。
 シンクロした二人は、どんな強キャラにだって負けない。きっとこれからも。
 アユミは勝利を確信し、狼狽しているジャックの顔面へと拳を叩き込むのだった。
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★魔法少女マヤ

「こ、降伏します……! 私たちを見逃して……」
 母は自分よりもはるかに小さい子供を背に隠しながら、”敵”に向かって懇願した。
「えー、どうしよっかなー」
 無邪気な声で”異形の親子”を見下ろす少女は、顎に指を当てて白い歯を見せた。
 周囲には、親子と似た風貌のモンスターが転がっている。全て少女が一人で片付けたのだ。
「あなたの力は思い知った……! せ、せめて子供だけは助けて……!」
 この周辺にいたのはガーゴイル型モンスターだ。当然人間よりも強く、それなりに個体数も多い。
 しかし、親子の目の前にいる少女はそもそも格が違った。
「あはっ、泣ける、泣けるよ。子供のためには自分の命も惜しまないなんて、くーっ、母親の鑑ね。あははっ」
 愉快そうに笑う少女の手には杖が握られている。先端には青い結晶が埋め込まれていて、淡い光をまとっていた。
 普通の人間には無理だが、モンスターや少女と同じ”魔”を備える者ならすぐに感じ取れるだろう。
 そして、その界隈で彼女の名前を知らない者はいない。
 魔法少女マヤ。
 コスプレ衣装のようなコスチュームは、彼女のイメージカラーである青を基調としている。
 まだ中学生だが、衣装もさることながら童顔も相まって、端的に言えばロリっぽい雰囲気をかもし出している。
「あたしもこんな優しいお母さん欲しかったなー。羨ましいよキミ。だからさー」
 マヤが杖をひょいと動かすと、母親の背中に隠れていた子供ガーゴイルが、ふわりと浮き上がった。
「な、なにをするの……!」
 わたわたと空中で暴れている子供を見上げながら、母親は声を震わせた。
「あー、うん。嫉妬ってやつー? なんかむかついたからさ。死んじゃえ」
 なんの重みも感じられない声色で、マヤは魔法の杖を子供ガーゴイルへ向ける。
母親が制止する間もなく、杖から魔法の矢が放たれ、幼いモンスターの体を刺し貫いた。
 緑色の血を噴き出しながら地面へと落下する我が子の姿を見て、母親は大きな口をめいっぱい広げた。
「ア、ア、アアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!?」
「わ、うるさい! 大声あげないでよね!」
 耳をふさぐマヤの感情には反省とか、そんな色は一切感じられない。彼女は命を奪ったという実感を抱いていないし、そもそもこいつらは化け物なのだ。
 退治されて当然。ただそれだけのこと。
 母親は体をぶるぶる震わせながら、ぎろりと魔法少女を睨んだ。その瞳からは涙が溢れている。
 もちろん、マヤには何一つ響かない。
「うわー、あんたらも泣くんだ? きもっ。化け物が涙流してるとか、ウケるんだけど」
「ア、ア……マ、マホウショウジョオオオオオオアアアアアアアアアア!」
 怒り狂った母ガーゴイルは白目をむき出しにして、小柄な少女へと飛びかかる。だが鋭利な爪や牙が可憐なコスチュームを引き裂くことはなかった。
「グ――ァ――!」
 怪物の体は空中で停止していた。その体が地面から伸びた青白い光の槍によって貫かれている。
「残念でしたー。いい大人が子供相手にキレちゃって、みっともないと思わない? 恥ずかしくないの?」
 けらけら笑いながらマヤは怪物の顔をいろんな角度から眺め回した。
 母ガーゴイルは呪いでもかけるかのような唸り声をこぼした後、大きな口を引き裂かんばかりに広げる。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ひゃっ!?」
 鼓膜が破れるかと思うほどの咆哮。マヤは思わず杖を落として両耳をふさぐ。
 時間にしてわずか三秒ほどだったが、母ガーゴイルは強烈な雄たけびをあげた後、がくりと頭を垂れて事切れた。
 しん、と静まりかえった夜の廃墟で、魔法少女は軽く息を吐いた。
「あーびっくりした。おどかさないでよね、もー」
 杖を拾い上げて母ガーゴイルの体をばしっと叩く。怪物は当然何の反応も示さず、串刺しとなっている体がすこし揺れるだけに終わった。
 この廃墟一帯を陣取っていたガーゴイルはほぼ全滅している。かろうじて逃げおおせた
者がいたとしても、それは他の連中がやってくれるだろう。ゴミ掃除までする必要はないのだ。
 んーっ、と少女は年齢相応といってよいのか、ほとんど凹凸のない細い体で伸びをした。
「はー終わった終わった」
 彼女にとって、今回のモンスター討伐は赤子の手をひねるも同然だった。
 いや、それ以下かもしれない。最強の魔法少女である彼女からすれば、ガーゴイルだろうが何だろうが、自分以外は虫けらなのだ。
「なんでこいつら夜に出てくんのかなー。もー、学校の時間にこいつら出てくれば授業サボれるのにー」
 心底面倒くさそうに愚痴をこぼす。実際のところ魔法少女を要とする組織『コスモス』は、その権力が政府以上である。
 世界を守っている貢献として義務教育の費用は免除されているし、彼女が望むものは何でも与えられた。
 それは機関が彼女を優遇しているというより、逆に恐れているともいえた。
 中学生であるマヤの精神面はまだまだ子供だし、どんな気まぐれを起こすか分からない。
 なにしろ文字通り”最強”なのだ。歴代に類を見ないほどの。
 その気になれば世界を――地球そのものを半壊させることだって容易と噂されていた。だから、今のうちにおだてておく必要があるのだった。
 言うなれば、マヤは世界から甘やかされている。だから彼女は同年代の女の子よりもずっとワガママで、自分勝手で、自己中心的であった。
 しかし誰も文句を言えないのが実情であり、『コスモス』のメンバーたちは最強たる実力を認めつつも、苦い顔を禁じえなかった。
「お腹すいたし、かーえろ」
 世界や周囲の思いなど一ミリも把握していないマヤは、小さくあくびをしながら飛行魔法を唱えようとを空を見上げた――その時気づいた。
 上から何か降ってくる。夜空と同じように黒く、しかしハッキリと目に見える。
「わっ!?」
 迎撃の魔法が間に合わない。マヤはそれを察し、咄嗟に体を横へと投げ出した。
 黒い物体が地面に着弾し、地鳴りと共に轟音が響き渡る。
 巻き起こった風でマヤの体がごろごろ転がっていき、十数メートル先でようやく止まった。
「あーびっくりした。何なのよ」
 けろりと彼女は起き上がり、短いスカートに付いた砂を払った。
 彼女が着ているコスチュームも魔法で製作されたもので、それに見合った防御力を持っている。だから、たとえ石を投げられたとしてもマヤに痛みは感じない。
 視線を向けると、そこには襲来してきたモノの姿があった。

「――――」
 漆黒のシルエットは西洋甲冑。かといって重々しいものではなく丸みを帯びたデザインで、有り体にいえばスリムな印象があった。
 目に留まるのは、フルフェイスの兜の後頭部に見える一房の髪だった。
 大人の腕一本分の長さだろうか、それは中に入っている者ではなく、アクセサリーのように兜に着けられており、ポニーテールのようになっている。
 その姿を見たマヤは変な笑いがこみ上げてきて、
「あはっ、なにそのカッコ。ヘンなの」
 襲い掛かってきた者に対して挑発的な言葉を投げかけるのも、マヤの得意とするところだった。
 しかし甲冑姿の相手は聞こえているのかいないのか――それとも本当に中に誰か入っているのかさえ定かではないが、とにかく挑発には乗らなかった。
 ふん、と最強の魔法少女は鼻で笑う。
「で、あんた何? 何しにきたわけ?」
 果たして答えが返ってくるのかどうか――特に期待もしていなかったマヤではあったが、挑発を無視した相手は明確な言葉でもって返答してきた。
「――ヨバレタ」
 機械的ではない。かといって生物のような抑揚もない。男か女かも判別がつかない。だがはっきりと放たれたその声は、マヤの鼓膜に響いた。
「――ヨバレタカラ、トンデキタ」
「呼ばれた? って、あたしはあんたなんか呼んでないんだけど――」
 ふと、マヤは気づく。すぐ背後にあるガーゴイルの死体。あの母親は死ぬ間際、雄たけびじみた叫びを轟かせていた……
「あ、そう。ふーん。仇討ちってこと? あのどこにでもいるようなバケモノの? あはっ、ウケるー! なにそれかっけぇー! あっはははは!」
 けらけら笑うマヤは心底面白そうに腹を抱えた。正体不明の存在が現れても動じないのは、彼女の肝が据わっているとかではなく、ただ単純に怖いもの知らずなだけだ。
 ひとしきり笑い転げた後、涙を拭いながら敵を見据える。
「でもさ、相手を見て行動しようよ。あたしのこと知らないわけじゃないでしょ?」
「――シッテル、ゼンブシッテル」
 ……マヤは本能的に何かを察知した。肌がぞくっとした。こいつは今までのヤツとは違う気がする。

 魔法少女の表情からは笑みが消え、一呼吸置く時間さえない瞬間に、攻撃魔法を完了させていた。
 空中に生み出された無数の青白い光弾が、雨のように甲冑へと襲いかかっていた。
 着弾と同時に激しい爆発が発生し、闇のシルエットは瞬く間に爆煙で包まれた。
 空気がびりびり震えて、爆発音が次々に鼓膜を叩く。マヤは不機嫌そうな顔でその音を聞いていた。
「……なによ、ビビったわけじゃないからね。今のは」
 そうだ。得体の知れない敵から放たれる存在感に動揺したわけじゃない――彼女はそう自分に言い聞かせていた。
 攻撃が終わり、もくもくと吹き上がる爆煙の奥に――そのシルエットはまだ完璧な形を保っていた。
「……あ?」
 高層ビルを粉々にするくらいの魔法を叩き込んだはず。
 あんなただの鎧人形なんか木っ端微塵になってなきゃおかしい。
 真っ黒な姿がぼうっと浮かんでいる。どうして、平然と立っているんだ。
「――マホウキカナイ」
「……はい?」
 意味が分からない、とマヤは訝しげな声をあげ、再び攻撃魔法を生成した。今度は光の槍だった。
 鋭く尖った光の弾が、先ほどよりも密度を濃くして敵に降り注ぐ。
 が、
「はあ!?」
 全部、弾かれた。別に甲冑は何もしていない。その真っ黒な鎧でマヤの攻撃魔法を全て受け止めている。
 アスファルトに小石を当てたような乾いた音が連続するだけだった。魔法の槍がことごとく弾かれて霧散していく。
「ちょっ、なに、これ。どうなってんの!」
「――マホウキカナイ」
「ふざけないで!」
 大声を張り上げながらマヤは次々と攻撃を叩き込む。
 ありとあらゆる形をした光の弾が甲冑を襲ったが、効果があるようには見えなかった。
「なんでよ! なんで! なんでなんでなんで!」
 いよいよマヤの焦りが表情にあらわれてきた。自慢の魔法が効かない相手。
 そんなのあり得ない。魔法ってのは万能のはずなのに。
 小さく呻く魔法少女へと、甲冑がついに動きを見せた。とはいってもただ走るだけ。がちゃがちゃと鎧の音をたてながら接近していく。
「ひっ……! こ、こっち来んなぁ!」
 明らかに動揺した様子でバリアを張る。攻撃だけで全てを終わらせてきたマヤが、防御魔法を行使することは今まで数えるほどしかなかった。
 それほど今の彼女は切羽詰っている。
 とはいえ、最強である彼女は防御も強力なものを持っている。ただそれを使う機会がなかっただけだ。
 マヤの目の前に円形の青白い光が出現した。
 色素が薄いせいでお互いが透けて見えるため弱弱しい印象だが、彼女の魔力から生み出される壁となれば、例え核爆弾でも打ち破ることはできない。
 そもそも魔法はそういった物理的なものなんかに負けるはずないのだ。
 ――繰り出される鋼鉄の拳。
 なんの小細工もないただの物理攻撃が、最強のバリアを木っ端微塵に砕いた。

「……あっ」
 ガラスが割れたような音と、あり得ない光景を目の当たりにしたマヤは呆然と立ち尽くすしかなかった。
 杖を持ったまま無防備な体を晒している魔法少女の腹部を、鎧の拳が突き上げる。
「ぇ゛っ……!?」
 すさまじい衝撃音。華奢な肢体が勢いよく浮き上がって、くの字に折れたまま十数メートルほど空中で放物線を描いた。
 一瞬の静寂の後、どさりとうつ伏せに倒れこむ音。
「ふっ、っ……ぐぇ……!?」
 目を白黒させながらうずくまり、腹部の奥底から広がってくる変な刺激に呻く。
 敵の攻撃なんてほとんど受けなかったマヤにとって、これはワケのわからないものだった。
 だが、すぐに『痛い』という感覚が脳を支配していく。
「ぐっぷ……! ぅ゛ごえっ……!」
 腹を押さえながらビクビクと痙攣し、透明な胃液を嘔吐する。小さな口から粘ついた液体が溢れ出て、地面を濡らした。
 まだ中学生になったばかりの少女には、純粋な”殴打”は未知の経験だった。
 小さい頃から魔法少女としての権威を欲しいままに生きてきた彼女は、親にもぶたれたことなんてないし、友人との喧嘩もしたことがない。
 殴られた――それだけのことが、マヤには理解不能だった。
 腹を殴られて何でこんなに痛くて、気持ち悪くて、吐いてしまうのか、意味不明だった。
「――イタイ」
 甲冑の言葉は静かだが、耳に強く残る声色だった。
 近くで囁かれているかと思うほど体にぞくりと響き渡り、小刻みに震えるマヤの精神に突き刺さる。
「――イタイイタイ」
 それは甲冑自身の言葉ではない気がした。なぜか、ガーゴイル親子の姿が脳裏をかすめる。
 それだけではない。彼女自身が倒してきた――いや、嬲り殺してきたといった方が正しい。
 とにかく、そのモンスターたちの姿や悲鳴が思い起こされてきた。
「ぅぅっ……ぐぅ……!」
 腹部の痛みに悶絶しながら、首を振って頭の中から怪物たちの姿を追い出そうとする。
 しかしどういうわけか、忘れていたはずの光景が次々に映像として浮かんでくるのだった。
 映像を巻き戻しているかのように、それは途切れずに繰り返されていく。
 彼女は自覚していなかったが、散々に惨たらしい殺し方もしてきた。
「――イタイイタイ」
 この甲冑姿の敵には、殺してきたモンスターたちの怨念が宿っている――きっと、こいつは復讐にきたのだ。

 いまだにうずくまって咳き込んでいるマヤに歩み寄った黒の鎧は、彼女の頭を鷲づかみにして軽々と持ち上げた。
「ぃやっ……!」
 硬い指が頭をがっちりと掴んでいる。完全に足が地面から離れているマヤは、かろうじて離していなかった魔法の杖で甲冑を殴りつけた。
 しかし、甲高い音が響くだけで、何らかのダメージも与えることはできない。
 手を引き剥がそうともがいているのを無視して、黒の鎧は再び腕を引き絞った。
 青色のコスチュームの中央――先ほどとほぼ同じ箇所に、猛打がめり込む。
 どふっ、と大きく鈍い音。
「ぐう゛ぅ゛ぅ! ぁ゛はっ……! げぼほッ……!」
 幼い魔法少女の口から、醜い呻き声と舌が飛び出した。
 ぴくぴく震えている舌先から、口内に溜まっていた胃液が垂れ落ちていく。
 そして敵は容赦がなかった。悶絶している少女へお構いなしに、鋼鉄の塊を打ち込んでいく。
「ぐぅ゛ぇっ! ぇぐっ、や、やめ゛ぇ……!」
 打ち込まれる度に少女の体が揺れ、柔らかな腹がぐっぽりと陥没する。
「げうっ! が……、はっ……!」
 鳩尾を突かれると呼吸が止まり引きつった声が洩れ、
「ぅえ゛え゛ぇぇぇぇええ……! ぐぇ、ぇ゛ろっ……!」 
 中央を抉られると胃袋が潰れて胃液が逆流し、
「んぐぅぅぅ!? ぅごお゛っ……!」 
 下腹にめり込むと子宮が刺激される。
 幼い魔法少女の肉体はもはやただの楽器だった。柔な肉を打つ音と、苦悶の呻き声を奏でる肉の楽器。
 まともな人間だったら目を逸らすか、力を持つ者だったら止めに入ることだろう。
 ただ、最強の名をほしいままにしてきたマヤを知る者たちは、こう感じたかもしれない。
 ……いい気味だ。
「――イタイイタイイタイ」
 漆黒の鎧は殴打をいつまでも続けた。
 何十発目かのボディブローが魔法少女の腹を抉ると、細い喉元が蠢いて、ごぼりと薄く黄色い胃液が迸る。
「ぐぼっ……! ぉっ、ぉ゛ぇ゛えっ……!」
 ぶら下がっている状態マヤの真下には、彼女自身が殴られる度に吐いた胃液と唾液が駅溜まりが生まれていた。
 青白いコスチュームも、度重なる殴打で腹部の辺りが破け、すでに紫色に変色した薄い腹筋が覗いている。
「はがっ、かはっ、うぇ゛ほっ……! や、やめ、えふっ、やめて、くださいぃぃ……!」
 向かうところ敵なしだったはずの魔法少女は、いまやただの女子中学生に成り下がっていた。
 涙と唾液と胃液でべたべたに汚れた口で、許しを乞う。普段は彼女が乞われる側だった。今までは。

「も、もぅ、やめてぇ……! げほっ、ぉ、お腹、やめて、くださひぃ……! 変な音、して、し、死んじゃぅぅ……!」
 痣で染められた腹の中から、詰まった排水溝のようなくぐもった音が聞こえてきていた。
 殴られすぎて潰され、外側から強制的に動かされたせいで正しい位置には存在しない内臓たちの呻き声だった。
 ぐちゃぐちゃになった内臓同士が呼吸するたびにこすれあって、新たな痛みと嘔吐感がこみ上げてくる。
 地獄の痛みを味わっている少女の顔に、黒の甲冑はずいっと兜を寄せた。
「――イタイ?」
 今度は、疑問系だった。
「――イタイ、ワカッタ?」
「い、いたい、分かったから……! 許して、許してくださいぃぃ……!」
 ほんの少しだけ伺うように沈黙した後、甲冑はぼろぼろ泣き叫ぶ魔法少女を解放した。
「ぅぶっ、ごぼっ! ぇ゛ほっ! ぅげぇぇああっ……!」
 地面に崩れ落ちたマヤは、痣が残る腹部を抱えてうずくまる。
 いまだに収まらない胃液の逆流と激痛に、体をびくびくと震わせていた。
「――――」
 痙攣している少女をわずかに一瞥した後、鎧姿の戦士は脚部を曲げて身を屈めた。そして爆発したような音が足元から轟き、空へと跳躍した。
 飛び上がった甲冑は移動を開始し、満月が昇る夜空へと溶け込んでいく。
いつしか肉眼では確認できなくなり、後には飛行音と、敗北した最強魔法少女の呻き声だけが残された。

もうちょっと

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