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花びらたち 2-1

 チューリップはそわそわと落ち着かない気持ちになっていた。
 目の前にある扉の両端に、甲冑のような法衣を着た女性が二人佇んでいる。彼女たちは王妃の親衛隊だ。
 扉の向こう、王室には、リーフガーデン国の王妃コスモスがいる。
(落ち着けー落ち着けー)
 両頬をぱしんと叩く。深呼吸しながらちらりと隣を見た。同じく王妃に呼び出されたマーガレットが微動だにせず立っている。表情は普段と変わりなく、まっすぐに扉を見据えているようだった。
 小声でマーガレットに囁く。
「さすが、余裕なんだね」
「話しかけないでくださいませんか」
 え、とチューリップは首を傾げた。隣にいる幼なじみは髪一本動かすことなく続ける。
「喋らせないでください。余計なことをすると崩れそうです」
 よく見ると、マーガレットの手は小さく揺れていた。白の法衣に隠れているが、両足も小刻みに震えているように感じられる。立っているのがやっとなのだろう。
 チューリップは、はっと息を呑んで、
「……漏れそうなの?」
「ばっ……馬鹿! 違いますわよ!」
 小さく叫び、慌てて口を閉じた。親衛隊二人にじろりと睨まれている。ここは王室の前なのだ。粗相があってはならない。
 そして唐突に、扉が音を立てて開いた。チューリップも慌てて姿勢を正す。
「お入りください」「お入りください」
 親衛隊の抑揚のない声が重なった。促されるまま、チューリップとマーガレットは王室の中へと歩を進める。マーガレットは傍から見ても分かるほど、体を鋼鉄のように固くしていた。
 チューリップも息が詰まる思いで、王室の真ん中で足を止めた。数歩先には緩やかな階段があり、その上では装飾されている椅子に銀髪の女性が座っていた。
「治療士マーガレット! 参りました!」
「お、同じく参りました、拳士チューリップです」
 マーガレットは緊張のためかいつもより声が高くなっていた。チューリップも慌てて後に続く。
「はい、いらっしゃい」
 リーフガーデン国王妃コスモスは、にこりと笑った。白を基調としたドレスには金色のレースが施してあり、きらびやかに光る彼女を見てチューリップは思わず目を細めた。
(きれいだなぁ)
 チューリップは王妃を見上げながら改めて感じる。この国を立ち上がらせた第一人者とも言うべき彼女は、国民誰もが見惚れるほど美しかった。大人独特の佇まいというか、思わず背筋を伸ばしてしまうような雰囲気を放っている。
「二人とも、先日はよくがんばったみたいね」
 セレスタイト村での一件だろう。
「あ、は、はい! とんでもございません!」
 マーガレットのうわずった声に、思わず吹き出しそうになってしまう。おかげで幾分緊張がほぐれた気がした。
「あなた達が持ち帰った石だけど、とても危険なものだそうよ。魔力を吸収しちゃうんですって」
「……魔法は無力化されるということですか?」
 先ほどまでとは打って変わって、治療士の声は落ち着きを取り戻していた。マーガレットは真剣な表情で王妃を見据えている。
 これはとても重大な話だ。チューリップにもそれは分かっている。魔法は魔力を消費して発動する女性特有の技だ。なぜ女性のみが魔力を持っているのかは現在さまざまな説があるものの、解明はされていない。
「そうね。もしあの石を材料にして鎧か何かをつくったら、それだけで魔法に対しては無敵になるそうよ。怖いわねぇ」
 コスモスは頬に手を当てて首を振った。とても恐怖を感じているようには見えない。が、見過ごせない事態だ。
「しかし、そのような石があるなど聞いたことがありません」
「それなんだけどね? あなた達にお願いがあるの」
 ぽん、と王妃は手を合わせる。
「その石については、実は以前から報告があったの。ゴーレムって知ってる?」
 二人の魔法使いは頷いた。
 チューリップは思い出す。子供の頃、おとぎ話などで聞いたことがある。ゴーレムは魔獣の一種で、伝説とされている存在だ。泣いている子供を黙らせる「ゴーレムが来るぞ」という決まり文句すら浸透している。
 だがあくまで架空の魔獣である。実際に見たことなどあるはずもない。
「最近ね、アクロライトでゴーレムらしき化石を発見されたの。すっごく大きいんですって。これよりももっと」
 そう言うとコスモスは両腕をめいっぱい広げてその大きさを表そうとした。いまいち分からないが、とにかく巨大であるらしい。
 アクロライトというのは街の名前だ。鉱石が取れる遺跡が有名で、リーフガーデン国に順じている。距離もそう遠くない。
 おそるおそるといった様子で、マーガレットは尋ねた。半信半疑のようだ。
「ほ、本当にゴーレムなのですか? なんの関係があるのでしょう」
「その石はゴーレムの欠片かもしれないんですって」
 ぎくり、とした。チューリップは思わず目を瞠る。それが事実だとすれば、ゴーレムは魔法が効かない魔獣ということになる。
「持ち帰ったあの石を持って行って、確かめてほしいの。調査員が街で待ってるから合流してね」
 すでにゴーレム関係の調査は進んでいるらしい。ここまで事が進んでいると、現実味を帯びてくる。あながちおとぎ話の中だけの話ではないのかもしれない。チューリップは戸惑いながらも好奇心をくすぐられた。
「承知いたしました。マーガレット、チューリップ、両名はこれよりアクロライトへ向かいます」
 ぴん、とマーガレットは背筋を伸ばした。対してコスモスは困ったようにため息をつく。
「そんなに固くならなくていいのよ。私はみんなの母親みたいなものなんだから」
 コスモスは小さく微笑んだ。チューリップは彼女の柔らかな物腰が好きだった。一国の王妃とはいっても、身近な存在に感じられる。母親みたいなもの、という例えも言い得て妙だった。
「は、はい。善処いたします」
 とはいえ相変わらずマーガレットは緊張状態から抜け出せないでいた。彼女の家柄にも関係があるからだろう。チューリップはよく知らないが、コスモスの家系にはよくお世話になっているのだそうだ。
「あ、ちなみにこの話は他言無用よ? これ一応、重大機密だから」
 魔力を吸い取る石など、魔法使い――女性にとっては死活問題になりうる。魔力は命の源ともいえるし、大勢に知られてはパニックになるかもしれない。そのうえ、魔獣が所持していたというのが最も危険な事実だ。石そのものがゴーレムの欠片であるという可能性もあり、芳しくない情報だけが溢れている。
 チューリップはもやもやとした考えを首を振って払う。
「あ、あのー」
「はい、チューリップさん」
「調査員の人って、どんな人なんですか?」
 ああ、と王妃はパンと手を叩いた。
「言うのを忘れてたわね。カトレアっていう子よ。あなた達より一つ下なの。仲良くしてあげてね」
 そのカトレアという調査員は十五歳ということになる。名前からして女性だ。調査員と聞くとチューリップはてっきり眼鏡や髭を生やした男性だと思い込んでいたのだが、どうやら違ったようだ。自分達よりも下となると、さらに若く感じる。
 ふと、新たな疑問が浮かび上がってきた。
「もう一つ聞いていいですか?」
「はいどうぞ」
「コスモス様は何歳――もごっ!?」
 突然口を塞がれた。マーガレットが背後から覆いかぶさるようにして密着し、口元を両手で押さえていた。
「まったくこの幼なじみは何をワケの分からない事を言ってるんでしょうね! そ、それではコスモス様! わたくし達はこれより任務に就きますので退室させていただきます! ごきげんよう!」
 早口でまくしたてると、マーガレットはチューリップの腕を掴んで脱兎のごとく駆け出した。玉座を出て、親衛隊には目もくれずに廊下を走り抜ける。
 階段を下り、親衛隊の目が届かないと確認すると、マーガレットはようやく立ち止まった。肩で息をしながら、ずいとチューリップに迫る。
「あなた馬鹿ですか! アホですか! 脳みそお花畑ですか! 自殺志願者ですか!」
「な、なんか最後おかしくない? 何なの急に?」
「一国の姫様に歳を聞くなんて身の程知らずにも程がありますわよ! 特にコスモス様の場合は失礼とかいうそんな程度で済むような話でもありません!」
 さらに身を乗り出すようにしてマーガレットが迫ってくる。鼻の頭がくっつかんばかりに接近した治療士は、見たことのないような顔になっていた。恐怖の色で染まっている。
「これは噂ですが、コスモス様に年齢を尋ねた方は以前にもいらっしゃったそうです。その方はその日を境に行方不明となり――」
 ごくりとチューリップは生唾を飲み込んだ。今更ながらとんでもないことをしてしまった、と後悔の念に駆られる。
「み、見つからなかったの?」
「いえ、数日後に城内で発見されました。ただ、お喋りであったはずの彼女は物言わぬ仏像のようになってしまったと聞きます。コスモス様に忠誠を誓い、とにかく王妃のために尽くす存在になってしまったとか……」
 チューリップは、ふと親衛隊の姿を思い浮かべた。玉座の扉を守るようにして佇む、鎧のような法衣を着た、二人の魔法使いを。
 冷や汗が流れた。はは、と乾いた笑いが漏れる。
「マーガレット、善は急げだよ! 今すぐアクロライトに行こう!」
「同感ですわ! そうしましょう!」
 二人は逃げるようにして城を後にする。今聞いた話は忘れよう、とチューリップは自分に言い聞かせた。

 アクロライトは、簡単に言うと鉱山の町だ。山のふもとにあって、石でつくられた背の高い建物が連なっている。山で採掘された鉱石は、装飾品だけでなく、工具や武器などにも加工される。
「あたしたちにはあまり縁のないところだよね」
 チューリップは道行く住人たちの視線を気にしつつ呟いた。
 実際のところ、この町は男性の比率が多い。力仕事は基本的に男性の仕事だ。厳密には男性が唯一持てる役割が、こういった直接的な作業なのである。
 魔法を使えば採掘や農作業もあっさりこなすことはできる。だがそれでは男性がやはり何もすることがなくなってしまうのだ。それに、女性が持つ魔力とて無限ではない。毎日魔法を多量に行使し続ければ、身体にも影響が出る。
 コスモス王妃曰く「女性をサポートするのが男性のお仕事です。がんばって働いてね」。
 マーガレットは高くそびえ立つ時計台を見上げた。
「ですが、なくてはならない町でもありますのよ。剣や盾などの装備もここでつくられていますからね。特に男性には必須です」
 魔法が使えない男性は武器に頼る他ない。魔法使いが武器を使わないというわけでもないが、ごく少数だ。基本的にはマーガレットのように、己の魔力を制御するための杖などを持つ場合がほとんどである。
「武器なんて邪道だよ。女なら拳ひとつ!」
「それはあなたが自己強化タイプだからでしょうに。拳士はむしろレアなくらいなのです」
 チューリップが杖を持たないのは、制御が不要だからだ。魔力を身の内に秘めたまま行動するので、暴発する危険性はほとんどない。
 逆に、マーガレットのように魔力を外へ解き放つ場合は話が変わってくる。一の力を出すつもりが十も出してしまうこともあるし、狙った方向に飛ばないこともある。だからこそ特殊につくられた杖が必要なのだ。
「そんな話をしている暇はありませんわよ。カトレアさんが待つ研究室へ向かいましょう」
 大きな帽子から伸びる茶色の髪を揺らして、マーガレットが歩き始めた。チューリップは後ろからついていく。
 道すがら、男性たちの視線が気になった。女性――魔法使いがこの町を訪れること自体、珍しいことなのだろう。敵意がある目ではないが、あまり居心地はよくない。
 白い建物の前で立ち止まる。他の建造物とは違い、さほど高くないが幅が広かった。博物館みたいだな、とチューリップは心中で呟く。
「ここですわね」
 マーガレットが扉を押し開く。ぎい、と小気味よい音とともに内部の匂いが漂ってきた。砂っぽい匂いだ。
 中は明るく、机や椅子がいくつか雑に並んでた。形跡はあるものの、人影が見当たらない。
「おや、留守でしょうか」
 誰もいないことは一切気にせず、チューリップは研究所内を進んでいく。
「うわー、これすっごいね」
 内部の中央は大きく窪んでいて、入り口から入ってきたチューリップ達はその部分を見下ろすことができた。
 灰色の岩が連なっている。全体的に滑らかで、太く長い岩を中心とし、四方にその半分ほどの太さを持つ岩が飛び出していた。
 鉱石でできた巨大な人間に見える。
「これがゴーレムなのかな。なんか、ただの岩って感じ」
「それを確かめに来ましたのよ」
 巨大な岩の標本を見下げつつ、マーガレットは法衣のポケットから小瓶を取り出した。中には黒い石が入っている。吐き出したあの石だ。もし真実であれば、ゴーレムの欠片を飲み込んでいたことになる。思わず顔をしかめた。
 チューリップはというと、勝手に岩の連なりをべたべたと触り始めていた。
「うーん、やっぱり普通の岩だよ」
「こら、触ってはいけませんわよ。それにしてもカトレアさんはどこに行ったのでしょうね。連絡は着いているはずなのですが……」
 周りを見渡しても、人の気配はない。どこかに出払っているのだろうか。外の通行人に聞けば分かるかもしれない。
「……?」
 キン、と音がした。ガラスに何かが当たるような音だ。
 マーガレットは後ろを振り返る。扉はさきほど閉じたまま、動いた様子はない。机も、椅子も、掘るための道具も、なにも変化はないように見えた。
 キン。
「……あ」
 手に握っている小瓶を凝視する。
 黒い石が、中で蠢いた。
「ひゃっ!?」
 生き物のように動き始めた石に驚き、マーガレットは小瓶から手を離してしまった。
 しまった、と気づいたときには、小瓶は床に激突していた。割れる音が研究所内に響く。薄いガラス瓶だったため、いとも簡単に砕けてしまった。
 黒い石が転がる。転がる。転がる。止まらない。ここは平面だ。研究所が傾いているはずはない。それでも石は、何かを求めるようにして転がっていく。
 巨大な岩のもとに。
「チューリップ! 石を止めてください!」
 マーガレットは思わず叫んでいた。なにかまずい気がする。正体の分からない不安がよぎった。
「石を接触させてはいけません!」
「そんなに慌てなくてもいいのに」
 自分のもとへ向かってる小さな石を、チューリップはブーツで踏もうとした。足をあげたとき、転がる石に変化が起きる。
 ふっ、と浮き上がったのだ。
「と、飛んだぁ!?」
 チューリップが思わず仰け反った。手を伸ばすが、小石は赤髪少女の手をするりと避け、巨大岩の標本へと一直線に飛行した。
 黒の石が、岩に溶けるようにして吸い込まれていった。
 今の出来事をマーガレットはぽかんと口を開けて眺めていた。理解できなかった。石がひとりでに動くなどあり得ないのだ。魔力がこめられた魔結晶でもそんなことは起きない。
 一瞬の沈黙。巨大な岩の塊が、わずかに震えた気がした。
「離れなさい!」
 岩のそばにいる幼なじみを呼び戻す。
 標本だった岩の連なりが、体を起こした。人が睡眠から起き上がるように。上半身らしき部分と、続いて両足のような二本の太い岩が体全体を持ち上げる。頭と思われる丸みを帯びた岩が、天井を突き抜けた。
 研究所全体が音を立てて揺れる。
「マーガレット、外に出て!」
 ぐい、と腕を引っ張られ、チューチップと共に外へ飛び出した。
 同時に人の形をした岩――ゴーレムが、研究所を中から破壊しながらその姿を空の下に晒した。
 住民がどよめく。突然現れた巨大な岩を見上げ、ある者は悲鳴を、ある者は好奇心から声を荒げた。
 体長は、近くに建っている三階建ての屋根よりも高い。先日の植物魔獣よりも一回り大きいように見えた。
 ゴーレムは二人の魔法少女を見下ろした。ごつごつとした腕のような長い岩を、振り下ろす。
「危ない!」
 チューリップがマーガレットの体を持ち上げ、後方へ跳躍した。当然魔力で体を強化しているため、普通の人間とは思えないジャンプ力でゴーレムと距離をとる。
 さっきまで立っていた地面が、けたたましい音をたてて抉れた。住人たちはその状況を見て、慌しく逃げ始めた。
 ゴーレムはこちらに向かってくる。ずしんと地面を揺らしながら。

 チューリップは幼なじみに頷きかけると、ゴーレムに向かって駆け出した。住人たちに被害が及んではいけない。この巨大な生きる岩を止めなくては。
 小さな少女に対し、ゴーレム再びその腕で攻撃してきた。縦に振り下ろされる太い腕を、横へと回避。地面に叩きつけられたそれに飛び乗って、頭部まで駆け上がる。
「こんのおおおおおお!」
 魔力を込めた右拳を、顔面と思しき丸い岩肌に叩き込んだ。強化したチューリップの拳は地面をも砕く威力がある。それはゴーレムに対しても効果はあった。
 音をたてて腕がめり込む。手のひらの中心に魔力を集め、解放した。
 爆発したような音。岩の頭は内部から破壊され、粉々に砕け散った。ゴーレムが膝をつくのをチューリップは確認した。
 周囲が感嘆するようにどよめいた。チューリップは着地すると、マーガレットに振り返る。
「やったよー!」
「馬鹿! まだですわよ!」
 え、とチューリップは再びゴーレムに視線を戻す。目の前に、岩の腕が迫ってきていた。
「うぁ!?」
 とっさに頭の上で両腕を交差させる。重い衝撃が降ってきた。両足が、地面にめり込んだ気がした。
「ううう――!」
 歯を食いしばって耐える。魔力をこめた両腕で防御しているものの、ゴーレムの腕は重みが尋常ではなかった。
 視界の端で、もう一本の腕が動くのを見た。今は両腕が塞がってしまっている。はっ、と息を呑んだとき、横からその腕が激突してきた。
「ぐはっ!」
 脇腹を突き抜ける激痛。なぎ払うような腕が、チューリップの小柄な体は簡単に跳ね飛ばした。建物の壁に肩から衝突し、地面に倒れこむ。
「ぐっ! かは――!」
 脇腹を殴られた痛みと、壁に強かに打ちつけた体から酸素が抜け落ちた。一瞬呼吸困難に陥って、視界が明滅する。
 巨大な体が近づいてくる。呼吸を整えながらゴーレムを見上げたとき、巨大な肩に火球が飛んできた。爆発音とともに炎の玉が爆裂し、ゴーレムの肩が一部蒸発する。
「こちらです!」
 マーガレットが杖を目標に向けて指し示しながら、<ファイアーボール>で攻撃をしかけたのだ。ゴーレムはチューリップから、治療士の方へと体を向けた。
「まだいきますわよ!」
 手のひらほどの火球がいくつか彼女の周りに出現する。杖を振ると一斉にゴーレムへと発射された。
 胴体、腕、足に着弾していく。爆発音が鼓膜を叩いた。巨体が揺れる。
 ゴーレムの歩みが止まった。岩でできた巨体が屈みこんでいく。
 攻撃を受けたからではなかった。両足をぐっと引き伸ばし、その巨体が宙へと飛び出していく。
 ジャンプしたのだ。
「む、無茶苦茶ですわ!」
 降ってくる脅威から慌てて距離を離す。ゴーレムが着地すると、地面にヒビが走った。地震のような揺れが周囲を襲う。
「あっ、マーガレット!」
 今の振動で、幼なじみが転倒した。
 岩の腕が伸びていく。チューリップは両足に魔力を込める。地面を抉りながら駆け出した。風をまとったチューリップは文字通り神速だ。
 マーガレットの前へと立ち塞がるように躍り出る。突然現れた赤髪少女に驚いた様子もなく、ゴーレムはチューリップを握り締める。
「うっ――ぐぁ!?」
 ぎりぎりと体が締め付けられていく。岩肌が体にめり込む感触が、激痛を伴ってチューリップを襲った。
「チューリップ!」
 後ろで幼なじみが声を荒げた。
「いいから! 今のうちにでっかいのぶち込んで!」
「な……まったく! 少し待ちなさい!」
 ゴーレムには小さな魔法では効果がなさそうだった。自分の部分的な破壊ではなく、マーガレットの大火力魔法なら倒せる。チューリップはそう考えた。
 ただし初歩的な魔法とは違って、上級の魔法は詠唱に時間がかかる。それまでゴーレム注意を引く必要があった。
「が――ああぁぁ!」
 ゴーレムの力は尋常ではなかった。魔法で肉体を強化していても、小柄な少女は痛みで呻き声をあげた。ごつごつとした岩肌が握りつぶさんばかりにめり込んでくる。
「か―ーはっ! かぁ――!」
 肺から酸素が搾り出された。呼吸すらまともにできない。掠れた声で、チューリップは悶える。口の端から涎が流れ落ちる。
 背後で幼なじみが言葉を紡いでいる。それもだんだんと遠くなっていった。
(マーガレット、早く――)
 マーガレットの詠唱はまだ終わらない。
 次第にぼやけていく視界の中、チューリップは何かが横切るのを見た。ゴーレムと自分の間をそれは駆け抜けていった。
 ふっ、と体が解放される。気づいたときには地面へと落下していた。ゴーレムの腕ごと。
「かはっ――! な、なに――?」
 何が起きたのか分からなかった。咳き込みながら確認する。先ほどまで自分を握り締めていたゴーレムの腕が、真ん中から消えてなくなっていた。
 斬られてる、とチューリップは悟った。爆発したわけでも、千切れたわけでもない。腕の断面は刃物で切ったように綺麗だった。

 ゴーレムの腕がチューリップを握り締めたまま落下する。マーガレットにもその状況が理解できなかったが、詠唱は止めなかった。集中力を切らすと無駄になってしまう。
 巨人の残った方の腕が、チューリップに伸びようとした。
 詠唱が完了する。
「チューリップ、離れなさい!」
 赤髪の幼なじみは、切り落とされた巨大な手から抜け出した。それを確認すると、狙いをゴーレムに定める。
 遠慮などいらない。文字通り全部吹き飛ばす。
「<サンシャインウェ―――――――――――ブ>!!」
 あらん限りの力で叫ぶ。
 ゴーレムに向けた杖の先から、まばゆい光が発射された。轟音。人間を軽く覆いつくすほどの太さを持ったその光の波動が、一直線にゴーレムを目指した。
 巨人の胸を貫く。胴体に大穴が開き、ずしんと膝をついた。
 光が収束していく。マーガレットは極度の疲労を感じて、ぺたりと地面に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
 肩で息をするマーガレットのそばに、何かが転がってきた。黒く、拳一つ分ほどの大きさだ。
 それを見たマーガレットは息を呑む。以前飲み込んだ黒い石とそっくりだった。ゴーレムが動き出す前、小さな石が巨人の胸に吸い込まれていったことを思い出す。
 黒い石は、死にかけた虫のように蠢いていた。再びゴーレムと同化しようとしているのか、少しずつ動き始める。
「そんな……破壊できなかっ―ー」
「それで十分です」
 少女のような声が横切った。チューリップよりも幼い。
 声の主を見上げた。彼女は全体的に黒だった。束ねた髪が一房、後頭部で揺れている。黒の衣服と赤を基調とした格子模様の短いスカートに、膝上まであるソックス。すぐにリーフガーデン国の法衣であることに気づいた。
 黒髪の少女が石へと歩み寄っていく。彼女は得物を手にしていた。剣のようだが、少し違う。マーガレットは本で読んだことがある。東方の島国に伝わる特徴的な剣があることを。
 刀。
 少女は刀を、黒い石に突き刺した。びくりと石が痙攣したかと思うと、次の瞬間には砂となって崩れ始めた。さらさらと、刀が突き刺さった部分から砂へと変化していく。
 ほんの数秒間で、黒い石はただの砂になってしまった。
「もう活動することはありません」
 黒髪の少女がマーガレットに振り向く。刀が左腰にある鞘へと収められた。滑らかなその動きは思わず見惚れてしまうほどだった。
「あなたが……カトレアさん?」
 マーガレットは体の疲労も忘れて、よく状況が飲み込めないまま尋ねていた。
 黒髪の少女は、こくりと頷いた。
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花びらたち 1-2

 セレスタイト村は、現在は人口三十人程度の住人しか住んでいない。リーフガーデン国が立ち上がった際、ほとんどの住人は城下町に移り住んだからである。
 馬車から降りた二人の魔法使いは、全く活気付いていない村を眺めていた。時刻は昼を過ぎてしばらく経つ。チューリップが、乱雑に置かれた荷車を一瞥しながら呟いた。
「みんな一緒に来ればいいのにね」
「この村にいるのは男性ばかりです。無理もありませんわ」
 マーガレットは杖を柄を撫でた。
 村にとどまっているのは、まだ国の方針を信じ切れていない男性がほとんどだ。女性がいるとすれば、まだ生まれて間もない赤ん坊か老人だろう。
 男性は魔力を持たないため、昔から女性より立場は弱い。それを改善し、魔力の有無や人種関係なしに平和をつくろうという理想をかかげているのがリーフガーデン国である。
「わが国はまだ立ち上がったばかりですからね。知名度としてはまだ低いですわ」
「それじゃ、良い事して名をあげなきゃだね」
「簡単にいえばそうなりますわね」
 チューリップの発言は単純だったが、実際その一面もあった。セレスタイト村そのものはまだ国に順じていないが、平和を望む国としては放っておくわけにはいかない。魔力にも作用するとされる病気を解決し、男性たちの信頼を得ることも大切だ。
 二人はある民家へと向かった。報告によれば、既に一人の治療士が病気に侵され、村で待機しているはずだ。その人物は、マーガレットもよく知っている。
 マーガレットが扉を軽く叩いた。
「リーフガーデン国、治療士のマーガレットです。アロエさんはいらっしゃいますか?」
「は、はい。どうぞ」
 怯えているような声色が返ってきた。失礼します、とマーガレットは扉を開けて民家へと足を踏み入れる。
 中は必要最低限の家具しかない殺風景な場所だった。治療士アロエは、ベッドに座ったままマーガレットたちを迎えた。
「マーガレットさん、まさかあなたが……」
 アロエも治療士の法衣をまとっている。朱色の長髪は乱れ、顔色が悪い。
「あなたが心配で、派遣に立候補しましたのよ」
 マーガレットとアロエは同期だ。治療士としての訓練や勉学を共に過ごした時間は長い。マーガレットから見ても彼女は優秀で、そして泣き虫であるということを知っている。
「こちらは拳士のチューリップです。わたくしのボディーガードですわね」
「ああ、あなたがチューリップさん? マーガレットさんからよく話は聞いています。猪突猛進で危なっかしくて、放っておくと何をしでかすか分からないって――」
「あー、あー、こほん」
 わざとらしく咳払いをするマーガレットの頬は少し赤く染まっていた。チューリップはというと恥ずかしそうに「照れるなぁ」と鼻の頭をかいていた。
「褒めてませんから!」
 と、マーガレットの素早い突っ込みが飛ぶ。二人の様子を目の当たりにしたアロエはくすりと笑ったが、すぐに表情が曇った。
「村に住む女性たちは、みなさん魔力が枯渇しています」
「やはり……到着してからおかしいと思っていましたわ。魔力の波動がまったく感じられません」
 魔力はいわば、もう一つの心臓だ。他人の魔力は鼓動として感じ取ることができる。当然それは魔力の強さと弱さも関わってくる。
「アロエさん、あなたも魔力が……大丈夫なのですか?」
「は、はい。魔力供給を行ったので……」
 アロエは目を泳がせながら答えた。
「なっ……空っぽ寸前になるまで供給したのですか!? 無茶ですわ!」
 突然の大声にアロエとチューリップまでもが肩をびくりと震わせた。
 魔力供給は自分の魔力を他人に分け与えることだ。血液と同じで相性もあり、リスクの方が大きい。与える側は激しく消耗し、与えられる側は微量の魔力しか回復できない。
 マーガレットは友人を睨みつけながらも、ため息をついた。
「あなたらしいといえばあなたらしいのですが。無理はなさらないでくださいませ」
「は、はい……ごめんなさい」
 体を縮こまらせたアロエは、うつむいてしまった。
 しかし一方で、マーガレットは彼女を尊敬の眼差しで見つめた。自分を省みず誰かを助ける。治療士の鑑といえる行動だろう。
「ねえ、原因は分からないの?」
 しばしの沈黙の後、チューリップが尋ねた。
「えっと……南東にある森の奥地が怪しい、と……」
「怪しい? はっきりとは分からないんですの?」
「あ、あの……瘴気が感じられるんです」
 なるほど、とマーガレットは頷いた。魔力にまで影響を及ぼすのだから、ただの病気ではないことは分かりきっている。何か見えない力が働いている。考えられる可能性はいくつかあるが……
「魔獣かもしれませんわね」
 魔獣。人間や亜人とも違う別の生命体だ。進化の過程がずれたなどという憶測も飛び交っているが、そんな仮説は到底当てはまらない全く別の生き物である。人間はもちろん亜人も魔獣に襲われることがある。この世界の異物――モンスターである。
「しかし、だとすればわたくしたちもその森へ近づけませんわね……それに、村にもすでに浸透しているのでしょう?」
「それ、なんですけど。これを飲んでください」
 アロエが法衣のポケットから小さなビンを取り出した。中には錠剤のようなものがいくつか入っている。黒かった。それを見たチューリップが、恐ろしいものを見たような表情でおそるおそる後ろへ下がる。
 マーガレットが杖で赤髪拳士の行く手を遮る。
「待ちなさいチューリップ。なにを逃げようとしているのです?」
「あ、あはは。違うよ。ちょっとその、森を見に行ってみようかなーって」
 はあ、とマーガレットはため息をつく。長い付き合いだから知っている。チューリップは薬が苦手なのだ。
「あなたわたくしと同じ十六歳でしょう。薬くらい飲めないでどうします」
「苦手なものは苦手なの!」
「まったく……アロエさん、この薬は?」
「瘴気の影響を少なくさせる薬です。私が調合しました。色は悪いですけど」
「そういうことでしたら、ありがたくいただきましょう。お水をください」
 ビンを受け取り、中から黒い錠剤を二粒出して、チューリップに一つ押し付ける。「うえ~」と赤髪の幼なじみはいつまでも躊躇していたが、マーガレットが睨みをきかせると渋々口に含んだ。
「では、森へ行ってみましょう。アロエさん、案内できますか?」
「ご、ごめんなさい。私はもう森に近づくことが……」
「……そうですわね。ではわたくしたちだけで」
 すでに魔力をほとんど消耗しているアロエにとって、瘴気はそれこそ毒そのものだ。彼女の体にこれ以上大きな影響を及ばしては危険である。
「役に立てなくてごめんなさ――けほっけほっ」
「大丈夫ですの?」
 アロエの体は疲弊しきっているのが見て取れる。彼女一人で何日かこの村の人々を支えてきたのだから、無理もないだろう。マーガレットは後ろ髪を引かれる思いで友人を見つめた。
「いいよマーガレット。あたし一人で行ってくるから」
 チューリップの言葉に、はっとして振り返る。彼女は笑みを浮かべていた。小柄な体だが、頼もしく、信頼できる笑顔だった。
「しかし……」
「いいってば。アロエさんのそばにいてあげなよ。こっちは任せといて」
 赤髪の拳士は、自分の薄い胸をぽんと叩いた。

 チューリップは村の男性を案内役として森へと向かって行った。
 彼女の申し出には正直感謝していた。マーガレットはアロエの状態を見て正直不安でたまらなかった。魔力の底が尽きるというのは最悪の場合、死に至る。女性のみ持っている魔力というのは、魔法が使えるという大きなメリットがある反面、死に直結するリスクも併せ持っている。
 アロエの表情は先ほどから良くない。不安や疲れが混ざり合って、呆然としているようでもあった。
「心配いりませんわ。チューリップには無理をしないよう念を押しましたし」
「あ、はい……」
 普段も物静かであまり口を開かないアロエだが、いつもとは違う雰囲気が感じられた。マーガレットは心の中で首をひねる。
(なんだか、別のなにかを気にしているような)
 違和感。どうも様子がおかしい。
 マーガレットは彼女の隣に座って、手を掴んだ。
「少しだけ魔力を供給します」
「え? あ、あの」
「ほんの少しですわ。これで元気を出してください」
 魔力が戻れば、多少なりとも心身ともに回復するはずだ。マーガレットはそう考え、目を閉じて念じる。
「……?」
 変だった。自分の魔力が放出されない。
(まさか、既に瘴気の影響が……?)
 いや、と己を納得させるように首を振る。今日はまだ魔力を消費していない。胸の内、奥底にある魔力の泉はまだ溢れるほど残っている。それなのに、彼女へ魔力を送ることができない。
「……逃げてください」
 アロエの声は震えていた。え、とマーガレットが彼女の目を見つめる。
 その時だった。扉が破られるかのような勢いで開き、一人の男性が入ってきたのだ。
「チッ、俺はあっちの方が好みだったんだが……まあいい」
 嘗め回すような視線を送ってきた。マーガレットはそばに立てかけておいた杖を握り込む。
「何ですのあなたは。家に入るときはノックと挨拶をするものです」
「ああ、すまなかったな。それじゃあ」
 お邪魔します、と開かれた口から、奇妙な色をした花が咲いた。
「なっ……!?」
 続けて衣服の裾から、緑色をした触手のようなものが生え始めた。
 直感する。魔獣だ。
 マーガレットはアロエの手を握ったまま裏口へ急ぎ、外へと飛び出す。日は傾き始めており、オレンジ色の空が村を包んでいた。
「残念だが」
「逃げられない」
 家の外へと躍り出ると、そこには巨大な花が行く手を阻んでいた。それも二体。
 改めて魔獣であると認識する。毒々しい色をした四枚の花びらが太い茎の頂点に咲いており、うねうねと脈打つ触手が両腕のようだった。
「諦めな、魔法使い」
 背後から声が飛んだ。振り向いた先に、今遭遇した二体の植物魔獣よりも一回り大きな花がそこに立っていた。正面から入ってきたあの男だ。
 挟み撃ちにされている。だがマーガレットは冷静さを取り戻していた。
「ふん、残念なのはそちらの方ですわ。植物系の魔獣などむしろ好都合です。わたくしは炎属性ですのよ!」
 もはや問答無用だ。マーガレットは杖を天高く掲げ、唱える。
「<ファイアーボール>!」
 ぴたり、と時間が止まったように思えた。何も起こらない。
「な、なぜ……」
 マーガレットは動揺した。先ほどアロエに魔力を送ろうとしたときと同じだ。自分の魔力は残っているはずなのに、放出されない。
「なんだ、今時の治療士は攻撃魔法まで使うのか?」
 大型の植物魔獣が、薄気味悪い笑い声をあげた。手下らしき二体の魔獣もつられたように笑っている。
「そこ女が貴様に飲ませたのは薬じゃない。石だ」
「石……ですって?」
「それも特別でな。魔法を封じる石だ。小さいんでそれだけじゃ全く役に立たねぇが、貴様の体の中に入り込んでたらどうだ? 十分だろう?」
 はっ、と口元を押さえる。アロエに渡されたあの薬だ。
「しかも胃にいつまでも残り続けるのさ。溶けないしあそこからも出やしねえぞ。ひひひ」
 下品な笑い声に吐き気がする。
 マーガレットは友人に視線を向けた。朱色の髪をした彼女は、今にも泣き出しそうな顔で見つめ返してきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「みじめな女だな。結局は自分が一番可愛いってことだ。そのためには仲間なんか捨てるんだよ」
 マーガレットはなんとなく察しがついた。この村は既に植物魔獣の手に落ちていたのだろう。そこへ治療士として派遣されてきたアロエは、彼らの巣へ飛び込んだのだ。治療士隊に届いた救援要請は、アロエが彼らに利用されて送ったもの――
「村のやつらは殺しちまったし、そいつもそろそろ飽きた。女をもっと連れてこいって言ったら、ひひ、しっかり果たしてくれたじゃねえか」
 沸々と、胸の奥が焼けるような怒りが満たされた。
「この下衆……!」
「ははっ、威勢はいいが、今のお前には何もできんぞ。おとなしくしていろ」
「そうはいきません!」
 法衣のポケットから赤い宝石のような石を取り出す。硬貨ほどの大きさだ。数は二つ。それらを、逃げ道を阻んでいる二体へ投げつけた。
 宝石は夕陽を浴びながら魔獣へと着弾する。その瞬間、爆発したような音とともに宝石が弾け、魔獣たちの体が炎で包まれた。
「ガアアアアアアアアアアア!」
 断末魔の悲鳴。燃えていたのはわずか一瞬で、植物たちは瞬く間に灰と化した。わずかな風が吹き、灰が舞い上がる。
 道は開けた。
「走りますわよ!」
 マーガレットはアロエの手を痛いほどに握りこんだまま、駆け出す。今はこの場から逃げるしかない。魔法が使えない自分など、何の役にも立たない。
 チューリップと合流しよう、と考えた時だ。両足に軽い衝撃が走った。
「え?」
 続けて浮遊感。マーガレットは一呼吸の内に、仰向けに地面へと倒れこんだ。とっさのことで受身が取れず、頬を強かに打ちつけた。
「マーガレットさぁん!」
 ふと気づくと、左手に友人の手の感触が消えていた。痛みを堪えながら顔を上げると、繋いでいたはずの手の先にアロエの姿がない。
 彼女は大型植物魔獣の触手によって拘束されていた。魔獣の頭――巨大な四枚の花びら付近まで持ち上げられる。この距離からでも分かるほど、アロエは恐怖で大泣きしていた。
「魔結晶なんて貴重なものを……。確かにそれなら魔法が使えなくても関係ないな。それにしても貴様本当に治療士か? この泣き虫な女とは全然違うな」
「アロエさんを放しなさい!」
 ポケットから赤の結晶を取り出しながら立ち上がる。これが最後の一個だ。
 ひひひ、とまた鳥肌がたつような笑い声が鼓膜を叩く。
「お前の考えていることは分かるぞ。さっきのやつらみたいに、簡単に俺を倒せるとは思ってないんだろう」
 マーガレットは歯を噛んだ。図星だ。今目の前にいる植物魔獣は、先ほど倒したものより体長が遥かに大きい。この魔結晶一つではやつを灰にすることができないかもしれない。
(口の中へ……体内へ押し込めばあるいは……!)
「俺の口の中へ放り込めばいい、とか?」
 完全に見破られている。焦りがつのる。
「だから諦めろと言ってるだろ。今頃貴様の仲間も……ひひひ!」
「チューリップのことですの? あいにくですが、そう簡単にやられはしませ――」
 血の気が引いた。あの薬を、チューリップも飲んでいる。彼女は男性に連れられて森へと向かった。その男性とて、当然魔獣だ。魔結晶を常備していない。戦い方に反するから、と。
 魔法が使えない魔法使いは、ただの人間だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
 触手に捕まって宙に浮いているアロエが、涙をぼろぼろと流しながら延々と呟いていた。彼女はマーガレットを見つめて、必死に。
「チッ、さっきからうるさい女だ。もういい」
 魔獣のもう片方の触手が蠢いた。本体よりも長いその緑色をした触手は先端が尖っている。
 なんの躊躇もなく、身動きできないアロエの腹を刺し貫いた。
 なにかが破けるような音がした。
「がっ……!?」
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。マーガレットはぽかんと口をあけてまま、友人の体に一本の太い何かが突き刺さっていくのを眺めた。
 ごふっ、とアロエの口から真っ赤な鮮血が吐き出される。背中まで貫通した触手が引き抜かれた。拘束していた方の触手が彼女の体を投げ飛ばした。
 マーガレットのすぐ近くに、音をたてて落下する。
「ア、アロエさああああああああああああん!」
 我を忘れて走り出す。友人のもとへたどり着く前に、足が止まった。首に冷たいものが巻きついてくる。
「ぐ……ぁ!」
 両足が地から離れた。触手が首に巻き、きつく絞め上げてくる。帽子がこぼれ落ち、杖を取り落とした。
「この女はもう魔力がほとんど残ってないから使い物にならねえ。今度は貴様のを貰うぜ、ひひ」
 胸の奥が大きく脈打った。魔力の源が震えている気がした。身体から抜けていく――吸い取られていくような感覚。
 じたばたともがく。触手を引き剥がそうとするがビクともしない。
「あ――! ぎ――ぁ――!」
 声にならない。ひゅー、ひゅーと掠れた呼吸しかできない。触手は絶妙な力加減で、死なない程度に絞めているようだった。
 圧迫感。飛び出さんばかりに両目を剥く。舌が突き出て、涎が口元を流れ落ちた。視界が滲む。涙だった。
「か――は――!」
 滲んだ夕焼け空の中に、マーガレットは見つけた。飛行船ではない。もっと小さなものだ。それは一直線にこちらへ向かってきている。
 それは、赤い髪の少女だった。
「はあああああああああ!」
 空を裂くような声とともに、その少女はマーガレットと植物魔獣の間に突っ込んできた。狙いは触手だった。
 ぶち、と鈍い音がして、マーガレットは首の圧迫感から解放された。落下していく。地面に叩きつけられる寸前、浮遊感を覚えた。
 今度は触手ではない。幼なじみが、体を抱きかかえてくれていた。
「ぐっ……げほっげほっ……!」
 マーガレットは首を押さえながら咳き込む。優しく地へと降ろしてくれたチューリップを見上げた。瞬間、目を瞠った。
 ホットパンツから伸びたむき出しの両脚はところどころ切り傷があり、出血していた。格闘法衣も切り刻まれており、上半身は下着と肌が見え隠れしている。
「あっ……チュー、リップ……」
「ごめんね、遅れちゃった」
 そんなぼろぼろな体になりながらも、赤髪の魔法拳士は笑みを浮かべた。だがアロエの姿に気づくと、戦いの表情へと戻った。
「ど、どういうことだ! なぜ貴様がここに!」
 植物魔獣は明らかに動揺していた。予想外の出来事だったのだろう。マーガレット自身も驚いている。
 対してチューリップは、さらりと答える。
「あんなやつらであたしを倒せると思ったの? 侮らないでよね」
「そういうことを聞いてるんじゃない! 貴様もあの石を飲んだはずだ!」
「……石って?」
 そうなのだ。チューリップもあの錠剤を――魔法を封じる石を飲み込んだはずだ。それなのに彼女はたった今、空を飛んできたのだ。
「あ、あの薬のこと? やっぱり苦手だから飲み込んだふりして捨てたよ」
 しん、と場が静まり返った。マーガレットも、植物魔獣すらも、言葉にならないようだった。
(まったく、あなたという人は……)
 幾分呼吸を取り戻したマーガレットは、呆れたように幼なじみを見つめた。そしてふと、思い至る。
「アロエ、さん……!」
 倒れている友人のもとへと駆け寄る。
 重症だった。腹部に穴が開いていて、おびただしい量の血液が溢れ出ている。真っ白な法衣が真っ赤に染まり、口元も血で濡れて、体がわずかに痙攣している。
 マーガレットはためらいなく法衣の裾を破いた。すらりと伸びた脚の素肌をさらすのも構わずに、破いた法衣をアロエの腹へと押し付けた。たちまち赤へと変色していく。
「くそがぁ!」
 魔獣の触手が、今度はチューリップを襲った。平然とした顔つきで、魔法拳士はそれを片手でわし掴む。
「こっちもブチッてやっちゃうよ」
「ああん? ひひひ」
 気味の悪い笑い声は、チューリップにも不快だったようだ。眉を寄せて一瞬たじろぐ。
 植物魔獣の、短く残った方の触手がぶるぶると震え始めた。一呼吸のうちに、その触手が再生し始める。にょきにょきと、目を疑うような早さで伸び始めたのだ。
「俺は治療士の魔力を吸収したんだぞ? つまりこういうことだ!」

「それがどうしたぁ!」

 チューリップの怒号に、大気が震えた。マーガレットはびくりと肩を震わせる。植物魔獣も怯んでいた。
 こんな幼なじみは見たことがない。いつも明るく、元気で、笑顔が絶えない、幼い女の子のようなチューリップが、怒りで満ち満ちている。力強い魔力が感じられた。
「絶対に許さない。絶対に!」
「……! チューリップ! これを、あいつの口の中にぶち込んでやりなさい!」
 マーガレットは手に握りこんでいたものを投げ渡した。赤く光るそれを、チューリップはそれを受け取ると、頷く。
「任せて!」
 飛び込む。マーガレットにも分かる。このくらいの距離なら、一瞬で詰められる。風となったチューリップは、誰にも止められない。
「ぬああああ!」
 植物魔獣は悲鳴のような大声をあげながら、乱暴に触手を振り回した。魔法拳士を狙うが、かすりもしない。相手が一体だけなら恐れることはない。まっすぐに、目標だけを見ていればいい。
 マーガレットが瞬きしている間に、チューリップは既に魔獣の懐に飛び込んでいた。地を蹴り、己の五倍はあろうかという全長を持つ魔獣の頭部に、到達する。
 チューリップの右手が、炎に包まれた。風と炎が一体化し、凄まじい魔力が拳に宿る。それを見た植物魔獣は、運命をすぐに悟ったのかもしれない。だらり、と触手を垂らしてしまっていた。
「はあああああああ!」
 天を貫くような、燃える叫び。
 花びらが並んだ中央、口の中へと炎の拳を叩きつける。魔獣の体全体がびくりと脈打つ。直後、口元から炎が燃え広がっていった。それもやはり一瞬で終わる。爆発のような破裂音とともに、魔獣は灰となって崩れた。悲鳴はなかった。風に巻かれ、空気中に溶けるようにして消えていく。
 かすかな呻き声を、マーガレットは聞いた。はっとしてアロエの容態を改めて確認する。まだ腹部からは血が溢れていた。破いた法衣でいくら押さえつけても止まらない。
 半分ほど開かれた両目が、マーガレットを見つめていた。血に染まった唇が震えながら言葉を刻む。

「ごめ――なさ――」

 そう聞き取れた。マーガレットは胸の奥が締め付けられた。なぜそんなに謝るのだろう。彼女は利用されただけだ。何も悪くない。
「マーガレット! 回復魔法は!?」
 駆け寄ってきたチューリップに対し、首を振る。
「駄目です。わたくしは今、魔法が使えません。あの石――薬のせいです」
「そんな……! だったら、城まで飛んでいくよ!」
「間に合いませんわ!」
 確かに、チューリップが全力で飛行すれば城へとたった数分で到着するだろう。それはリスクの方が大きかった。アロエの状況は決して良くない。その数分が命取りになるかもしれない。
 それに、チューリップこそ危険だった。すでに彼女は戦いで消耗している。一人を抱えながら全力飛行したのでは、途中で力尽きることもありえる。
「今すぐ、ここで治療しなくては……!」
 その手段がない。チューリップは回復魔法を使えない。唯一助けられるはずの自分は魔法が封印されている。あの石さえ飲み込んでいなければ……
 ふと思い出す。あの魔獣は確か、石は胃に残り続けると言っていた。ならば。
「チューリップ、わたくしのお腹を殴りなさい」
 え、と幼なじみはまじまじと顔を見つめてきた。
「胃に残っている石を吐き出します」
「い、嫌だよそんなの! マーガレットを殴るなんてできない!」
「いいから早くなさい! 助けられるのはわたくしだけなのです!」
 チューリップは口をつぐんだ。彼女だって理解しているはずだ。今すぐここで回復魔法を使わなくては、アロエがもたない。魔獣に首を絞められたとき多少魔力を持っていかれたが、瀕死のアロエを治療するくらいの魔力なら残っている。
 これが今できる、最善の策なのだ。
 しばらく逡巡した後、分かった、とチューリップは頷いた。
「そこの、壁にもたれて」
 マーガレットは言われたとおり、すぐそばに建っている家の壁へと背中をぴたりと押し付けた。そして深呼吸。緊張で鼓動が早まる。
「お願いします……!」
 幼なじみの手がぎゅっと握り締められるのが見えた。思わず目を閉じる。無意識のうち、腹筋に力を入れてしまった。
 ずっ、と腹部に衝撃。異物が奥へと入り込んでくる感覚。
「うっ……! ぐうぁ……!」
 呻き声が洩れる。見開いた目の先、チューリップの腕が自分へと伸びているのが見えた。拳はすぐに引き抜かれる。腹部に残る鈍痛に、マーガレットはわずかに膝を折った。自然と体がくの字に折れる。
 治療士は、体力を鍛えることはあっても、攻撃を受けることについては基本的に考えていない。何故なら自分は後衛だし、前衛が守ってくれるからだ。
 今回、幼なじみはボディーガード役のはずだった。
「くぁっ、かはっ……!」
 自然と唾液が溢れ出た。こんなに苦しいものだとは思わなかった。腹を押さえて痛みに震えるが、マーガレットは怒りを覚えた。チューリップを見上げて叫ぶ。
「このっ……馬鹿!」
「え、あ……」
「手加減してどうします! けほっ、は、吐き出すくらい思い切り、やりなさい!」
 無理やり体を起こす。再び外壁に背中を押し付けた。鈍く痛む腹部から手を離し、無防備な状態をさらす。
 チューリップは困惑した表情を浮かべていた。幼なじみである自分を殴るのに抵抗があるのは分かる。だが、今は躊躇などしている時間はないのだ。アロエの治療が最優先。腹を殴られることの恐怖など、無理やりはねのける。
「チューリップ!」
「う、うわああああああ!」
 刺激させるように名を叫ぶと、拳が飛んできた。速かった。目を閉じる暇もないくらいに。
 先ほどより深く、強く、音を立てて、マーガレットの腹にねじ込まれた。
「ごっ……!?」
 背中越しに壁が震えた気がした。直接胃袋を殴られたようだった。拳が自分の腹にめり込んでいるのが見える。法衣が渦を巻くように拳に吸い込まれている。手首から先しか見えなった。
「あっ、がぁ……! ぁ!」
 拳が何かを探している。ぐいぐいと腹の中を泳いで、その度にマーガレットは口をぱくぱくさせながら唾液を吐き出した。
 ぴたり、と拳が止まる。探し物を見つけたように。直後、それを押し込むように捻り上げられた。
 胃が歪む。
「ぐぶっ!? う、うえええぇぇ!」
 喉の奥からこみ上げてくる感覚。口を押さえる力もない。マーガレットは胃の中身を吐き出した。栓が取れたように、口から白い汚物が吹き出る。
 チューリップの腕が慌てたように引き抜かれた。びくんとマーガレットの体が脈打ち、膝が折れて前のめりに倒れこむ。頬が地面にへばりつくのも構わず、嘔吐を続けた。
「ぐええぇぇ、あっ、がはっ……! かぁっ……!」
 吐き出したその中に、ぽつんと黒い物体を発見する。あの石だ。
(はやく、アロエさんに……)
 咳き込みながら、膝に力を入れる。だが立ち上がれない。腹部の激痛に、涙が溢れる。粘ついた胃液が口元から垂れる。
「はっ、ふ……かふ……!」
 嘔吐感は収まらない。荒く掠れた呼吸しかできないでいた。
「マーガレット!」
 幼なじみが寄り添ってきた。腕が肩に回され、引っ張り上げられるようにして立ち上がる。足をもつれさせ、崩れ落ちそうになりながらも、共にアロエのそばへ。
 アロエは両目を閉じていた。口も動いていない。それでもマーガレットは倒れこむようにして、彼女の腹部に両手を添えた。
 魔力を解放する。マーガレットの手が淡く光り始めた。アロエの真っ赤に染まった腹部を、癒しの光が包み込む。
(お願い……! アロエさん……!)
 祈る。必死で回復魔法を浴びせ続ける。腹部の痛みなど今は気にしている暇はない。
 チューリップの両手が、重なるようにして添えられた。赤髪の幼なじみに治療の力はない。祈っているのだ、彼女も。
 たった数秒だったかもしれない。数分だったかもしれない。マーガレットには分からなかったが、アロエの体がぴくりと動くのを確かに感じ取った。
 チューリップが、患部を押さえていた法衣を取り除いた。触手によって貫かれた腹の穴は塞がっている。血も止まっていた。
「間に合ったよ! マーガレット! ……マーガレット?」
 幼なじみの声が遠く聞こえる。マーガレットは全身の力が抜けるのを感じて、眠るように目を閉じていた。

 マーガレットはベッドの上で目を覚ました。自分の部屋とは違う天井。
「あ、起きた?」
 よく知った声に、体を起こす。チューリップは椅子から立ち上がってそばに寄ってきた。
 腹部がわずかに鈍く痛み、顔をしかめた。まるで鉛が腹の奥に残っているような感覚だった。
「あ、だ、大丈夫?」
「心配いりませんわ。安心なさいな」
 すぐ隣で、アロエが眠っていた。静かに呼吸しているのを確認する。
 ここは自分たちが村を訪れた際、アロエが待機していた家だ。窓を見ると、青い空が覗いていた。どうやら既に朝を迎えているようだ。
 チューリップはというと、目が赤く充血していた。顔色も悪い。
「ずっと起きていましたの?」
「うん。また魔獣が来ないとも限らなかったし」
 はあ、とマーガレットはため息をついた。同時に幼なじみに感謝する。自分はあの後すぐに眠り込んでしまったようだ。
 二人を家の中に運び込み、さらに見張りまでずっとこなしていたのでは、相当な重荷になっただろう。
「すみません。苦労をかけましたわね」
「そんな、謝るのはあたしだよ」
 思わず声を荒げたチューリップに反応したのか、アロエがかすかに身じろぎした。
「外の空気を吸いたいですわ。出ましょう」
 腹部のかすかな痛みをこらえながら、マーガレットはベッドから足を下ろして立ち上がる。扉のそばにたてかけてある杖を持って家を出る。
 後ろをついてきたチューリップの手をぐいと引っ張り、胸元に手を添える。
「え、なに?」
「あなたをまだ治療していません。動かないでください」
 ぼろぼろなのはチューリップも同じだった。昨日助けにきてくれたときは既に怪我をしていたし、魔獣を倒したうえに一睡もしていない。魔力や心身ともに疲弊しているだろう。
 手の平が白く光り始める。ん、とチューリップがくすぐったそうに声を洩らした。露出している両脚や両腕の傷が、塞がっていく。
「ほんとにごめんね」
「まだ言いますか。らしくありませんわね。アロエさんの謝り癖がうつったんですの?」
 茶化すように言ったが、チューリップは落ち込んだように俯いた。マーガレットは再びため息をつく。悪いことをした、と思う。殴らせてしまったことを。
「あなたのおかげでアロエさんは助かったのですよ。わたくしのことは気にしないでください」
 必要な行動だったのだ。他に解決策が思いつかなかった。苦しい思いをしたのは確かだが、マーガレットは幼なじみを恨んだりなどしていない。
 まだ納得できない様子のチューリップを見て、わずかに苛立ちを覚える。
「チューリップ、こっちを見なさい」
「なに? いたっ!?」
 胸元に添えていた手で、チューリップの腹を殴りつけた。
「これでおあいこですわ。満足しました?」
 マーガレットはわずかに痛む拳を見せつけた。人を殴るのは初めてではないが、やはり慣れそうにない。
 目をぱちくりさせていたチューリップは、急に真顔となった。裂傷がひどい格闘法衣からちらりと覗く腹を、突き出すようにして胸を反らす。
「もう一回。二回殴っちゃったし」
「細かいですのね。あなた本当にチューリップですの? また魔獣が化けているんじゃないでしょうね?」
「いいから! 本気で殴って!」
 まったく、とマーガレットは三度目のため息。
 チューリップは頑固なところがある。一度決めたらそう簡単に折れない心を持っている。そんな幼なじみが、マーガレットは好きだ。ふっと思わず頬が緩む。
「分かりましたわ。思いっきりやりますわよ?」
「うん。来い!」
 それこそ今までに出したことのないような力で、マーガレットは彼女の腹部に拳を突き入れた。格闘戦の知識はほとんどない。ただがむしゃらに、腹へと突き刺した。
 偶然にも鳩尾に入ったらしい。
「うぐっ……ぅぁ」
 わずかに前かがみになって、チューリップは呻いた。魔力で強化を行っていない、生身の体に受けたのだ。鍛えてあるとはいっても、歳相応の少女である。
 しまった、とマーガレットは後悔して拳を引いたが、魔法拳士はにこりと笑顔を浮かべた。
「うく、けほっ……。こ、これでおあいこ、だね」
「……ですわね」
 つられるようにして頬が緩んだ。
 心地よい気持ちだった。マーガレットは幼なじみの微笑みをじっと見つめる。彼女との絆が、より一層深まって気がして。

花びらたち 1-1

 リーフガーデン城の鐘が正午を告げる。
「今日は午前だけでおしまい! みんなゆっくり休んでね」
 赤髪の少女チューリップは、快晴の下で基礎訓練を行った新人たちを労った。三人の少女たちはチューリップよりも幼く、しかし彼女に負けないくらいエネルギッシュだ。
「先輩、ありがとうございました!」
 少女たちはぶれのない動きで一斉に礼をすると、お互い声を掛け合いながら城の中へと入っていった。皆で体を洗い流すのだろう。チューリップも軽い運動は行っていたが、あくまで指導する側なので汗をかいていない。
「あら、ちょうど終わったところですのね」
 後ろから声をかけられた。振り向きながら、チューリップはにこりと笑みを浮かべる。
 声の主は、キノコのような大きな帽子をかぶっていた。上衣は膝下まで伸びたドレスのような法衣を着て、ヒールが低い革の靴を履いている。頭から足先までほとんどが白色だ。帽子からのぞく背中まで伸びた長い髪が唯一の茶色で、彼女の清楚な雰囲気がむしろ強調されている。
「マーガレットもお疲れさま。お昼お昼!」
 はいはい、とマーガレットと呼ばれた少女はバスケットを見せた。中にはサンドイッチが入っている。お手製のようだ。
 彼女はチューリップの幼なじみである。幼少の頃から一緒に過ごした時間は長い。言動からも見てとれるほど、いわゆる上流階級のお嬢様であるが、それを鼻にかけない性格がチューリップは気に入っていた。
「わーい! いただき――」
「立ちながら食べるなんて行儀が悪いですわよ。それにここは食べる場所ではありません。いつものところへ行きましょう」
 チューリップが伸ばした手をさらりとかわして、マーガレットはそそくさと歩き始めた。
 するとチューリップは幼なじみの体を抱き上げ、思い切り地を蹴った。ひゃわ、と変な悲鳴があがる。
 二人は宙を飛んでいた。塀を飛び越え、中庭へと移動する。中央の大きな噴水や、色とりどりの花を咲かせている多くの花壇が特徴の大きな中庭だ。噴水のそばにあるベンチの前へと、赤髪をなびかせながらふわりと着地した。幼なじみを降ろしてから、ベンチにどかりと腰を下ろす。
「はい到着! はい食べよう!」
 帽子を押さえながら縮こまっていたマーガレットは、地に足をつけた途端抗議を始めた。
「お、驚かさないでくださいます? たかだか数分の距離を飛ぶなんて、魔力の無駄使いもいいところですわ」
 明らかに普通のジャンプ力ではない。飛行だ。
 チューリップは風属性の魔法使いである。自己強化タイプで、魔力を放出するのではなく己の肉体に作用させるのが特徴だ。風属性である彼女にとって飛行など造作もない。
「いいから早く早く!」
 呆れたようにため息をつくマーガレットもベンチへ腰を落ち着ける。バスケットをチューリップの隣に置くと、すぐさま赤髪の少女はサンドイッチに手を伸ばしてばくばくと食べ始めた。
「様になっていますわね。すっかりと」
「食べるの好きだからね」
「食べる姿ではありません! 後輩の何人かをお世話することになったのでしょう?」
 えへへ、とチューリップはサンドイッチを頬張りながらはにかんだ。先ほどの三人の少女たちは、拳士隊に入隊したばかりの新人たちだ。隊長のサクラから、午前の基礎特訓のみ監督するよう任されたのだ。とはいえ、週末の一日だけなのだが、それはサクラから頼られているということだ。
「あの一件以来、あなたの成長には驚きましたわ。最初は相手にされていなかったそうですけれど、今はサクラ先生と組手をするくらいですものね」
「一度も勝ったことないけどね。まだまだだよ」
 猫族との争いがあったのは二ヶ月ほど前のことだ。猫族との関係は落ち着いている。ルルは今、城で保護されている状況だ。
 あの日からチューリップは己の弱さが悔しくてたまらなかった。それこそ当時はまだ入隊したばかりで、偵察任務くらいしか請け負ったことのないほど実戦経験は浅かった。だからといってそれを言い訳にはしたくない。
 強くなろうと決めたのだ。まだ目標であるサクラには到底足元にも及ばないが、少しは認められているというのも事実である。
「もっと自信を持ちなさいな。あなたは十分強くなっていますのよ」
 マーガレットがこれほど褒めるのは珍しいことだ。いつもは食べ方の行儀が悪いだの、部屋が片付けられていないだの、まるで姉か母のように口うるさいのだが。
 なんとなく恥ずかしくなって、チューリップは頬をぽりぽりとかく。
「そ、そんなに褒めないでよ。マーガレットだっていろいろ話題になってるでしょ。『燃やす治療士』って」
「だっ、誰ですのそんな不名誉な称号をつくったのは!」
 マーガレットは唾を飛ばしながらベンチをばしんと叩いた。衝撃でバスケットが落下しかけ、チューリップが慌てながら手で押さえる。
 ドレスのような法衣は、治療士の基本的な装いだ。文字通り、治療を主とする魔法使いである。基本は何か一つの属性を伸ばすのが一般的だが、マーガレットは治療の他に放出タイプの魔法も学んでいる。チューリップには到底真似できない芸当である。
「誰が燃やす治療士ですか! 火力が高いヒーラーですか! 癒しの炎ですか!」
「そ、そんな風にまで言われてるんだ。一応気にしてたんだね」
 炎系の魔法がマーガレットの得意分野でもある。チューリップとは違い魔力を外へと放出する、一般的なタイプだ。
 彼女は口より先に手が出ることがよくあった。事情を知らない新人たちが初対面で、そのおかしな二つ名を呼ぼうものなら、問答無用で火の玉を飛ばされるという逸話も珍しくない。
 こほん、とマーガレットはわざとらしく咳払いをした。
「そんな話はどうでもいいのです。今日は折り入って頼みがありますの」
「なに?」
「セレスタイトという村をご存知ですわね?」
 チューリップは頷いた。最近よく話題になる村だ。
「病気が流行ってるって聞いたよ」
「ええ。治療士隊にもお呼びがかかりましたわ。どうやら魔力にも作用する病気らしいので、ひとまずわたくしが調査することに」
「え? 一人で?」
「ですからあなたにお願いが。同行者を一人連れていくようにとのことですので」
 要するに、ボディーガードということだろう。
 セレスタイト村では、謎の病気が流行しているそうだ。当初は発熱がひどいとか、体が痛むなどの報告が城には届いていた。重い風邪だろうと思われたので通常の医師を派遣していたが、近頃は事態が悪化している。村に住む女性が、突然魔法が使えなくなったという。身体的な問題ならまだしも、女性のみが持つ魔力にまで作用する病気だとすればそれはただの病気ではないかもしれない。
「もちろんわたくし達にも影響を及ばさないとは限りませんわ。とはいえこれはしっかりと解明すべき問題です。無理にとは言いませんわよ」
 怒りっぽい性格だが、マーガレットという少女は何より治療士としての意識が人一倍強かった。過去にあったことをチューリップはよく知っている。そんな幼なじみの頼みなのだ。断る理由はないし、むしろ協力したい。手伝ってあげたい。
「病気なんか怖くないよ。一緒に行こう!」
 チューリップは拳をぐっと握り締めた。
「そう言ってくれると思っていましたわ」
 にこりとマーガレットは頬を緩ませた。
「出発は明日の朝です。馬車の手配はしておきますので、今日はゆっくり休んでおくといいですわ」
「ええー、飛んでいった方が早いよ」
「無駄な魔力を消耗するなと言っているでしょうに。目的地では万全を期すべきです」
 はーい、とチューリップは渋々頷いたが、急にもじもじし始めた。
「どうかしましたか?」
「あの……ごめん。マーガレットが喋ってる間に全部食べちゃった」
 マーガレットが視線を移したその先には、空っぽになったバスケットがある。
「なっ! なななななっ」
「だって美味しかったから……さ、さすがマーガレットのお手製だね! あはは」
「褒めても駄目です! わたくしのお昼はどうなるんですのー!」
 チューリップは周囲が急に熱を帯びたように感じた。本能的に危険を察知して、幼なじみから距離をとる。白がイメージカラーの治療士の周りに、手のひらほどの炎が出現していた。それもいくつか。
「わああ落ち着いて! なんか火の玉出てるよ!? 無駄な魔力は使っちゃ駄目って……」
「これは必要な制裁です! <ファイアーボール>!」
 燃やす治療士ことマーガレットが叫ぶと、炎たちは赤髪の拳士めがけて襲い掛かった。
 チューリップは両拳に魔力を込め、迫る炎の球体を弾き飛ばす。ここは花壇もたくさん並んでいる中庭だ。全て上空へと弾き返す。
「駄目だってば! 花が燃えちゃう!」
「……あ」
『花』という言葉に正気を取り戻したようだった。マーガレットは急に恥ずかしくなったようで、頬を真っ赤に染める。
「い、いけません。わたくしとしたことが……」
 ほっ、とチューリップは一息つく。落ち着いてくれたようだ、と安堵したが、ずいと目の前まで接近してきたので思わず体を仰け反らせる。
「わっ」
「しかしわたくしのお昼の問題は解決していません! 調達してきなさい!」
 ものすごい剣幕に、チューリップは逃げ出すようにして城へと向かった。

 城の魔法使いたちは、笑いながら二人の騒動を見守っていた。いつものことだ、と。
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