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★不良少女あずき

 昇降口の外で、甘宮あずきは物陰に隠れていた。
「あいつまだかよ、おっせーな」
 別に、彼氏を待っているとかそんなときめいた話でもない。あずきは男子さえもビビッて逃げ出す、不良女子高生であった。
 ショートヘアは茶色に染め、耳にはピアスまで着けて、ブラウスは着崩し、スカートは膝上までつめている。女子同士での直接的な喧嘩は日常茶飯事といってもよく、お菓子みたいな名前とは裏腹に、校則違反の模範的存在が甘宮あずきという少女だった。
 そんな彼女でも、この日だけはそわそわしていた。普段の射殺すような目つきもどこへやら、何かを期待しているような、年頃の女子高生の表情に変わっていた。
 すでに下校時刻。帰路につく生徒たちは彼女を遠目から見つつも、声をかけることなく通り過ぎていった。いったい誰を待っているのかと疑問を抱くと同時に、関わらない方が身のためだと知っている。
「あっ来た」
 あずきの視線の先には、一人の男子生徒がいた。背が低く小柄で、眼鏡をかけたおとなしそうな少年だ。一般的な女子生徒からみても「地味」の一言で片付けられてしまいそうなほど、存在感の薄い風体だった。
 彼は泉正樹。あずきの幼なじみである。家が隣同士で、お互いの親も仲が良い。ただあずきとしては、正樹と付き合いが長いというのを不良仲間に知られるのがイヤだった。高校生にもなって、いつまでも幼なじみの男とつるんでいる、というのがみっともないと思ったから。なんとなく。
 だから同じクラスとはいえ会話したりしないし、他の女子と同じく彼など眼中にないふうを装っている。装っているだけで、実際はそんなことないのだが。
「あ、開けた、開けた!」
 幼なじみの少年は靴箱を開けているところだった。その動きがぴたりと止まる。その理由があずきには分かっていた。
 正樹が自分の靴箱から、なにやらピンク色の包装紙でラッピングされた小さな箱だった。あずきの心臓がぴくんと跳ねる。なにを隠そう、あの箱を入れたのあずき自身だ。
 今日は二月十四日である。
「あはっ、びっくりしてやんの、あいつ――」
 目を丸くしている幼なじみを眺めていたあずきは、ふと声を止めた。
 正樹が慌てた様子で箱を鞄に押し込む。彼の背後から、二人の男子生徒がまとわりついてきた。
 一目で分かる。あれは仲の良い友人同士なんかじゃない。その二人は明らかに不良の様相を呈していた。正樹は彼らに挟まれて、昇降口の裏へと移動していく。
「……イジメられてんのか」
 たしかに、正樹は見た目からして弱そうだし、カモになるのも無理はないかもしれない。画に描いたようないじめられっ子と言える。
 あずきは彼のそんなところがあまり好きではなかった。弱い人間は嫌いだ。しかしだからといって、見て見ぬできるほどあずきの心は腐ってなんかいない。
 男子どもが連行していった昇降口の裏手へと駆ける。突然走り出した彼女に、今まさに帰ろうとしている生徒たちはぎょっとしていた。
 不良男子たちがあちらにいることも、おそらく数人ほど見ていただろう。そこへ甘宮あずきという学校随一の不良少女まで混ざったものだから、誰一人としてその場所へ近づこうともしなかった。
 そしてあずきが思ったとおり、正樹はイジメの中心に干されていたのだった。
「おいこらぁ!」
 昇降口裏手に回ったあずきは、幼なじみを囲んでいる男子たちに声をぶつけた。あまりにも大きく、窓ガラスさえ震えるような怒声だったため、その場にいる全員がびくりと肩を揺らした。
 背が高い金髪と、背の低い赤髪がいる。正樹はその誰よりも小さい。
「な、なんだよ甘宮、なんか用か」
 金髪の方が、若干怖気づきながらも強がりを見せていた。赤髪は苦虫を噛み潰したような顔色だ。
「なんだよじゃねーよ。お前らなにしてんだ。あ?」
 あずきは不良ではあるが、意地汚いことだけは認めようとしなかった。それこそ、複数で一人をよってたかっていじめるなんて行為は、生理的に受けつけない。反吐が出る。
「お前にはカンケーねーだろ。なあ?」
 金髪は、弟分みたいな赤髪にではなく正樹に同意を求めていた。肩に手を回しながら。
「あ、いや、えっと……」
 肝心の幼なじみは相変わらずびくびくしていて、全員の顔色をうかがっている。いつもそうだ。自分の言いたいことをはっきり言わず、相手に合わせようとする。たとえ相手がこんな不良でも、だ。
 だから、いつも放っておけない。
「嫌がってんだろ。男二人でちっこいヤツ囲ってみっともねーって思わんの?」
 力強く言い放ちながら歩み寄っていく。こんな奴ら相手にするだけ時間の無駄だ。
 正樹を引っ張り出してやろうと、手を伸ばしかけたときだった。
「あっ……!?」
 全身に衝撃が走った。
 びりっ、と雷に打たれたような。かと思えば、体が言うことをきかずにそのまま地面へどさりと倒れ込んでしまう。
「ぁ、え……?」
 なにがなんだか分からない。体が筋肉が硬直してしまっている。なのに痙攣しているみたいにぴくぴくと、勝手に指先が震えていた。
「おま、なんでそんなもん持ってんだよ」
 金髪の声。
「まあそれはいいじゃん。それよりチャンスじゃね」
 こっちは赤髪の声だ。
 多分、スタンガンかなにかだろう。あずきは得体の知れない痛みで混乱している頭を、なんとか覚醒させようとした。意識はむしろはっきりしているのに、体は全く動いてくれない。
 そんな彼女を、赤髪が強引に引っ張り起こす。あずき本人が重心を支えられないためか、重みでほんの少しバランスを崩していた。
 脇の下へ腕を通し、がっちりと羽交い絞めにする。背丈はやはり、女であるあずきの方が低い。
「はやいとこやっちゃえよ。女に調子乗らせたままじゃつまんねーだろ」
「前から思ってたけど、お前はほんとおっかねーな。まあでも、その意見にゃ賛成」
 金髪は拳を構えつつ、そばでへたり込んでいる正樹を睨む。
「おい、そこ動くなよ。大声出したら分かってんだろーな」
「ほっとけほっとけ。どうせそいつ何もできねーよ」
「それもそうか、ははっ」
 二人の耳障りな笑い声が、昇降口裏で響く。表の方では聞こえている生徒もいるだろうが、誰一人として教師に知らせようとはしない。大人たちでも手に余る問題児どもだし、当然この状況に乱入してくる者もいるはずがないのだった。
「っ……クソみてーだな」
 スタンガンの痛みがまだ抜けないままなのか、あずきの声は震えていた。それでもどこか芯が力強く、男子二人の鼓膜を同時叩いた。
「女一人いためつけるのに、二人って、クソじゃん。だっせーの」
「うるせーんだよ!」
 拳が振り上げられたが、赤髪がすぐに声で遮る。
「待った待った。できるだけ目立たないとこにしとけよ」
「アホか、そんなもん殴ったら痕が残るに決まって――あー、分かったよ」
 なにかを悟ったように金髪は拳を下ろしたが、それは狙う箇所を変えただけだった。身動きできないあずきの、がら空きになっている腹部に彼の視線が注ぎ込まれる。
 下ろされた拳が、その腹へと打ち込まれた。ぼふっ、と布団でも殴りつけたような音が響く。
「うぇ……!?」
 あずきの口から濁った呻きが漏れる。内臓への圧迫感。今まで味わったことのない痛み。セーラー服の真ん中に、拳が見事に食い込んでいた。
「うおっ、やっべ、女の腹ってこんなんかよ」
 貴重なものを発見したとばかりに、恍惚とした表情を見せている。
「げほっ……げほっ!」
 スタンガンを浴びて筋肉が硬直してしまったあずきは、逆に言えば一切の力を体に込めることができなくなっていた。
 ただ喧嘩っ早い性格というだけで、別に鍛えているわけではない。セーラー服に隠された腹筋はなめらかで、ちょっと押しただけで指が沈み込んでしまうような、歳相応の柔らかい腹肉の持ち主なのだった。
 そこへ男の拳が打ち込まれては、誰だって悶絶する。男女の差をあずきは不本意ながら自覚した。体が痺れているとはいっても、羽交い絞めを解くことがまったくできないし、一発腹を殴られただけで涙が滲んだ。
「こいつ腕もすっげえ細いぜ。なんかいい匂いするしな」
 抱きしめるかのように赤髪はさらに体を拘束してきた。腹部の痛みで目を白黒させていたあずきは、身の毛もよだつ怖気に体を震わせる。
 最悪すぎる。こんな猿みたいなヤツらに好きなようにされて。
「なんだよ、今までビビってたのがバカみてーじゃん。やっぱただの女ってこと、だ!」
 語尾を強くしつつ、金髪はさらにパンチを繰り出した。先ほどと同じ箇所、臍の上あたりに拳がねじ込まれる。
「ぐえぇ……! ぉぶっ……!」
 一瞬見開かれた目が、ぎゅっと閉じられた。内臓がぐりゅっと動かされた気がして、痛覚を追い越すように嘔吐感が駆け上ってきたのだ。
 胃がぴくんと痙攣した。めり込んだ拳にその反応が伝わり、金髪がにやりと口元を歪める。
「おっ、なんだよ今の。吐きそうなんじゃねーの」
「うっ、くふっ……けふっ」
 なにかを抑えこむような咳き込みをあずきは見せた。無意識のうちに、イヤイヤと首を振っている。その様子に金髪はまた耳障りな笑いをこぼした。
「たまんねーこれ。女を殴るのって最高だわ」
「おーいお前だけ楽しむなよ。俺にもやらせてくれ」
「まあ待てって。まだ始まったばかりだろ」
 三度目の殴打は、正面ではなく横からだった。フックが脇腹に入り、あずきは肝臓の振動を感じた。痛覚が脇腹が脳天まで突き抜けていく。
「ぃがっ! あああっ……!」
 王と間を堪えようとする口が反射的に開き、口内にたまっていた唾液が飛沫となって飛び出した。
「いいねその顔! おらっ!」
「ふぅぐぅぅぅぅぅ!」
 今度は臍よりも下だった。体の中を直接突かれたような痛み。子宮に衝撃が加わって、あずきは頬を赤くしながら内股になる。
 金髪は新しい玩具でもいじっているかのような、少年らしい表情を貼り付けていた。殴られるたびにあずきの茶色い髪が振り乱れ、唾液がこぼれ、呻き声が校舎の壁に反響する。
「げうっ! ぇほっ、ぅげっ、ぅごおぉぉぉぉ!」
 もはや女子高生の声とは思えない、爬虫類じみた悲鳴。もとから柔らかだった腹部も、薄い腹筋もろとも餅のごとく打ちほぐされてしまっている。
「はーっ、はーっ、ぇほっ……!」
 そのうち、次第に全身が小さく痙攣を始めた。短くしたスカートから伸びている肉付きのよい太ももがぷるぷる震えていて、倒れないように赤髪が支えている格好となっている。
「おいお前、手加減してんんだろ?」
「そりゃーよ、いきなり本気でぶちかましたらつまんねーだろ。じわじわいたぶるんだよ」
「お前も相当悪趣味だな」
 つまんないのはこっちだ、とでも言いたいのか、赤髪がため息をついている。
「分かった分かった。これで一旦終わりにするからよ」
 そう言った金髪は、あずきのセーラー服を捲り上げた。あっ、と女の子らしい悲鳴があがる。
「おわ、すまんやりすぎてたわ。腹真っ赤になってる」
 言葉通り、不良少女の腹には打撃の痕が生々しく刻まれていた。健康的な肌色のはずだったが、度重なる殴打によって所々が赤く腫れてしまっている。
 何を思ったか、金髪は指で臍の上を撫でた。
「ひゃぁ!?」
 びくっ、と薄い腹筋が震えた。ぞくりと悪寒が全身に広がる。まるで大事なところでも触られたかのごとく、あずきの頬までさらに赤く上気していた。
「うわー痛そ。おい、謝るってんなら俺はもうやめてやるけど、どうだ?」
 ニヤケ面を浮かべながら、金髪は拳を見せ付けるように示す。
 痛いのは、本当は嫌だ。しかも腹を殴られるなんて。あずきは性格に難ありだが、年頃の女の子であることに変わりないのだった。
 荒い呼吸のまま痛みを堪えている彼女はしかし、目の色だけは死んでいない。こんなくそったれどもに謝るなんて、死んでもごめんだ。プライドを捨ててまで自分を守る気はさらさらない。
「……へっ、なんだよ、ここまできて、ビビッてんの? ほんと、だっせーの」
 強がりだ。精一杯の。
 目の前から舌打ちが聞こえた。なにも言葉を発することなく、金髪はあずきのむき出しになった腹部中央へと拳を突き込んだ。
 ずぶっ、と妙な音が響く。めり込むというより、突き破るような音だった。
「ぅぐおおぉ゛ぉ゛っ!?」
 あずきの両目がむき出しになった。本気の一撃だったのだろう、赤髪の拘束を無視してくの字にまで折れ曲がる。激痛はしかし広がることなく、腹部の中だけで炸裂した。
 前屈みになった彼女の視界に、金髪の腕が突き刺さっている自分の腹が映った。拳が完全に埋没している。周辺の肌がその着弾点に向かって吸い込まれていた。
「あっ……! かはっ……!」
 杭のように突き刺さっている腕が、動いた。丸ごと飲み込まれている拳が、鳩尾までぐいっとねじり上げられたのである。
 胃のよじれる音を、あずきは確かに聞いた。
「うぎゅっ……!?」
 また体が震えた。足先から頭まで冷たい感覚が走り抜けたかと思うと、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。白い喉がごろりと蠢いた瞬間、彼女の赤い頬が膨らんだ。
「ぉ゛っ、え゛え゛えっぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 堪える余裕もなく、胃の中身を盛大に吐き出した。黄色く濁った吐瀉物は、昼に食べたコンビニのおにぎりとサラダ。異臭を立ち上らせながらびちゃびちゃとぶちまけられていく。
「うごっ、げぶっ! ぇ、げぇ゛ぇ゛ええぇぇぇ!」
 途中で咳き込んでしまい、反射的に酸素を取り込もうとしたとき、まだ溢れている吐瀉物が一瞬だけ引っ込んだ。だが喉の奥から逆流してくるモノは止められず、再び固形物が混じった胃液が飛び出す。
「うはは! おい見たかよ、女でもこんなにゲロすんのか!」
 金髪が何を言っているのか、あずきには聞こえなかった。それどころじゃなかった。何発も抉られた内臓がずきずき痛むし、頭がぐるぐる回っている。
「ふぐっ、ぅ、かひゅっ、ふっ」
 目を呆然と見開きながら、あずきはかすれた咳を繰り返した。突き出た舌は汚れていて、汚い色をした粘液が垂れている。
 男とまともな喧嘩をしたことのないあずきは、正直なところなめていた。いつもは相手の方が殴り合いを避けるのは、こちらがやはり女だからだろうと考えていたし、根性なしが、と侮っていたのだ。
 男に殴られるのはこんなにきついものだったとは。女同士でやりあうのとはレベルが違う。なんというかもう、これは暴力そのものだ。
 それが悔しい。二人がかりで好き放題殴られるのが悔しくてたまらない。
 お腹が痛い。散々殴られて、鉛が沈んでいるみたいに重く響いている。
 なにもできない自分がむかつく。一発も殴り返せないのがたまらなくむかつく。
 なによりも。
 幼なじみにこんな情けない姿を見せてしまったことが、一番つらい。
「ぐぅ、けふっ、ふぅぇぇぇ……」
「おいおいなんだよ、泣いてんのか? 急に女ぶりやがって」
 汗と涙、嘔吐を繰り返したことであずきの顔はぐちゃぐちゃになっている。そんな彼女の仕草まで、金髪の高揚感が刺激されるようだった。
「へっ、だっせーのはてめえじゃ――」
「ううううああああああああああ!」
 唐突に、新たな声が三人の鼓膜を振動させた。心臓に重く響くほどの叫び声は、あずきだけがすぐに気づいた。
 あずきの視界から金髪の顔が消える。彼の体がいきなり横へ吹っ飛んでいったのだ。倒れ込んだ彼を追いかけるようにして、小柄な少年が――幼なじみが覆いかぶさっていく。
「あずきちゃんを泣かすな!」
 そんな男っぽい声、初めて聞いた。
 あ、とあずきは自分の意識を掘り起こす。泣き沈んでいた意識を。
「なんだてめっ、邪魔だオラァ!」
 やはり体格差は如何ともしがたいようで、あずきよりも若干背の低い正樹はあっさりとマウントを返されてしまった。そして中学生と間違われそうなほどの幼い顔が殴りつけられる。小さな悲鳴。
 それがあずきのスイッチになった。
「ぁぁああああああああああああああああああ!」
 先ほどの正樹も相当なものだったが、あずきはそれよりも大きな気合を迸らせた。誰もがびくりと肩を萎縮させる。
 彼女は頭を深く下げると、思い切り後ろへと振り上げた。
「あいでっ!」
 後頭部が赤髪の顔面に直撃する。鼻がつぶれる感触があった。
 あずきはずたぼろになっている体と意識を突き動かす。スタンガンの電撃? 嘔吐するほど腹を殴られた? それがどうした。
「まーくんから離れろこのクソがッ!」
 あずきは金髪へと突撃する。慌てて立ち上がろうとしたそいつの顔面を、あらん限りの力でぶん殴った。喧嘩が得意というだけのパンチは、金髪の口から豚みたいな声を絞り出す。鼻を確実に曲げた感触が返ってきて、信じられないほどその体が吹っ飛んでいった。
「あずきちゃん!」
 殴られた頬を押さえている正樹の声は、何かを知らせる色を帯びていた。あずきはもう分かっている。喧嘩の経験地だけは高い。背後から襲ってくるヤツなんか――
「うらぁ!」
 振り向くとほぼ同時に、すぐ後ろまで迫ってきていた赤髪の股間を、思い切り蹴り上げた。世の男性は総じて目を逸らすこと必至、くらってはいけない場所に痛撃が突き刺さった。
「~~~~~~~!!」
 赤髪はスタンガンを取り落とし、もはや声も出ないらしい。おそらく彼にしか分からない激痛によって、大事な部分を押さえながらうつ伏せに倒れ込んだ。
 ほんの一分も経たないうちに、形勢は逆転していた。しかしこれだけでは腹の虫がおさまらない。あずきはうずくまっている赤髪の頭を蹴飛ばそうとした。
「待って!」
 その声は、不思議と耳に心地良かった。体を循環する血液が怒りで沸騰していたものの、それも自然と落ち着いていく。
「なんだよまーくん! こんなんでいいの!?」
「それ以上やったら、あずきちゃん、学校いられなくなるよ」
 思わず口をつぐんだ。幼なじみはこんなときに、こちらの心配をしていた。
 やりすぎると傷害事件となって問題になるかもしれない。別に、そんなの怖くない。正樹を傷つけたやつをぶっ飛ばすのだ。あずきはそれが悪いことだと思っていなかった。
 けれど、もし退学なんてことになったら。正樹と一緒にいられる時間が減ってしまう。
「……分かったよ」
 こいつらなんかのために、そんな馬鹿なことはできない。すんなりとあずきは正樹の言葉を受け入れた。
 ただ、一つだけ言っておかなくては。ぎろりと鋭い眼を光らせる。
「てめえら、まーくんには二度と近づくなよ。もしちょっとでも触れたりしてみろ。今度こそタマ潰すぞ! 分かったらさっさと消えろ!」
 鬼めいた形相はもはや少女と言えないほどだったが、凄まじい気迫は不良男子両方を震え上がらせた。
「す、すすすすんませんした!」
 男として致命的な打撃を受けた赤髪は、鼻血を流している金髪に伴われて、変な足取りで逃げ去っていく。
 しばらく、肩で息をしていたあずきが、再び咳き込みながらぺたんと座り込んだ。
「かはっ……! くっそ、腹ばっか殴りやがって」
「あずきちゃん、ごめんね」
 駆け寄ってきた正樹の顔は、その頬がすこし赤くなっていた。また怒りが湧いてきたが、慌てて静める。
「なんでまーくんが謝るの。あいつらがむかついたから、あたしが勝手にやったことだし」
「僕、あずきちゃんに嫌われてる思ってた」
「はあ? あー……」
 高校生になってから、意図的に避けてきたからだろう。
「また、まーくんって呼んでくれたね」
「……は? え、あたし、今まーくんって呼ん……あああああ!」
 ようやくあずきは気がついた。感情が高ぶっていたせいだろうか、無意識のうちに小さい頃からの愛称で呼んでいたことを。
 高校生にもなってそんな呼び方ダサすぎるし、正樹にお熱をあげている感じに見えるじゃないか。そう考えていたあずきは急激に恥ずかしさの念がこみ上げてきて、顔を真っ赤にした。
「いやそれは、だから、その、聞き間違いだよ、聞き――げほっ! けほっ!」
 慌てて否定しようとしたとき、痛めつけられた腹と内臓が軋んだ。胃に胃液が残っていたのか、少量の粘液が吐き出されてくる。
 正樹が鞄を開けてタオルを取り出した。そのとき、可愛らしい包装紙に包まれた小さな箱も転げ落ちる。
「けほっ、けほっ……あ」
 しまった、とあずきは別の意味で顔を歪めた。本当は、こっそりと陰からうかがうつもりだったのに。いや、まだバレていないはず。
「……ふーん、チョコ貰ったんだ」
「え? あー、うん、そうみたい」
 タオルを手渡してきた正樹は一瞬、なにかに気づいた表情を浮かべた。
「あんたみたいなのにチョコあげるなんて、珍しいやつがいるもんだね。顔見てみたい」
「うん、そう、だね。ありがとう」
「なんであたしにお礼なんだよ。つーかなんで泣いてんだよ! ほんと泣き虫だな!」
 渡されたタオルを、幼なじみの顔にぐいぐい押しつける。そうしながら、先ほど彼の信じられない行動を思い返していた。
 情けなくも泣き出してしまったとき、正樹は金髪にぶつかっていった。弱っちい正樹が。虫も殺さないような顔をした優しい少年が。あのとき自分を助けようとして、かぼそい勇気を振り絞ったのだ。
――かっこいいとこあるじゃん。
 意地を張ってきたあずきだったが、彼とまた肩を並べるのも悪くないかな、と思い始めていた。
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★おにはそと、ふくはうち

 二月三日。
「では最初の方、お入りなさい」
 初老の神主が、寺の外で待機しているであろう人々に向かって声を飛ばした。
「……」
 一人の少女が、柱に縛りつけられている。細身で肌の血色が悪く全体的に白っぽい。薄い布切れを着せられただけの格好だった。
 ただ、目つきだけがやけに鋭い。なんとも異様な雰囲気をかもし出していた。
 彼女は人間ではない。容姿は十四、五歳に見えるが、頭のてっぺんに小さな三角形の突起物が二本伸びている――角だ。
 鬼。
 生活しているわけではなく、捕らえられた鬼の少女だった。どこから来たのか誰も知らない。この地に最初からいた。いつのまにか、寺の奥で幽閉されていたのだ。
 まず入ってきたのは若い男だった。
「あなたからですね。お歳は?」
「ちょうど十八歳になります。来月ですが結婚も控えていて……」
「おおそれはおめでたい。ぜひとも悪鬼を祓って身を清めなさい」
 青年はおもむろに紺色のジャケットを脱ぎ捨ててシャツ一枚になる。
 体の線は細いが妙にたくましく、薄い筋肉が上半身を覆っていた。神主が身を引くと、青年は勇ましい足取りで鬼の前に立つ。
 縛られている鬼の少女は、射殺すような瞳で睨みつけた。警戒する犬のように喉を鳴らしている。
 ぼろぼろな体ながらも威圧感が死んでおらず、人間ではあり得ない眼光に青年はたじろいだ。
「安心しなされ。寺の中は人間の聖域。鬼は反抗できません」
「は、はい」
 神主の言葉に青年は頷きを返し、一つ深呼吸をした。
「おにはーそと――」
 と、拳を構える。
「ふくはーうち!」
 言葉と共に鬼少女の腹部へと拳が唸った。薄い布一枚の中心へと叩き込まれる。
「グゥッ……!」
 切れ長の目が一瞬、見開かれる。獣じみた呻き声。だが確かに女の色気が溶け込んでいた。
「おにはーそと、ふくはーうち!」
 再び腕が引き絞られ、鬼少女の腹肉を打つ。
「グブッ! ァ……!」
 青年は格闘技をたしなんでいるのか、さまになっていた。一発一発が的確に鬼少女の腹部に打ち込まれ、そのたびに苦悶の呻きが漏れる。
 鬼という種族となって生まれたという事実が、彼女を苦痛の谷底に落とし込んでいた。人間よりも寿命が長く、生存能力が途方もなく強い。
 一年間ほぼずっと陽に当たらないまま過ごし、たいした食事も与えられていない鬼少女は衰弱していたが、それでも鬼としての生命力は失われていなかった。
 人間ごときが延々と殴り続けたとしても、彼女は「死」という世界に逃げることはできない。
「おにはーそと、ふくはーうち!」
「ウッ……! ェエッ……!」
 拳が次々と突き刺さる。やせ細った彼女の腹筋では拳の侵入を防ぐことができず、そのうえ背を柱に密着させられているため、衝撃は内側へとダイレクトに響いた。
 かろうじて機能していた内臓たちが強引に歪められ、全神経に痛みに呼び起こす。嘔吐感が胸を押し上げた。
「ゥ、ェホッ、ガハッ……!」
 激しい打撃に鬼少女は喘ぐしかない。ただひたすらに咳き込む姿は痛々しかった。だが青年も神主も、彼女の身を案じてなどいない。
「おにはーそと、ふくはーうち!」
 何発目かの猛打が、薄い鳩尾を捉えた。青年が思わず目をみはる。拳は手首が隠れるほど、ぼぐっ、と腹肉を陥没させた。
「グッ……ッ……! ォッ……!?」
 小さな瞳が一回り大きくなるほど見開かれた。胃のねじれる音が体内で反響する。色白の肢体がビクンと震えて、
「カッ、ハッ! ガッ、ァァッ……!」
 渇ききった咳き込みが溢れた。死なない程度の水しか与えられていないのか、胃液さえろくに出てこない。吐き出すことのない嘔吐感に鬼少女は身をよじった。縄が腕に深く食い込む。
 青年からはその後も殴打の嵐を受け、彼の歳の数、つまり合計十八発ものボディブローを味わった。
「ハァ、カ、ハッ……!」
 かすれた呼吸が苦痛の深さを物語っている。ただの人間、それも年端もゆかぬ少女であれば失神していてもおかしくはない。鬼である彼女は、気絶すら叶わないのだった。
「お疲れさまでした。あなたへ降りかかる悪は消え去ることでしょう」
「ありがとうございました」
 青年は呼吸を整えながら、ではこれで、とジャケットを拾い上げて立ち去っていった。
「次の方、どうぞ」
 そうして神主は次々と訪れた人々に同じことを行わせた。


「おにはそと! ふくはうち!」
「ッ、ガァッ……!」
 まだ十歳にもならないほどの少女が、無邪気に鬼の腹部を殴りつける。さきの青年に十分痛めつけられたため、子供のかよわい殴打といえども内側に響いてきた。次第に内臓が痙攣を始める。


「おにはそと、ふくはうち」
「グブッ! ゥ、グッ……!」
 しゃがれた声の老人は、杖で突いたり、横殴りにする。非力であっても高齢のため打ち込む数も多く、鬼少女が身にまとっている布も、腹の部分が破れてしまった。赤黒く染まった腹部が覗く。

 また、中にはこのような習慣があると聞いて訪れた旅人もいた。山登りでもするのかというような大荷物を背負った大男で、最初の青年よりも筋骨隆々、腕は鬼少女の胴回りと同じくらい太い。
「おにはそとーふくはーうち!」
 ごつごつした拳が痣の中心にめり込む。柔らかい肉を打つくぐもった音。やせ細っている胴体へと、大きな拳は丸々飲み込まれた。
「グッ!? ウ……、ァッ……!」
 柱まで折れてしまいそうな衝撃に、肋骨にめきりとヒビが入った。脊椎にまで亀裂が走ったかもしれない。
 拳が大きすぎるため、内臓ほとんどが背中側へと押しつけられた。疲弊していたそれらが許容できないレベルの猛打を受けて、悲鳴をあげる間もなく一気に変形させられる。
 胃袋も、肺も、肝臓も、心臓までも。全てが紙切れ一枚の薄さになるまで潰れた。一部は瞬間的に破裂して、腹腔内を血液で満たす。
 白い喉が跳ねた。
「ングッ、ゲボォォォッ……!」
 生命の色をした血が吐き出される。足元にびちゃりと飛び散った赤色の液体。
 男は異様な感触に動揺して神主に振り向いたが、神主は「問題ない」と頷くだけだった。
 なにしろ、鬼の生命力は人のそれをはるかに凌駕しているのだから。内臓の一つや二つ破裂したところで、数日で元通りになる。
 それを聞いた男は安心して、まだ満たしていない分の歳の数だけ拳を振るうのだった。


 深夜。
「君が最後ですかな。もうじき日が変わります。四日に移り変わる前に――」
 なにやら殴りつけるような音がして、神主の言葉が止まった。直後に床へと倒れ込む響きが寺の中に広がる。
 少年といっていいほど若々しい男が、鬼少女の前に現れた。彼は丸い瞳を見開いて口元を覆う。むせ返るような血の匂いが充満しているからだった。
「ひどすぎる……!」
 無理もない。縛られた鬼少女の足元にはおびただしい量の血が飛び散っていた。裂傷などではなく、全て内臓をめちゃくちゃに潰されたゆえの吐血である。腹部の青痣以外、彼女の体には傷一つ付いていないのだった。
 いったいどれだけ殴られたのか。百、二百はくだらないだろう。なのに鬼少女は意識を保っている。小さく呼吸するたびに、ペースト状になるまで叩き潰された内臓がおかしな音をたてていた。
「……!」
 彼女はそれでも、敵対心をむき出しにして歯を剥いた。
「ち、違うよ。僕は違う。いま助けるから」
 少年は神主の頭でも打ったのか、木製のバットをその辺りに転がした。たすき掛けにしている小さな鞄からカッターナイフを取り出すと、鬼少女を拘束している縄に当てる。それ自体は別に特別なものではなく、拍子抜けするほどあっさりと切ることができた。
「わわっ」
 鬼少女の体が倒れかかるのを、慌てて抱きとめた。体格がほぼ同じだったが、その異様な軽さに少年は息を呑んだ。同時に怒りらしき色が表情に湧き上がってくる。
「ふざけんなよ……!」
 優しげな怒気だった。それを鬼少女は感じ取ったのか、わずかに目を細める。どうしてこの人間は、自分を殴りつけないのか、と疑問を抱いているようだった。
「ァ……ゥ」
「喋らないで。ここから逃がしてあげる」
 やせこけた鬼少女を背負うと、彼は途中で倒れている神主を一瞬ちらりと見たが、すぐに寺を出た。
 その時点で、鬼少女は聖域を抜けたため力の拘束も解かれたことになる。彼女はその気になれば、少年の首をへし折り、山奥へと逃げ去ることも可能だった。
 そうしなかったのは、ただ単純に体力の消耗が激しかった――というのもあるだろう。だが少年の背中に密着していると、なぜか離れるのがためらわれるのだった。
 少年の身体にしがみつく。
 日付が変わっただろうか。深夜の暗闇に包まれた外気は肌寒いが、鬼少女の心は暖かい安心感で包まれていた。
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