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★アリス姫の願望

(俺はできる……俺はできる……俺はできる……)
 月明かりが差し込む薄暗い部屋の中で、ライアンは己を鼓舞した。
 闇に溶け込むための黒い衣服を見にまとっている彼は、いわゆる盗賊である。しかし実際のところ、ライアンは大した成果をあげていない。
 目がくらむような金額の宝石を盗もうとすれば必ずトラップに引っかかるし、素人冒険者の財布をスろうとしたところを子供に見られるし、挙句の果てには同業者のウマい話に乗せられてスケープゴートにされかけた。およそ盗賊には向いていない彼の唯一の長所は、「逃げ足だけは早い」という一点に限る。
(俺はできる……俺はできる……俺はできる……!)
 自分に言い聞かせながら、今回の目的を再確認する。
 失敗続きであるおかげで、自分自身の懐が心もとない状態になっている今、なにかしらデカいことをやらなければ生活が危うい。そこで、名うての盗賊でさえためらうという仕事に彼は目をつけた。
 このバカでかい城。それはもう首が痛くなるほど背の高い建物であり、この国の中でも最も大きく、さらに国そのものを治めている王が住んでいる。こんなところに盗みに入るなんて人間はよっぽど腕に自身がある者か、よっぽどの馬鹿かどちらかだ。
(王の娘である、アリス姫……)
 そう、その人物こそが今回の獲物である。世界最大といってもよいこの国のお姫様を誘拐し、多額の身代金を要求するのだ。
 そして今、彼は最上階付近にある姫の寝室へと忍び込むことに成功したのである。ほぼ毎回トラップに引っかかるはずの彼が無傷で最終目的地に辿り着いたのは奇跡といえた。
(きてる。ついに俺にもツキがきてる! 今日はイケる!)
 扉からほとんど音をたてずに進入した彼は、床に足をつけると部屋の中を素早く観察した。
 なるほど最大の国力を持つ王の娘にふさわしく、その一つだけで人生の半分は遊んで暮らせるような装飾品が所狭しと並んでいる。それらも十分に狙う価値ありだが、今のライアンにはさらに重要視しなければならない対象物がある。
 彼は忍び足で部屋の中央へと移動する。そこにはドでかいベッドが鎮座してあった。薄いカーテンで覆われているそのベッドの上に、獲物が眠っている。
 無防備なほど大人しい寝顔。果たして本物だろうかとライアンは一瞬危惧した。もしかしたら影武者かもしれない――いや、きっと本物だ。アリス姫はよく人前に姿を現すし、ライアン自身も何度か見たことがある。双子の姉妹でもない限り、目の前で熟睡している彼女はアリス姫であるに違いない。
(まだだ、まだ終わってないぞ。最後まで気を抜くなよライアン。ここからが勝負だ)
 これまでの失敗を幾度となく振り返ってきたライアンはそう自分に言い聞かせ、衣服のポケットから一枚の手ぬぐいを取り出した。
 これには液状の睡眠薬を染み込ませてある。今眠っている彼女の口元を覆えば、目を覚まさせることなくさらに深い眠りへと落とすことができるはずだ。
 深呼吸。
 ライアンは呼吸が弾みそうになるのを必死に押さえながら至近距離まで歩み寄り、手ぬぐいを姫の口元へ――
 その瞬間、アリス姫の両目が勢いよく開き、ほぼ同時にライアンは頬に衝撃を受けて吹っ飛んでいた。
「え――」
 どかりと無様に床へ倒れこんだ盗賊青年は、何が起きたのか分からないまま天井を見上げた。そこへ幼くも凛々しい声が響き渡る。
「あーもう最悪! 期待していたのに!」
 声の主はベッドの上で仁王立ちしていた。年齢は確か十四歳で、年相応に背が低い。絹糸のような茶色の美しい長髪。表情は明らかに怒りに満ちていたが、幼い顔立ちのせいで全然怖くなかった。フリルつきのパジャマは生地が薄くヘソ出しで、身体の線が手に取るように分かる。
 最大国力を備える国の姫君は、瞳を不満と怒りにみなぎらせながら侵入者を見下ろした。
「あんたね、なにこっそりわたしを誘拐しようとしてるわけ?」
 虫ケラでも見るような目つき。ライアンはじんじん痛む頬の感覚で、ビンタによって張り飛ばされたことにようやく気がついた。
(ま、まずい。逃げろっ)
 いつもの失敗パターンに陥ったと悟った途端、彼は即座に逃走をはかろうとした。素早く立ち上がりながら、隠し持っていた煙幕玉を握り締める。それを取り出した瞬間、細くしなやかな脚が飛び込んできた。
「あいでっ!」
 右腕を蹴られ、握っていた煙幕玉が天井付近まで跳ね上がる。
 目の前には蹴りの体勢から素足を下ろしたアリス姫。彼女が片手を広げると、そこへ吸い込まれるように煙幕玉が着地した。
「なーに逃げようとしてんの。帰すと思ってんの?」
 ゴミでも見るような目つき。逃げ足だけは右に出るものがいなかったライアンにとって、この逃走失敗は致命的だったし、唯一のアイデンティティが失われた瞬間でもあった。
(も、もうおしまいだ。俺もここまでか……)
 がくり、とライアンは膝をついた。ここは最強ともいえる国力を有する国。その姫を誘拐なんぞ企んだ輩の末路なんて、もはや画に描いたような結末しかあり得まい。彼は死を覚悟した。
 一気に生気を失った盗賊青年に、アリス姫は大げさにため息をついた。
「なぁーに勝手に自信喪失してんのよ。わたしを誘拐しに来たんでしょ。そんな簡単にあきらめないでよ」
「……は?」
 思わずアリス姫を見上げた。やはりクズでも見るような目つき。しかし、どこか――何かを期待しているような色が垣間見える。
 ワケが分からず呆然としていると、アリス姫は苛立ちを露骨に表出させた。
「だーっ! ついにチャンスがめぐってきたのに、こんなヒョロヒョロしたヤツだなんて……!」
「え、チャンスって、なにが」
「誘拐されるチャンスよ。決まってるでしょ」
 腕を組むアリス姫。
 まったく意味不明である。誘拐されるチャンスって何だ――ちんぷんかんぷんなライアンは頭上に疑問符を浮かべるしかない。
 するとやはりアリス姫はイライラを募らせて、
「もぉぉぉぉぉ! さっさと誘拐してくれって言ってんのよ! 分かんないのこのバカ!」
「余計わかんねーよ!」
 それでバカ呼ばわりはいくらなんでも理不尽だ。ライアンは立ち上がりながらアリス姫を睨み返した。
「お前起きてたんだろ? 誘拐されたいんだったらなんでさっきビンタくらわせたんだよ!」
「睡眠薬で眠らせて拉致とかバッカじゃないの。今時流行んないのよそんなの!」
 頭一つ分は大きいはずのライアンに対して、アリス姫はまったく気圧されることがなかった。
「わたしはもっと、強引に連れ去られたいの! 分かる? 無理矢理がいいのよ!」
「……なんで?」
「こんの……あんたそれでも男ぉ? 可愛い女の子を力づくで連れ去って、自分の思い通りにしたいとか思わないわけぇ?」
「お、俺は別に、そんなの考えちゃいねーよ。金が欲しいだけだ」
「はーっ。信じらんないわ。なに女に対して紳士な信念持ってんの。だっさ。なによもう……初めてだってのに……期待してたのに……」
 言いたい放題である。アリス姫は再びため息をつきながら高い天井を見上げた。
「もういいわ。冷めた。誰か呼ぶ」
「わっ、ちょ、ちょっと待て!」
 扉へと歩き出そうとしたアリス姫の前に、あわててライアンは立ちふさがった。
「待ってくれ。見逃してくれないか」
「あんたはまたこの期に及んで……! ここは『見逃して』じゃなくて、無理矢理なんとかするもんでしょうが!」
 床を踏み鳴らしながら彼女は怒号する。本気で怒っている。
「助けを呼ばれたくなかったら、わたしをどうにかして止めることね」
「むぅ……」
 アリス姫は腰に手を当てて薄い胸を張っている。ライアンはどこか釈然としないものを感じながら、小さな身体へと手を伸ばした。
 すると、一瞬のうちにその右腕を掴まれて、ぶん投げられていた。視界がぐるりと回転して、背中を床に強打する。
「いってぇ!」
「うわ弱っ。あんたホントに盗賊? 今までなにして生きてきたの」
 人生の根本を疑われるまでに、彼女の中でライアンのランクは下がったらしい。というか、今の投げは何だ。
「ちょっと待て、抵抗すんのかよ! 強引がいいんじゃないのかお前!」
「抵抗して当たり前でしょ! その抵抗を打ち破ってこそよ! はい立って立って。でなきゃ今すぐ助け呼ぶから」
「わわ、分かったからちょっと待て」
 つまり……戦ってアリス姫を無力化しろ、そういうことなのか。ライアンはようやくこの結論に至った。とんだワガママお姫様である。
 逃げ足がズバ抜けて速いライアンは、運動神経が悪いわけではない。仮にも盗賊なのだ。だがしかし、先ほどまでのアリス姫の反射神経だったり護身術だったりは、一般人のそれではない――彼女に勝たなければ、城の人間を呼ばれてしまい即牢屋行きである。道は一つしかなかった。
「お前がそう言い出したんだからな? どうなっても文句言うなよ?」
「当たり前でしょ。そんなことはいいから、拉致りたかったらわたしを倒しなさい」
 そう言い返したアリス姫は、妙に形の入った構えを取った。
 ライアンとて盗賊のはしくれである。体術といった系統は見るだけでもなんとなく理解できるが、彼女のそれは明らかに訓練されたものだ。護身用にならっているのだろうか。
 幼い印象が残る小さな顔には、真剣な色が差し込んでおり、あどけなさと大人びた印象が絶妙に入り混じっている。そんな彼女にこれから乱暴をするというのだから、危険な状況ではいつも逃げてばかりのライアンには少し躊躇の念があった。
(いやしかし、このままだと俺は牢屋か最悪処刑になるかもしれない。それに比べたら女一人殴るくらい――ええい、もう知らん!)
 己の命と姫の可憐さを天秤にかけて、ライアンは自分を優先した。彼自身も生き延びるために体術を身に刻み込んでいる。まだ大人ともいえない年齢の少女に遅れをとるわけにもいかなかった。
 彼は持ち前の俊足でもってアリス姫に接近する。目の前でわずかに目をみはる少女。その顔面へ拳をたたきつけようと、右腕を引き絞った。
 すると、すかさずアリス姫のすくい上げるような平手が来た。風船が破裂したみたいな音をたてて、ライアンの視界が横へとズレる。
「いでぇ!」
「だーっ! あんたホントにバカじゃないの! 女の子の顔を殴るってどういうつもり!」
「は、はあ? お前が言ったんだろ力づくでって!」
「それはそうだけどもっと綺麗なやり方ってもんがあるでしょ! 誘拐はもっと素早く、スマートに! 余計な格闘なんていらないのよ!」
 怒りをあらわにするアリス姫の表情は、やはり年相応のものではあったが、言動が支離滅裂である。ライアンは混乱を極めて唸るしかなかった。
 アリス姫はなんで分からないんだとばかりに腕を組んで、
「むうぅぅぅ! 要するに一発で終わらせろってのよ! ほっぺ殴ったって痛いだけでしょうが! さあどうしたらいい? 考えて!」
 ぱん、と手を叩いてまた構えを取る。まるで教師気取りである。
 ライアンは戸惑うしかなかったが、今のヒントでアリス姫の求めるものがようやく把握できた。彼女は別に乱暴されたいとかではないらしい。傷つけずに眠らせろということだ。
(それならそうと言ってくれ……)
 いや、「このように誘拐してくれ」と希望すること自体がおかしな話ではあるが、とにかく答えが得られたのは歓迎すべき点だ。実のところライアンは格闘そのものはあまり得意ではない。しかし実質的な戦闘をこなさなくても、相手を無力化する方法はある。
「分かった、分かったよ。お前の求めているものが。次は大丈夫だ」
「本当でしょうね? 次が最後よ。さ、来て」
 さりげなくもうチャンスがないことを宣告され、ライアンは一瞬たじろいだ。いや問題ない。この方法は片手で数えられる程度だが、実際に成し遂げたこともある。
(姫もそれなりの実力を持っている……反撃を受ける前に終わらせるしかない!)
 すでに二発もビンタを受けているわけだが――とにかくここからが本番だ。ライアンは一つ大きく息を吸い込むと、軽く膝を曲げる。
 む、とアリス姫を眉をひそめて拳を構えた――その時すでに、ライアンは距離を詰めていた。息を呑む音が姫の口から洩れる。
 盗賊青年は手刀を構え、彼女の横をすり抜ける。視線は姫の首の後ろ。うなじあたり。そこへ――
 そこへ、アリス姫の裏拳が飛んできた。
「ぶへっ!」
 また視界がズレて、怒号が浴びせかけられる。
「ああああああああ! なーにが『分かった』よ! このバカ! 脳みそあんの?」
「な、何なんだよ! 一発で終わらせろっつったろ! 何が違うってんだ!」
 痛む頬を押さえて涙目になりながら、ライアンは反論した。首に強い衝撃を与えることで気絶させるつもりだったのに、それさえダメだというのか。
 はあ、とアリス姫は大きくため息をついた。もはやクズ以下でも見るような目つきになっている。
「もういい。冷めた。ホントに冷めたわ。はい終わり終わり」
 少し乱れた髪を整えながら、姫は大きな扉へと向かう。城の人間を呼ぶつもりなのだろう。
「うわー! 待ってくれ! もう一回だけチャンスをくれ!」
 必死で訴えかけるが、アリス姫はもう聞く耳を持たないようだった。一瞬だけ視線をよこしたものの、すぐに扉へと戻して歩んでいく。
(まずいまずいまずい! ここで捕まるわけには――死ぬわけにはいかないんだ!)
 死が見え始めたライアンの精神が、強引に体を突き動かしていた。頬の痛みなど忘れて、背中を向けているアリス姫へと手を伸ばす。
 当然、姫の腕が反撃の挙動を見せた――が、それはもう二度目だ。ライアンは彼女の腕を軽々と掴み、逆に引き寄せる。
「なっ……」
 アリス姫はわずかに驚愕の息をこぼした。半回転しかけていた体が無理矢理引っ張られ、盗賊青年と真正面から向き合うかたちになる。
「あっ――」
 ライアンの表情は、まさになりふり構っていられないという色に変貌していた。とにかくアリス姫を止めなければ、己の身に何が起きるか分からない。”生”へしがみつく彼の目は必死そのもので、力の加減など考えていなかった。
「うおおおおっ!」
 力を最大限振り絞るかのような声が、ライアンの口から飛び出した。硬く握られた右拳が下から弧を描き、アリス姫へと目がけて突き放たれていく。
 小柄な少女の腹へと、その拳は鈍い音をたてて打ち込まれた。
「う゛っ……!?」
 アリス姫は小さな呻きを洩らし、両目をめいっぱい見開いた。
 生地の薄い真っ白なドレスの中央、やや上の辺り――アリス姫の鳩尾へと、ライアンの拳が寸分違わず決まっていた。
「かはっ……! ッ……!」
 細身な肢体がくの字に折れて、詰まったような息を洩らす。
 打ち込んだときに返ってきた腹筋の感触は、確かに鍛えているようだった。しかしやはり女では限界もあるだろう。わずかに抵抗の硬さを感じたものの、女らしい柔らかみのある肌がすぐにライアンの拳を受け入れていた。
(よし、入った!)
 彼自身も、拳に伝わってくる感触に確かな手応えを感じていた。なめらかな肌と薄い筋肉で覆われた腹肉に、めりっと沈んでいる。
「んッ、かっ……ぁ……ぁ゛……!」
 呼吸ができないのか、アリスは小さな口を魚みたいにぱくぱくさせていた。細い体が断続的に痙攣を始める。めり込んだ拳が次第に押し出されてくることに気づいたライアンは、まずい、と焦った。
(も、もう一押しか!)
 一発で終わらせなければ自分は終わり――ライアンは今何よりも自分が助かることを優先していた。姫を気絶させる――それが、たった一つの助かる道なのだ。
 彼はもう片方の手をアリス姫の背中に回した。薄い腹筋が元に戻ろうとする抵抗を押し潰すように、めり込ませていた拳をさらに、半回転させながら奥深くへとねじ込んだ。
 腹筋の小さな抵抗が脆く崩壊し、内臓まで到達した感触が返ってきた。
「ぅぐふぅぅっ……!? ぁがっ……!」
 わずかに残っていた酸素と声が押し出されて、瞳孔が次第に開いていく。だらしなく開かれた口から粘っこい唾液が流れ出て、紫色の唇を濡らした。
 細い両脚はがくがく震え、突き刺さっているライアンの腕にしがみつかなければ立っていられない状態だった。ライアン自身、姫の体重がほとんど乗りかかってきているため、拳で持ち上げていなければならなかった。
 アリス姫は小さく痙攣を繰り返しながら、前のめりになっている状態で頭だけなんとか上げて、盗賊青年を見上げた。
「ぁっ――や――」
 なけなしの酸素を使って、言葉を搾り出す。
「やれば――でき――」
 途端に、アリス姫の肢体が小さく跳ねて、首ががくりと落ちた。
「うわわっ」
 少女の鳩尾から拳を引き抜き、ライアンは完全に脱力している姫の体を抱きとめた。
 だらりとうなだれたような姿。アリス姫の両目は閉じられていて、呼吸もかなり浅くなっている。唾液で濡れた唇が妙に艶かしく、盗賊青年は思わずどきりとした。
 静寂が部屋の中をしばらく支配して、ライアンは乾いた笑いをあげた。
「あはっ、や、やった。やった!」
 喜びを表情にも滲ませながら、少女の柔らかな肢体を抱きかかえる。
 ついに、ついに成功した。いつも情けない失敗ばかりで何の成果も得られない自分だったが、この成功はその失態をすべてなかったことにしてもお釣りが来る。莫大な釣銭だ。
(よしよしよし! あとは帰れば――)
「そこまでだ」
 刃物のような鋭い言葉に、ライアンはびくりと体を震わせた。
 背後から来る圧倒的な存在感。おそるおそる振り向くと、そこにはこの国で知らない者はいない、アリス姫の守護者ともいうべき女騎士が剣を抜いていた。
「げっ、な、なんで……!」
「……貴様、本当に疑問に感じなかったのか? ここまでなんの障害もなかったことに」
 は……? ライアンは言葉の意味が分からず、眉根を寄せて女騎士を見返した。
 女騎士は呆れ顔になって、
「我が国は仮にも最大国力を誇っているんだぞ。その城に住んでいる姫様に、なんの守りもなかった。貴様は疑問を感じなかったか、と聞いているんだ」
「…………え?」
 ライアンは、進入した経路を思い返した。城の排水溝の中から。馬鹿みたいに大きいキッチンを通って。一階の片隅を忍び足で。
 二階。
 三階……。
「……あ」
 彼はようやく気がついた。自分はいつもトラップに引っかかる体質だ。どこへ行くにも。何をするにも。
 今日はうまく入れたぞ――姫の部屋へ到達したとき、彼はそう思った。思っただけで、何もおかしいとは考えなかった。
 それ自体がおかしいのだった。
「まさかとは思うが、”何一つ守りに引っかからなかった”ことを”全て回避した”なんて思っているんじゃないだろうな」
「……違うの?」
「貴様は別に忍びがうまかったんじゃない。そもそもこの城には何もしかけていない。普通の盗っ人なら、この時点で危険を感じて引き返すのだが……貴様は何というか、正直だな。盗賊には向かんよ」
 殺気さえ滲み出していた女騎士の表情がふっと柔らかくなり、剣を腰の鞘へと納めた。
「姫様を置いてどこへなりとも去るがいい。今なら見逃してやる」
「え、あ、えーっと」
「私の気が変わらんうちに早く行動した方がいい。貴様は姫様に害を加えている。それを大臣に知られたら……簡単には死ねないぞ。多分、爪を一枚ずつはがしながら針を突き刺して――」
「は、ははははい! 分かりました! 帰ります帰ります! ありがとうございました! 」
 謎のお礼を言い放ちながらライアンは姫をわざわざベッドに寝かせ、正面の扉へと駆け出していく。
「物音だけには気をつけろよ。途中で見つかったらさすがに擁護できない」
「だ、大丈夫です! 逃げることだけは得意なんで!」
「声がでかいぞ。あと余計なお世話かもしれないが、足を洗った方がいい。その足腰を生かして配達屋にでもなれ」
 無言のまま女騎士に一礼し、ライアンは扉を静かに開けてするりと部屋を飛び出した。ルートは覚えている。何もトラップに引っかからなかった――本当は、何も仕掛けられていないルート。馬鹿正直に喜んでいた自分が情けない。
(ああ……馬鹿だ。馬鹿だ。なんて馬鹿なんだ俺は)
 悔しさに歯を噛みながら、だだっ広い城内を小さな足音さえ立てずにするすると移動する。
 外へと目指しながら、彼は女騎士の言葉を反芻していた。
(……そうか、配達屋、いいかもな)
 

 余談だが、アリス姫が目を覚ました後、女騎士は猛烈なワガママ抗議に頭を痛めていた。
「な、ん、で! そのまま放っておいてくれなかったの!」
「ですから姫様。さすがに誘拐されるのを黙って見ているわけには」
「わたしはああやってさらわれるのが夢だったのにぃ! どうすんの、もうあんなヤツ絶対来てくれないよ! せっかくのチャンスを台無しにしちゃって! もう口きいてやらないからね!」
「ひ、姫様、落ち着いてください」
 ふんっ、とアリス姫は腕を組んでそっぽを向いた。
 ここは最大最強とも呼ばれるほどの国。強すぎる国力ゆえ、アリス姫はどんな敵国や国内の反乱分子からも狙われない。だから彼女は、日頃から欲しているのだった。
 あの頼りない盗賊のように、自分をさらってくれる人間を。
 おとぎ話にあるようなヒロインに、自分もなってみたいのだった。
 
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