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花びらたち ★3-5

 廊下の壁に背中を預け、深呼吸する。強化の反動によるダメージがまだ抜け切っていないが、ゆっくり休んでいる暇などない。
(イチかバチか、かけるしかありません)
 魔力をぶつけ、無理やりにでも記憶を呼び覚ます方法を取ることにした。幼なじみについては誰よりも深く理解しているつもりだ。
 あの性格からして、まともな話し合いよりは実力行使の方が幾分効果的だろうと思われた。要するにショック療法である。
「けほっ……」
 いまだに脳が揺れているようなめまいを感じるが、このような症状は治療魔法で回復できない。身体的な疲労と同じだ。
 しかも自らを強化するなど慣れないことをしたため、余計に魔力を消費してしまった。果たしてこの状態でまともに行動することができるのかどうか。
「まったく、どうかしてますわね」
 呆れたように笑みを浮かべる。
 そもそも治療士が拳士と戦うこと自体が無謀だ。一騎打ちで拳士の右に出るものはいない。火力の高さが発揮されるのはあくまで複数と戦う場合の話である。
 だがやるしかない。
 マーガレットは法衣のポケットから一つの石を取り出した。赤く輝くその魔結晶。カトレアにほとんど渡してしまったから、残りはこの一つだけである。
 考えはある。ただしこれは策といえるようなレベルではない。自分自身でも正気を疑うほどだが、成功する確率でいえば間違いなく一番高いといえる作戦だ。近接戦では到底かなうはずのない拳士に、こちらの攻撃を直撃させる方法。
「……!?」
 一瞬、悪寒が背中を駆け上がった。。突然だった。ただ漠然と、何か危機が迫っているということだけをはっきりと直感した。
 転がるようにして壁から離れる。背中をあずけていた壁が、けたたましい音をたてて瓦解した。爆発でも受けたかのように破片が飛び散る。
「見つけた」
 拳を突き出したチューリップが、陽の光を背に立っていた。
「よく場所がはっきりと分かりましたわね」
「呼吸でなんとなく分かるし」
 チューリップの属性は風だ。大気の流れを読むことさえ可能なため、マーガレットの乱れた呼吸を感知したのだろう。具体的な範囲は分からないが、おそらく城のどこに隠れてもすぐに発見されることになる。
 粉々になった破片を踏む音。チューリップの後ろからエリカも続いて入ってきた。相変わらず余裕に満ちた表情である。
「諦めたら? なにしたってチューリップちゃんは戻らないわよ」
 唇を噛む。もう考えている暇はないのだ。
「チューリップ、わたくしを倒したいですか」
「倒す。敵だもん」
「何度も言いますがわたくしは治療士です。まさか一撃で倒せないなんてことはありませんわよね?」
 小柄な拳士は眉を寄せる。
「どういう意味?」
「あなたは魔獣を一撃で倒してきた――そうでしょう? でも、魔法使いはどうでしょうね?」
 わざとらしく口元の端を歪めてみせる。チューリップは怪訝な顔で見返してきた。
「できるよ。お前みたいな魔法使い、一発で終わらせられる」
「あーら本当に? いいでしょう。ではその拳一つで決めてごらんなさい。気絶でもすればあなたの勝ちです」
 壁際へと移動しながら言葉を紡ぐ。
 マーガレットの不自然な言動にはエリカも首を傾げる思いだったろう。それでいい。誘いに乗ってくれなければ意味がない。
 そして挑発するように続ける。
「ああ、さきほどはあなたの蹴りを避けてしまいましたわね。それはカウントしないでさしあげますから」
「――馬鹿にしないで!」
 ぐっ、とわずかに腰を落とした拳士が、床を蹴った。

 城の廊下とはいえ極端に幅広いわけではない。マーガレットは煽るような言葉を放っている間に、壁の方へと歩み寄っていた。両者には多少なりとも距離がある。
 しかし風属性のチューリップにはむしろ得意な間合いだ。たとえマーガレットが強力な攻撃魔法を有していたとしても、状況があまりにも偏りすぎている。このような場所に逃げ込んだのは失態ともいえた。
 マーガレットが取れる手段は迎撃のみ――エリカは既に予想していた。チューリップの記憶を少しでも垣間見たゆえの、当然ともいえる対策をあらかじめ講じている。完全に敵意をむきだしにしているチューリップには、
「あいつ、さっきと同じことやるよ」
 とそれだけ囁いた。それだけで彼女も頷いていたから、きっと理解している。
 すなわち、攻撃を直前で回避してのカウンター。蹴りを<ラピッド>で回避したことをもう一度行うはずだ。今の状況で後衛魔法使いができることといえばそれくらいしかない。
 あの余裕に見える素振りはチューリップの攻撃を誘う挑発だと分かりきっている。しかも一撃で、と念を押しておけば、必然的に攻撃力を重点に置いた大振りの攻撃を放つことになる。たとえ治療士でもあらかじめ対策しておけば拳を避けることは難しくないし、その隙をつくこともできよう。
 壁を背にしているのも、攻撃を真正面に限定させるための措置だ。なるほどチューリップのことをよく知っている間柄だからこそ出来る作戦といえる。だがいかんせん選択肢が狭いのが問題だ。
(残念だけど、それだけこっちも予想つきやすいのよね)
 エリカはほくそ笑む。チューリップとて拳士としてのレベルは相当なものだ。同じ失態は二度としないだろう。さらには相手の反撃を警戒し。初撃を回避されたときの対処法も頭に叩き込んでいるはずだ。
 事実上、マーガレットは詰んでいるのだ。この局面に。
 白いドレスのような法衣を着た治療士に、赤い髪の拳士が迫る。子供の頃から一緒の二人。それが今敵同士となって戦っている。最高じゃないか。面白くて仕方がない。
「うああぁぁぁ!」
 拳士が吼える。
 下から上へと突き上げるように放たれた拳は、回避されなかった。
「え……?」
 エリカは呆然とその光景に見入った。
 チューリップの強化された拳は、マーガレットの腹部を確実に捉えていた。

 魔力は防御へと回していた。一撃で決めるのなら腹部を狙ってくるだろうことは予想がつく。
 しかしマーガレットは避けるのではなく、攻撃をあえて受ける選択肢を取った。チューリップに二度と同じ手は通用しないと分かっていたから。
 腹筋に貼り付けるように、残り少ない魔力を<プロテクト>として展開していたのだが、甘かった。
「ぐふっ――!?」
 体がくの字に折れ曲がる。凝縮した魔力の盾をもってしても、チューリップの拳を防ぎきることができなかった。<プロテクト>を貫いた凶拳はマーガレットのやわらかな腹にみしりとめり込み、胃を変形させた。
 壁を背にしているためダメージは逃がせない。その壁が震えるほどの衝撃が治療士の薄い腹筋を突き破っていた。捻りを加えられた拳は法衣を巻き込みながら、壁と挟むようにして内臓を押し上げる。
「げぇふ――!」
 強制移動させれた胃袋からこみあげてきた液体が吐き出される。内臓が破裂したかのような感覚に体が痙攣し、激しい嘔吐感に悶絶する。
――それでも、明滅する視界の中で、マーガレットは賭けともいえるこの作戦の成功を確信した。
 チューリップは攻撃が見事に直撃したことで逆に戸惑っていた。回避するもだろうと踏んでいたからだ。
 この一瞬の硬直がマーガレットの見出した作戦の要である。
「ぐううぅぅぅ!」
 歯を食いしばりながら右手を幼なじみの腹へと伸ばす。握りこんでいた赤い魔結晶を押し付けた。
 魔結晶はいわば爆弾だ。当然威力は容量に左右されるが、この至近距離ならば効果もそれなりに望める。
 防御に集中させてほとんど枯れ果てているわずかな魔力。それを起爆のために送り込む。
 チューリップが気付いたが、もう遅い。
 指の間から光が洩れる。ほぼゼロとなっている距離で、魔結晶が爆散した。
「があああああっ!」
 拳士の痛々しい悲鳴。爆発によってチューリップは弾き飛ばされた。壁へと背中から叩きつけられ、どさりと床へと転がる。
「あっ……ぐふっ」
 拳が引き抜かれた腹の痛みに、マーガレットは膝をつく。左手で腹部を押さえて呻いた。咳き込むたびに、再びこみあげてきた胃液と唾液がこぼれた。
 右手も無事ではすまなかった。手の平は焼け爛れたように赤黒く変色し、煙すら立ち上っている。針を何十本も刺されているような痛みだ。指さえまともに動かせない。
(慣れないことはするもんじゃありませんわね)
 今の使い方は、言ってみれば『拳士風』だ。チューリップならば手にダメージを負うことなく魔結晶を解放することもできただろうが、あいにくとマーガレットにはそのような工夫を行う術を持っていなかった。しょせんは近接戦の真似事だ。
 状況の変化にようやく追いついたらしいエリカが、慌てた様子でチューリップへと駆け寄ろうとした。
「動かないで!」
 痛みを堪えながら叫ぶ。拾い上げた杖を突きつけると、エリカはびくりと身体を硬直させた。
 幼なじみへと視線を移す。腹を抱えるようにして蹲り、時折咳き込んでいる。彼女が衝突した壁を見ると、見事にヒビが円形に広がっていた。全身に走る痛みは相当なものだろう。
 胸の奥がずきりと痛む。震える膝を無理やり伸ばし、己の右手を治療しながら彼女のもとへと歩み寄った。
「はぁ、はぁ……チューリップ?」
 ぴくり、と小柄な体が反応した。マーガレットは思わず唾を飲み込む。
 このリスクの大きい賭けは、果たして効果があったのかどうか。記憶に更なる悪影響を与えてしまったのではないかと思うと、今更ながら後悔の念が沸きあがってくる。心臓が爆発しそうな思いだった。
「うぅぅ――、痛いよマーガレット! ひどい! だから治療士の暴君とか言われるんだよ!」
 上半身を起こしながら、開口一番聞き捨てならないセリフを放った。
「そんな称号初耳ですわよ! そもそもあなたがこんな姑息な手段であっさり洗脳されるのがいけないのです!」
「洗脳ってなに? そんなのされてないし!」
「今まさにされてたでしょう――って」
 ぱたりと言葉を止める。チューリップは疑問符を頭の上に浮かべているかのように、首を傾げながら見つめ返してきた。
 体の痛みも忘れて彼女の肩を掴む。
「戻った? 戻りましたのね?」
「だからなんの話? 戻ったとかなんとか意味分かんないよ」
「わたくしはあなたにとって何です?」
「なんなの急に」
「いいから答えなさい!」
「と、友達だよ」
 マーガレットは深く安堵した。緊張が解けたのか、膝から力が抜けていった。ぺたりと座り込む。
 結果的には成功した。マーガレット自身は気づいていないが、実際のところ様々な要因が作用した結果であった。
 一番大きな影響となったのは、チューリップがボディブローを繰り出したときである。
 セレスタイト村での任務中、マーガレットは魔法を封じるという石を飲み込んでしまった。それを吐き出すために腹を殴らせたことが、チューリップにとってはトラウマに近い印象を残している。今回再び拳を叩き込んだことによりフラッシュバックし、記憶を取り戻させる要因の一つとなったのだ。
 あとは馴染み深い炎属性の魔法を直接受けたことと、壁に激突したことによる衝撃。ショック療法という言葉はあながち間違いではない。
 チューリップが周りをきょろきょろと見渡す。
「あれ、なんでお城? カトレアは?」
「最後に覚えていることは何です?」
「宿屋に帰って、疲れたから寝て……いつ目が覚めたんだっけ。んー?」
 腕を組みながら首を左右に傾げている。
 心の中でマーガレットは安堵した。偽の記憶は完全に消え去ったらしい。エリカは書き換えたと豪語していたが、あくまで洗脳程度のものだったということがはっきりした。
 はっ、と気付く。エリカを確保しなくては。
「さあ、大人しく投降してもらいますわよ」
 視線を向けたが、そこにエリカの姿はなかった。紫の長髪も、余裕を滲ませていた表情も、どこにも見当たらない。
 代わりに大きなの犬がいた。全身が白い毛で覆われているその大型犬は、目が合うと萎縮したように逃げ出してしまった。穴が空いた壁から走り去っていく。
「ま、待ちなさい!」
 慌てて追いかけようとするが、腹部の痛みがそれを許さなかった。立ち上がろうとしても膝に力が入らない。いまだに鈍痛が内臓にも響いている。
「あっ――大丈夫?」
 偽の記憶は覚えていないが、拳を叩き込んだことはしっかりと刻み込まれているようだった。今にも泣き出しそうな表情で顔を覗きこんでくる。
 お構いなしにマーガレットは叫ぶ。
「捕まえるのです! 早く!」
「ええっ? でも――」
「いいから早く!」
「う、うん」
 立ち上がると同時にチューリップは加速を始める。一陣の風を残しながら、一瞬にして視界から彼女の姿が消えた。
 杖を支えに立ち上がり、痛みを堪えながら後を追いかける。再び陽が照らす庭の先へと歩み出ると、すぐに幼なじみの姿を発見した。
「うわー、ふさふさ気持ちいいー!」
 捕獲した大型犬とじゃれあっていた。抱きつくようにしながらスキンシップをはかっている。対して犬の方は、なんとか逃れようとわんわん吠えながら身もだえしているが、一向に脱出できる様子はない。
 マーガレットは杖の先端で幼なじみの頭を軽く小突く。
「いたっ」
「なにしていますの」
「なにって……あ、そっか。マーガレットもする? すごいさらさらでふさふさだよ」
「遊んでいる場合ではありません!」
「そのために捕まえたんじゃないの?」
「違いますから!」
 ため息をつきながらも犬を睨みつける。
「変身を解きなさい」
 犬はすぐに抵抗を止めた。天に向かって鼻先を突き出すと、体に変化が現れ始める。光を帯びたように発光し、四足歩行のシルエットが次第に立ち上がっていく。
「うわわっ」
 驚いたチューリップは慌てて犬を解放する。
 光は輪郭をはっきりと形成していき、宙に溶けた粒子の後には人間の姿が残った。紫の髪をした少女――エリカは、唇を噛み締めながらマーガレットたちを睨み返している。
「すごい! 変身する魔法って初めて見た!」
 チューリップは澄んだ瞳を輝かせていた。予想外の反応だったのか、エリカは目を丸くしている。
「ねえねえ、他の動物にもなれるの? 鳥は? 馬は?」
「な、なんなのよあんた……」
 敵意とはまるで逆の、好奇心旺盛な眼差しを向けられて動揺しているようだった。
 マーガレットは無意識のうちに微笑んでいた。今のチューリップは、間違いなく本来の彼女そのものであるという確信を改めて感じる。
 とはいえこのままでは話が前に進まない。再び幼なじみの頭を杖で軽く叩く。
「やめなさい。彼女は敵なのですよ? ……とは言ってもあなたはほとんど覚えていないでしょうが」
「へ?」
「とにかく。エリカさん、今すぐ夢から解放しなさい。これはお願いではありませんわよ」
 威嚇するように杖を突きつける。一刻も早くここから脱出し、現実世界のカトレアと合流したい。彼女は一人で待機しているのだ。
「ふん、正義の魔法使いが脅しなんてしていいの?」
「あなたから正義なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。それにわたくしは何も正義をかざしているつもりはありません。従わないのなら、それ相応の手段を取らせて頂きます」
 ぐっ、とエリカが口をつぐんだ。彼女の変身魔法は戦闘用ではない。あくまで姿かたちだけ似せただけのものだ。能力まで丸ごとコピーしているわけではない。でなければ、記憶を変えるといった回りくどい行動など取るはずがない。
 後ずさろうとする彼女に迫る。と、小柄な体が割って入ってきた。
「ちょっと、乱暴は駄目だよ」
 かばうようにして赤髪の拳士が立ちはだかる。これにはさすがに驚く他ない。こんなときに何をやっているんだこの子は。
「ちゃんと説明してよ。でないとどかないからね」
 ため息をつくしかない。こうなるとテコでも動かないのがチューリップだ。
「あんた馬鹿じゃないの。わたしの何を知ってるっていうのよ」
 記憶が戻ったチューリップはエリカの事を何ひとつ知らないはずなのだ。赤の他人で、どんな人間なのか知れたものではない。
 だがそれでも。
「あなたはチューリップの記憶を見たはずでしょう。でしたら分かりますわよね。この子がどんな性格なのか」
 どこまでも自分に正直で、納得のいかない事は絶対に見過ごさない。悪く言えばお人好し、良く言えば正義感の強い性格なのだった。
 それはエリカ自身も理解しているようだった。目の前で自分を守ろうとしている赤髪の拳士は、間違いなく本物の『正義の味方』たりえた。
「ねえ、エーデル……どうしたらいいか分かんないよ」
 紫髪の少女が紡ぐ名前は、マーガレットにも聞き覚えがある。彼女自身が口にしていた名前。チューリップを夢に束縛している張本人のはずだ。
『もう、いいよ。お姉ちゃん』
 新たな声が耳に届いた。いや、直接頭に響いてきたような感覚。この場にいる三人がその声をしっかりと聞いた。
 瞬間、景色が霧散した。


 ゴブリンたちに痛めつけられているカトレアは、法衣がぼろぼろになっていた。棍棒で殴られ続けた腹部の辺りが破けて、赤黒く変色した肌と臍を晒している。顔には一切傷がなく、ゴブリンたちも意地になって腹だけを責め続けたらしい。
「はぁっ――はぁっ――」
 だが、彼女は荒い息を吐くだけで膝を突かなかった。どれだけ殴られても、唾液と胃液を吐き出しても、ただひたすら耐えた。骨も折れていなければ出血さえもない。
「クソが! こいつ魔法で体を強化しやがったな……!」
 ようやく気がついた親玉は舌打ちした。
 マーガットから譲り受けた<プロテクト>の魔結晶で防御力が上がっているとはいえ、ダメージは確実に蓄積されている。長期戦は分が悪い。
 ちらり、とカトレアは捕らえられている少女に視線を移す。小さな女の子は子分ゴブリンの腕の中で、涙を流しながら俯いていた。
「泣かないでください。あなたは悪くない」
 少女が顔を上げて目を見開く。カトレアが暴行を受けているのは自分が捕まってしまったせいだという自覚があったのかもしれない。少女は思いもよらない言葉を投げかけられて、声をあげて泣き出してしまった。
「ええい静かにしろ! ガキの泣き声はうるさくて耳障りだ!」
 親玉が我慢できないといった様子で、己の腰あたりまでしかない背丈の少女の頬を、あろうことか張り飛ばした。軽い体が子分の腕から離れ、地面へと倒れこむ。
「ふざけるな……!」
 カトレアの声色には怒気が含まれていた。真っ直ぐ向けられた視線に親玉は一瞬たじろいだが、余計に苛立ちを募らせたようだった。
「これだけ殴られてもまだ余裕ぶってるつもりか。絶対に弱音を吐かせてやる」
 再び棍棒を構える。そこへ片方の子分が奇声をあげながら近寄っていった。
「……!」
 その手に握られているものを見て、カトレアは己の未熟さを呪った。
「おお、こりゃこいつの剣じゃねぇか」
 得物が親玉に手渡された。鞘に収められたままの、カトレアの相棒ともいうべき魔力を断つ刀。
 少女を人質にされたためやむを得ず手放した刀だったが、ゴブリンたちの手が届かないところへと投げ捨てるべきだった。
「刺し殺しちゃつまんねぇからな。このままこいつでぶん殴ってやる」
 親玉は身の丈ほどもある鞘を握り締めた。
 鞘に収めらているとはいえ刀は魔力を斬る特性があるため、<プロテクト>の効力を断ち切る可能性が高い。直接斬られなくてもだ。
「おっ、こいつちょっとびびってやがるぜ。ひひ」
 鳥肌が立つような気味の悪い笑み。近づけられたむせるような息遣いに、カトレアは顔を逸らした。
「寄るな。下衆め」
「いいぜ。その減らず口、命乞いに変えてやらぁ!」
 親玉は腰をひねり、刀を引いて構えた。狙うのは当然の如く腹だろう。カトレアは出来うる限り腹筋を固めた。ぐっ、と息を止める。
 瞬間、得物を叩き込もうとした親玉の表情が驚愕へと変わる。同時にカトレアの隣を風が駆け抜けた。
「たああああああ!」
 激昂と共に風が親玉に激突する。野太い呻き声が吹っ飛ばされていく。刀は手元を離れ、カトレアの足元に転がった。
 跳び蹴りを決めた風の正体が、ふわりと着地する。赤いショーヘア。機敏な動作を第一に考えられた露出の多い法衣。晒された健康的な脚には特殊な膝当てとショートブーツ。
「よかった。間に合っ――」
 振り向いた赤髪の少女――チューリップは愕然と目を見開いた。
 さらに左隣から真っ白い筒のようなシルエットの少女が顔を覗かせてくる。大きなキノコ型の帽子と純白の法衣。茶色の長髪。一般の物より一回り大きな杖を握っている。
「なっ、これは――」
 治療士マーガレットは怒りをその端整な顔立ちに色濃く表した。
 二人が戸惑うのも無理はない。カトレアの破れた法衣から覗く腹部は変色して痣が出来ているのだ。
「問題ありません。骨は無事です」
「問題ありますわ!」
 カトレアとしては安心させるつもりで告げたのだが、意味はなかったようだ。マーガレットが目の前で屈みこみ、腹部に手を当てて魔法を発動させる。淡い光が両手を染めた。
 んっ、とカトレアはわずかに呻く。<プロテクト>の魔結晶は確かに致命傷を防いでくれたが、ダメージを受けたという感覚そのものまで軽減してしまっていたようだ。カトレア本人が自覚しているよりもずっと、深刻なダメージをその身に受けていたのである。
「内臓が破裂寸前ですわよ……! 無茶しないでください!」
 治療する際にそのダメージを感じ取った治療士は怒りをあらわにしていた。それは彼女自身に対するものだ。カトレアを一人にしてしまったことに、やはり後悔の念が襲ってきたのだろう。
「お前たち、最低!」
 赤髪の拳士が滾らせる怒りは、魔獣たちに向けられていた。気絶している女の子を抱き上げながら鋭く睨みつける。
「三対一で、しかも人質ってひどすぎ」
 蹴りを真正面から受けた親玉の鼻は潰れてしまっていた。どろどろとした鼻血を流す彼は立ち上がりながら悪態をつく。
「全員揃ったじゃねえか……! 話が違うぞ……!」
「もう諦めなさい。エリカさんは降伏しましたわよ」
 治療しながらマーガレットが告げる。カトレアには会話の内容がほとんど理解できないが、チューリップを夢に閉じ込めた者とゴブリンたちが協力関係にあったことだけは察することができた。
「これだから人間は……あっさり手の平を返しやがる」
 親玉はふらつきながらも棍棒を拾い上げた。二匹の子分が彼の両脇で同じく得物を構える。もはやなりふりかまっていられない、という状態のようだった。
「私一人で片付けます」
 チューリップらだけでなく、ゴブリンの親玉までもが黒髪少女の言葉に唖然とした。一方で、子分たちは体を震わせて後ずさった。今までにないほどの危険を感じ取ったのか、得物さえ取り落として親玉の後ろへと隠れる。
「まだ治療は――」
「構いません」
 治療士の制止を振り切って刀を手にし、ゆっくりとゴブリンたちへ歩み寄っていく。
「大人しく森で暮らすというのなら今すぐ帰れ。私の気が変わらないうちに」
 声や表情はいつもの彼女だった。戦う彼女としての立ち振る舞い。ただし仲間の二人はなんとなく気付いていた。まだ長い期間を共に過ごしてきたわけではないが、それでも彼女が放つ雰囲気にわずかな違いがあることを肌で感じ取った。
「カトレア、怒ってる?」
 仲間である拳士の問いには答えず、真っ直ぐ魔獣どもを見据えたまま歩を進める。
 有り体にいえば、カトレアは“キレていた”。
「お前ら、怯えるな! あいつは万全じゃないんだ。行け!」
 無謀な戦いだ。二匹の子分たちですら絶対に勝てないと悟っているのに、親玉は逆上していてそれを認めようとしない。彼らにとってリーダーの命令は絶対で、反論は許されないのだ。
 死ぬしかない。ならせめて一矢報いる。
 棍棒を振り上げながら突撃する二匹のゴブリン。カトレアは刀を鞘から抜いた。
 ただそれだけ。優れた動体視力を持つチューリップでさえその動作しか見て取れなかったのに、子分たちの首が胴体から転げ落ちた。
 皆が息を呑む。いつ斬ったのかまるで分からなかった。まるでカトレアの周りに見えない刃が待ち構えているかのように、ゴブリンたちはひとりでに切断されたのだ。
 魔法が満足に使えないカトレアは剣技でもって戦うしか方法がない。だが実際はなんのことはない。果たして魔力を断つ刀という得物そのものが働かせる力なのか、それとも彼女自身の技術なのか、見当もつかない。
 ただ一つ言えるのは、カトレアの技はもはや魔法の域にあるということ。彼女は親玉の数歩手前で立ち止まる。
「まだだ、まだ終わっちゃいねえ!」
 親玉は腰に巻いている布から小さなカプセルのようなものを取り出した。それを口に含むと、噛み砕いて飲み込んだ。
 彼の体が小刻みに震え始める。恐怖からではない。びきびき、と聞いたことのない音。親玉の筋肉が膨れ上がっていく音だった。
「巨大化した……?」
 マーガレットが呟きながら視線を上げていく。
 見る見るうちにゴブリンであったはずの体が別の存在へと変貌していった。以前遭遇した巨大ゴーレムと肩を並べるほどの大きさかもしれない。人間など軽く踏み潰してしまえそうなほどだ。棍棒だけが置き去りにされている。
「グオオオオオオ!」
 咆哮が村全体に響き渡る。地面が揺れているような感覚だった。
 気絶していた少女が目を覚ましたらしく、再び小さな嗚咽がこぼれ始める。
「カトレア!」
「チューリップさん、その子の目を塞いでください」
 巨大な敵を目の前にしても、若き戦器士は表情を変えなかった。
 全く動じないカトレアの様子が癇に障ったのか、巨大ゴブリンは雄たけびをあげながら右腕を振り下ろした。
 真上から襲ってくる岩石のような拳を、カトレアは一歩横にずれるだけで回避した。振動とともに拳が地面にめり込む。
 刀を鞘へと戻して腕へ飛び乗った。大木のような親玉の腕を駆け上る。なびく黒髪。肩へ到達そたところで再び刀を抜いた。刀身が陽に反射する。
 勢いを殺さずにそのまま駆け抜けていく。肩から飛び降りて着地すると、親玉には振り向かずに言葉だけ紡いだ。
「私を殴った回数を覚えているか?」
「知ルカァ!」
 背中を向けたままのカトレアに対して、次は踏み潰そうと足を高く上げる。
「私は数えていた」
 刀が鞘へとゆっくり収められていく。親玉の動きはぴたりと止まっていた。巨大になった醜い顔も硬直している。
 チューリップは異変を感じて目を凝らした。ゴブリンの変化に気付く。彼の体に切れ込みが生まれていくのが見て取れた。まるで鞘に戻っていく刀と連動しているかのように、体のあらゆる部分に黒い線が引かれていく。その数は。
「二十八回だ」
 キン、と刀が完全に納められた。同時に親玉の体が崩れ落ちる。無残な姿へと終着した。頭、胴体、腕、脚。それぞれ均等な大きさで、二十個以上のパーツとして切断されていた。
 血は既に凝固しかけているらしく、傷口から少し垂れているだけだった。夥しい量の血液が飛び散ったりしないのは、カトレアの魔力が影響を及ぼしているからかもしれない。傷口を氷で固めるだけなら、そう魔力を消費しないはずだ。
「マーガレットさん。すみませんが後始末を」
「……え? は、はい」
 展開に頭が追いつかなかったマーガレットは、半ば呆然としながら頷いた。杖を掲げると<ファイアボール>が空中に出現する。浮かび上がった火球をゴブリンであった者の肉片へと撃ち出していく。
 体のパーツは炎によって焼却されていく。ぶすぶすと肉の焼ける音と、あまり心地良くはない匂いが立ち上ってきた。
 少女を匿うように抱きしめているチューリップが口を開く。
「カ、カトレア。怒ってたでしょ絶対」
「一方的に殴られて平常心でいられるほど、私は穏やかな心を持っていませんよ」
 ふっ、と軽く微笑んだ。冗談を言ったつもりだったが、チューリップは乾いた笑い声を滲ませるだけだった。まったく言葉というのは難しい。
 法衣が破けたままのカトレアが二人に歩み寄っていく。足音に振り向いた女の子は、涙を滲ませながら黒髪の戦器士を見上げた。
 カトレアが手を伸ばす。小さな女の子はぎゅっと目を瞑ったが、優しく頭を撫でられたことに驚いて目を開いた。怒られると思っていたのだろう。
「もう一人で出歩いてはいけませんよ」
 聞けば、女の子は家で飼っているペットを探しに来たそうだ。ゴブリンの襲撃を受けて親と一緒に逃げ出したが、愛するペットを置いてきてしまったらしい。
 ごめんなさいと謝る少女が泣き止むまで、カトレアはいつまでも頭を撫で続けていた。

Comment

No:26|管理人のみ閲覧できます
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No:27|Re: タイトルなし
管理人だけ見れるコメントですので返信するか迷いましたが。

ありがとうございます。彼女もまたそのうちボロボロにされると思います。
更新の間が開いたりしますが、気長に待っていただけるとありがたいです。

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