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花びらたち 1-2

 セレスタイト村は、現在は人口三十人程度の住人しか住んでいない。リーフガーデン国が立ち上がった際、ほとんどの住人は城下町に移り住んだからである。
 馬車から降りた二人の魔法使いは、全く活気付いていない村を眺めていた。時刻は昼を過ぎてしばらく経つ。チューリップが、乱雑に置かれた荷車を一瞥しながら呟いた。
「みんな一緒に来ればいいのにね」
「この村にいるのは男性ばかりです。無理もありませんわ」
 マーガレットは杖を柄を撫でた。
 村にとどまっているのは、まだ国の方針を信じ切れていない男性がほとんどだ。女性がいるとすれば、まだ生まれて間もない赤ん坊か老人だろう。
 男性は魔力を持たないため、昔から女性より立場は弱い。それを改善し、魔力の有無や人種関係なしに平和をつくろうという理想をかかげているのがリーフガーデン国である。
「わが国はまだ立ち上がったばかりですからね。知名度としてはまだ低いですわ」
「それじゃ、良い事して名をあげなきゃだね」
「簡単にいえばそうなりますわね」
 チューリップの発言は単純だったが、実際その一面もあった。セレスタイト村そのものはまだ国に順じていないが、平和を望む国としては放っておくわけにはいかない。魔力にも作用するとされる病気を解決し、男性たちの信頼を得ることも大切だ。
 二人はある民家へと向かった。報告によれば、既に一人の治療士が病気に侵され、村で待機しているはずだ。その人物は、マーガレットもよく知っている。
 マーガレットが扉を軽く叩いた。
「リーフガーデン国、治療士のマーガレットです。アロエさんはいらっしゃいますか?」
「は、はい。どうぞ」
 怯えているような声色が返ってきた。失礼します、とマーガレットは扉を開けて民家へと足を踏み入れる。
 中は必要最低限の家具しかない殺風景な場所だった。治療士アロエは、ベッドに座ったままマーガレットたちを迎えた。
「マーガレットさん、まさかあなたが……」
 アロエも治療士の法衣をまとっている。朱色の長髪は乱れ、顔色が悪い。
「あなたが心配で、派遣に立候補しましたのよ」
 マーガレットとアロエは同期だ。治療士としての訓練や勉学を共に過ごした時間は長い。マーガレットから見ても彼女は優秀で、そして泣き虫であるということを知っている。
「こちらは拳士のチューリップです。わたくしのボディーガードですわね」
「ああ、あなたがチューリップさん? マーガレットさんからよく話は聞いています。猪突猛進で危なっかしくて、放っておくと何をしでかすか分からないって――」
「あー、あー、こほん」
 わざとらしく咳払いをするマーガレットの頬は少し赤く染まっていた。チューリップはというと恥ずかしそうに「照れるなぁ」と鼻の頭をかいていた。
「褒めてませんから!」
 と、マーガレットの素早い突っ込みが飛ぶ。二人の様子を目の当たりにしたアロエはくすりと笑ったが、すぐに表情が曇った。
「村に住む女性たちは、みなさん魔力が枯渇しています」
「やはり……到着してからおかしいと思っていましたわ。魔力の波動がまったく感じられません」
 魔力はいわば、もう一つの心臓だ。他人の魔力は鼓動として感じ取ることができる。当然それは魔力の強さと弱さも関わってくる。
「アロエさん、あなたも魔力が……大丈夫なのですか?」
「は、はい。魔力供給を行ったので……」
 アロエは目を泳がせながら答えた。
「なっ……空っぽ寸前になるまで供給したのですか!? 無茶ですわ!」
 突然の大声にアロエとチューリップまでもが肩をびくりと震わせた。
 魔力供給は自分の魔力を他人に分け与えることだ。血液と同じで相性もあり、リスクの方が大きい。与える側は激しく消耗し、与えられる側は微量の魔力しか回復できない。
 マーガレットは友人を睨みつけながらも、ため息をついた。
「あなたらしいといえばあなたらしいのですが。無理はなさらないでくださいませ」
「は、はい……ごめんなさい」
 体を縮こまらせたアロエは、うつむいてしまった。
 しかし一方で、マーガレットは彼女を尊敬の眼差しで見つめた。自分を省みず誰かを助ける。治療士の鑑といえる行動だろう。
「ねえ、原因は分からないの?」
 しばしの沈黙の後、チューリップが尋ねた。
「えっと……南東にある森の奥地が怪しい、と……」
「怪しい? はっきりとは分からないんですの?」
「あ、あの……瘴気が感じられるんです」
 なるほど、とマーガレットは頷いた。魔力にまで影響を及ぼすのだから、ただの病気ではないことは分かりきっている。何か見えない力が働いている。考えられる可能性はいくつかあるが……
「魔獣かもしれませんわね」
 魔獣。人間や亜人とも違う別の生命体だ。進化の過程がずれたなどという憶測も飛び交っているが、そんな仮説は到底当てはまらない全く別の生き物である。人間はもちろん亜人も魔獣に襲われることがある。この世界の異物――モンスターである。
「しかし、だとすればわたくしたちもその森へ近づけませんわね……それに、村にもすでに浸透しているのでしょう?」
「それ、なんですけど。これを飲んでください」
 アロエが法衣のポケットから小さなビンを取り出した。中には錠剤のようなものがいくつか入っている。黒かった。それを見たチューリップが、恐ろしいものを見たような表情でおそるおそる後ろへ下がる。
 マーガレットが杖で赤髪拳士の行く手を遮る。
「待ちなさいチューリップ。なにを逃げようとしているのです?」
「あ、あはは。違うよ。ちょっとその、森を見に行ってみようかなーって」
 はあ、とマーガレットはため息をつく。長い付き合いだから知っている。チューリップは薬が苦手なのだ。
「あなたわたくしと同じ十六歳でしょう。薬くらい飲めないでどうします」
「苦手なものは苦手なの!」
「まったく……アロエさん、この薬は?」
「瘴気の影響を少なくさせる薬です。私が調合しました。色は悪いですけど」
「そういうことでしたら、ありがたくいただきましょう。お水をください」
 ビンを受け取り、中から黒い錠剤を二粒出して、チューリップに一つ押し付ける。「うえ~」と赤髪の幼なじみはいつまでも躊躇していたが、マーガレットが睨みをきかせると渋々口に含んだ。
「では、森へ行ってみましょう。アロエさん、案内できますか?」
「ご、ごめんなさい。私はもう森に近づくことが……」
「……そうですわね。ではわたくしたちだけで」
 すでに魔力をほとんど消耗しているアロエにとって、瘴気はそれこそ毒そのものだ。彼女の体にこれ以上大きな影響を及ばしては危険である。
「役に立てなくてごめんなさ――けほっけほっ」
「大丈夫ですの?」
 アロエの体は疲弊しきっているのが見て取れる。彼女一人で何日かこの村の人々を支えてきたのだから、無理もないだろう。マーガレットは後ろ髪を引かれる思いで友人を見つめた。
「いいよマーガレット。あたし一人で行ってくるから」
 チューリップの言葉に、はっとして振り返る。彼女は笑みを浮かべていた。小柄な体だが、頼もしく、信頼できる笑顔だった。
「しかし……」
「いいってば。アロエさんのそばにいてあげなよ。こっちは任せといて」
 赤髪の拳士は、自分の薄い胸をぽんと叩いた。

 チューリップは村の男性を案内役として森へと向かって行った。
 彼女の申し出には正直感謝していた。マーガレットはアロエの状態を見て正直不安でたまらなかった。魔力の底が尽きるというのは最悪の場合、死に至る。女性のみ持っている魔力というのは、魔法が使えるという大きなメリットがある反面、死に直結するリスクも併せ持っている。
 アロエの表情は先ほどから良くない。不安や疲れが混ざり合って、呆然としているようでもあった。
「心配いりませんわ。チューリップには無理をしないよう念を押しましたし」
「あ、はい……」
 普段も物静かであまり口を開かないアロエだが、いつもとは違う雰囲気が感じられた。マーガレットは心の中で首をひねる。
(なんだか、別のなにかを気にしているような)
 違和感。どうも様子がおかしい。
 マーガレットは彼女の隣に座って、手を掴んだ。
「少しだけ魔力を供給します」
「え? あ、あの」
「ほんの少しですわ。これで元気を出してください」
 魔力が戻れば、多少なりとも心身ともに回復するはずだ。マーガレットはそう考え、目を閉じて念じる。
「……?」
 変だった。自分の魔力が放出されない。
(まさか、既に瘴気の影響が……?)
 いや、と己を納得させるように首を振る。今日はまだ魔力を消費していない。胸の内、奥底にある魔力の泉はまだ溢れるほど残っている。それなのに、彼女へ魔力を送ることができない。
「……逃げてください」
 アロエの声は震えていた。え、とマーガレットが彼女の目を見つめる。
 その時だった。扉が破られるかのような勢いで開き、一人の男性が入ってきたのだ。
「チッ、俺はあっちの方が好みだったんだが……まあいい」
 嘗め回すような視線を送ってきた。マーガレットはそばに立てかけておいた杖を握り込む。
「何ですのあなたは。家に入るときはノックと挨拶をするものです」
「ああ、すまなかったな。それじゃあ」
 お邪魔します、と開かれた口から、奇妙な色をした花が咲いた。
「なっ……!?」
 続けて衣服の裾から、緑色をした触手のようなものが生え始めた。
 直感する。魔獣だ。
 マーガレットはアロエの手を握ったまま裏口へ急ぎ、外へと飛び出す。日は傾き始めており、オレンジ色の空が村を包んでいた。
「残念だが」
「逃げられない」
 家の外へと躍り出ると、そこには巨大な花が行く手を阻んでいた。それも二体。
 改めて魔獣であると認識する。毒々しい色をした四枚の花びらが太い茎の頂点に咲いており、うねうねと脈打つ触手が両腕のようだった。
「諦めな、魔法使い」
 背後から声が飛んだ。振り向いた先に、今遭遇した二体の植物魔獣よりも一回り大きな花がそこに立っていた。正面から入ってきたあの男だ。
 挟み撃ちにされている。だがマーガレットは冷静さを取り戻していた。
「ふん、残念なのはそちらの方ですわ。植物系の魔獣などむしろ好都合です。わたくしは炎属性ですのよ!」
 もはや問答無用だ。マーガレットは杖を天高く掲げ、唱える。
「<ファイアーボール>!」
 ぴたり、と時間が止まったように思えた。何も起こらない。
「な、なぜ……」
 マーガレットは動揺した。先ほどアロエに魔力を送ろうとしたときと同じだ。自分の魔力は残っているはずなのに、放出されない。
「なんだ、今時の治療士は攻撃魔法まで使うのか?」
 大型の植物魔獣が、薄気味悪い笑い声をあげた。手下らしき二体の魔獣もつられたように笑っている。
「そこ女が貴様に飲ませたのは薬じゃない。石だ」
「石……ですって?」
「それも特別でな。魔法を封じる石だ。小さいんでそれだけじゃ全く役に立たねぇが、貴様の体の中に入り込んでたらどうだ? 十分だろう?」
 はっ、と口元を押さえる。アロエに渡されたあの薬だ。
「しかも胃にいつまでも残り続けるのさ。溶けないしあそこからも出やしねえぞ。ひひひ」
 下品な笑い声に吐き気がする。
 マーガレットは友人に視線を向けた。朱色の髪をした彼女は、今にも泣き出しそうな顔で見つめ返してきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「みじめな女だな。結局は自分が一番可愛いってことだ。そのためには仲間なんか捨てるんだよ」
 マーガレットはなんとなく察しがついた。この村は既に植物魔獣の手に落ちていたのだろう。そこへ治療士として派遣されてきたアロエは、彼らの巣へ飛び込んだのだ。治療士隊に届いた救援要請は、アロエが彼らに利用されて送ったもの――
「村のやつらは殺しちまったし、そいつもそろそろ飽きた。女をもっと連れてこいって言ったら、ひひ、しっかり果たしてくれたじゃねえか」
 沸々と、胸の奥が焼けるような怒りが満たされた。
「この下衆……!」
「ははっ、威勢はいいが、今のお前には何もできんぞ。おとなしくしていろ」
「そうはいきません!」
 法衣のポケットから赤い宝石のような石を取り出す。硬貨ほどの大きさだ。数は二つ。それらを、逃げ道を阻んでいる二体へ投げつけた。
 宝石は夕陽を浴びながら魔獣へと着弾する。その瞬間、爆発したような音とともに宝石が弾け、魔獣たちの体が炎で包まれた。
「ガアアアアアアアアアアア!」
 断末魔の悲鳴。燃えていたのはわずか一瞬で、植物たちは瞬く間に灰と化した。わずかな風が吹き、灰が舞い上がる。
 道は開けた。
「走りますわよ!」
 マーガレットはアロエの手を痛いほどに握りこんだまま、駆け出す。今はこの場から逃げるしかない。魔法が使えない自分など、何の役にも立たない。
 チューリップと合流しよう、と考えた時だ。両足に軽い衝撃が走った。
「え?」
 続けて浮遊感。マーガレットは一呼吸の内に、仰向けに地面へと倒れこんだ。とっさのことで受身が取れず、頬を強かに打ちつけた。
「マーガレットさぁん!」
 ふと気づくと、左手に友人の手の感触が消えていた。痛みを堪えながら顔を上げると、繋いでいたはずの手の先にアロエの姿がない。
 彼女は大型植物魔獣の触手によって拘束されていた。魔獣の頭――巨大な四枚の花びら付近まで持ち上げられる。この距離からでも分かるほど、アロエは恐怖で大泣きしていた。
「魔結晶なんて貴重なものを……。確かにそれなら魔法が使えなくても関係ないな。それにしても貴様本当に治療士か? この泣き虫な女とは全然違うな」
「アロエさんを放しなさい!」
 ポケットから赤の結晶を取り出しながら立ち上がる。これが最後の一個だ。
 ひひひ、とまた鳥肌がたつような笑い声が鼓膜を叩く。
「お前の考えていることは分かるぞ。さっきのやつらみたいに、簡単に俺を倒せるとは思ってないんだろう」
 マーガレットは歯を噛んだ。図星だ。今目の前にいる植物魔獣は、先ほど倒したものより体長が遥かに大きい。この魔結晶一つではやつを灰にすることができないかもしれない。
(口の中へ……体内へ押し込めばあるいは……!)
「俺の口の中へ放り込めばいい、とか?」
 完全に見破られている。焦りがつのる。
「だから諦めろと言ってるだろ。今頃貴様の仲間も……ひひひ!」
「チューリップのことですの? あいにくですが、そう簡単にやられはしませ――」
 血の気が引いた。あの薬を、チューリップも飲んでいる。彼女は男性に連れられて森へと向かった。その男性とて、当然魔獣だ。魔結晶を常備していない。戦い方に反するから、と。
 魔法が使えない魔法使いは、ただの人間だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
 触手に捕まって宙に浮いているアロエが、涙をぼろぼろと流しながら延々と呟いていた。彼女はマーガレットを見つめて、必死に。
「チッ、さっきからうるさい女だ。もういい」
 魔獣のもう片方の触手が蠢いた。本体よりも長いその緑色をした触手は先端が尖っている。
 なんの躊躇もなく、身動きできないアロエの腹を刺し貫いた。
 なにかが破けるような音がした。
「がっ……!?」
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。マーガレットはぽかんと口をあけてまま、友人の体に一本の太い何かが突き刺さっていくのを眺めた。
 ごふっ、とアロエの口から真っ赤な鮮血が吐き出される。背中まで貫通した触手が引き抜かれた。拘束していた方の触手が彼女の体を投げ飛ばした。
 マーガレットのすぐ近くに、音をたてて落下する。
「ア、アロエさああああああああああああん!」
 我を忘れて走り出す。友人のもとへたどり着く前に、足が止まった。首に冷たいものが巻きついてくる。
「ぐ……ぁ!」
 両足が地から離れた。触手が首に巻き、きつく絞め上げてくる。帽子がこぼれ落ち、杖を取り落とした。
「この女はもう魔力がほとんど残ってないから使い物にならねえ。今度は貴様のを貰うぜ、ひひ」
 胸の奥が大きく脈打った。魔力の源が震えている気がした。身体から抜けていく――吸い取られていくような感覚。
 じたばたともがく。触手を引き剥がそうとするがビクともしない。
「あ――! ぎ――ぁ――!」
 声にならない。ひゅー、ひゅーと掠れた呼吸しかできない。触手は絶妙な力加減で、死なない程度に絞めているようだった。
 圧迫感。飛び出さんばかりに両目を剥く。舌が突き出て、涎が口元を流れ落ちた。視界が滲む。涙だった。
「か――は――!」
 滲んだ夕焼け空の中に、マーガレットは見つけた。飛行船ではない。もっと小さなものだ。それは一直線にこちらへ向かってきている。
 それは、赤い髪の少女だった。
「はあああああああああ!」
 空を裂くような声とともに、その少女はマーガレットと植物魔獣の間に突っ込んできた。狙いは触手だった。
 ぶち、と鈍い音がして、マーガレットは首の圧迫感から解放された。落下していく。地面に叩きつけられる寸前、浮遊感を覚えた。
 今度は触手ではない。幼なじみが、体を抱きかかえてくれていた。
「ぐっ……げほっげほっ……!」
 マーガレットは首を押さえながら咳き込む。優しく地へと降ろしてくれたチューリップを見上げた。瞬間、目を瞠った。
 ホットパンツから伸びたむき出しの両脚はところどころ切り傷があり、出血していた。格闘法衣も切り刻まれており、上半身は下着と肌が見え隠れしている。
「あっ……チュー、リップ……」
「ごめんね、遅れちゃった」
 そんなぼろぼろな体になりながらも、赤髪の魔法拳士は笑みを浮かべた。だがアロエの姿に気づくと、戦いの表情へと戻った。
「ど、どういうことだ! なぜ貴様がここに!」
 植物魔獣は明らかに動揺していた。予想外の出来事だったのだろう。マーガレット自身も驚いている。
 対してチューリップは、さらりと答える。
「あんなやつらであたしを倒せると思ったの? 侮らないでよね」
「そういうことを聞いてるんじゃない! 貴様もあの石を飲んだはずだ!」
「……石って?」
 そうなのだ。チューリップもあの錠剤を――魔法を封じる石を飲み込んだはずだ。それなのに彼女はたった今、空を飛んできたのだ。
「あ、あの薬のこと? やっぱり苦手だから飲み込んだふりして捨てたよ」
 しん、と場が静まり返った。マーガレットも、植物魔獣すらも、言葉にならないようだった。
(まったく、あなたという人は……)
 幾分呼吸を取り戻したマーガレットは、呆れたように幼なじみを見つめた。そしてふと、思い至る。
「アロエ、さん……!」
 倒れている友人のもとへと駆け寄る。
 重症だった。腹部に穴が開いていて、おびただしい量の血液が溢れ出ている。真っ白な法衣が真っ赤に染まり、口元も血で濡れて、体がわずかに痙攣している。
 マーガレットはためらいなく法衣の裾を破いた。すらりと伸びた脚の素肌をさらすのも構わずに、破いた法衣をアロエの腹へと押し付けた。たちまち赤へと変色していく。
「くそがぁ!」
 魔獣の触手が、今度はチューリップを襲った。平然とした顔つきで、魔法拳士はそれを片手でわし掴む。
「こっちもブチッてやっちゃうよ」
「ああん? ひひひ」
 気味の悪い笑い声は、チューリップにも不快だったようだ。眉を寄せて一瞬たじろぐ。
 植物魔獣の、短く残った方の触手がぶるぶると震え始めた。一呼吸のうちに、その触手が再生し始める。にょきにょきと、目を疑うような早さで伸び始めたのだ。
「俺は治療士の魔力を吸収したんだぞ? つまりこういうことだ!」

「それがどうしたぁ!」

 チューリップの怒号に、大気が震えた。マーガレットはびくりと肩を震わせる。植物魔獣も怯んでいた。
 こんな幼なじみは見たことがない。いつも明るく、元気で、笑顔が絶えない、幼い女の子のようなチューリップが、怒りで満ち満ちている。力強い魔力が感じられた。
「絶対に許さない。絶対に!」
「……! チューリップ! これを、あいつの口の中にぶち込んでやりなさい!」
 マーガレットは手に握りこんでいたものを投げ渡した。赤く光るそれを、チューリップはそれを受け取ると、頷く。
「任せて!」
 飛び込む。マーガレットにも分かる。このくらいの距離なら、一瞬で詰められる。風となったチューリップは、誰にも止められない。
「ぬああああ!」
 植物魔獣は悲鳴のような大声をあげながら、乱暴に触手を振り回した。魔法拳士を狙うが、かすりもしない。相手が一体だけなら恐れることはない。まっすぐに、目標だけを見ていればいい。
 マーガレットが瞬きしている間に、チューリップは既に魔獣の懐に飛び込んでいた。地を蹴り、己の五倍はあろうかという全長を持つ魔獣の頭部に、到達する。
 チューリップの右手が、炎に包まれた。風と炎が一体化し、凄まじい魔力が拳に宿る。それを見た植物魔獣は、運命をすぐに悟ったのかもしれない。だらり、と触手を垂らしてしまっていた。
「はあああああああ!」
 天を貫くような、燃える叫び。
 花びらが並んだ中央、口の中へと炎の拳を叩きつける。魔獣の体全体がびくりと脈打つ。直後、口元から炎が燃え広がっていった。それもやはり一瞬で終わる。爆発のような破裂音とともに、魔獣は灰となって崩れた。悲鳴はなかった。風に巻かれ、空気中に溶けるようにして消えていく。
 かすかな呻き声を、マーガレットは聞いた。はっとしてアロエの容態を改めて確認する。まだ腹部からは血が溢れていた。破いた法衣でいくら押さえつけても止まらない。
 半分ほど開かれた両目が、マーガレットを見つめていた。血に染まった唇が震えながら言葉を刻む。

「ごめ――なさ――」

 そう聞き取れた。マーガレットは胸の奥が締め付けられた。なぜそんなに謝るのだろう。彼女は利用されただけだ。何も悪くない。
「マーガレット! 回復魔法は!?」
 駆け寄ってきたチューリップに対し、首を振る。
「駄目です。わたくしは今、魔法が使えません。あの石――薬のせいです」
「そんな……! だったら、城まで飛んでいくよ!」
「間に合いませんわ!」
 確かに、チューリップが全力で飛行すれば城へとたった数分で到着するだろう。それはリスクの方が大きかった。アロエの状況は決して良くない。その数分が命取りになるかもしれない。
 それに、チューリップこそ危険だった。すでに彼女は戦いで消耗している。一人を抱えながら全力飛行したのでは、途中で力尽きることもありえる。
「今すぐ、ここで治療しなくては……!」
 その手段がない。チューリップは回復魔法を使えない。唯一助けられるはずの自分は魔法が封印されている。あの石さえ飲み込んでいなければ……
 ふと思い出す。あの魔獣は確か、石は胃に残り続けると言っていた。ならば。
「チューリップ、わたくしのお腹を殴りなさい」
 え、と幼なじみはまじまじと顔を見つめてきた。
「胃に残っている石を吐き出します」
「い、嫌だよそんなの! マーガレットを殴るなんてできない!」
「いいから早くなさい! 助けられるのはわたくしだけなのです!」
 チューリップは口をつぐんだ。彼女だって理解しているはずだ。今すぐここで回復魔法を使わなくては、アロエがもたない。魔獣に首を絞められたとき多少魔力を持っていかれたが、瀕死のアロエを治療するくらいの魔力なら残っている。
 これが今できる、最善の策なのだ。
 しばらく逡巡した後、分かった、とチューリップは頷いた。
「そこの、壁にもたれて」
 マーガレットは言われたとおり、すぐそばに建っている家の壁へと背中をぴたりと押し付けた。そして深呼吸。緊張で鼓動が早まる。
「お願いします……!」
 幼なじみの手がぎゅっと握り締められるのが見えた。思わず目を閉じる。無意識のうち、腹筋に力を入れてしまった。
 ずっ、と腹部に衝撃。異物が奥へと入り込んでくる感覚。
「うっ……! ぐうぁ……!」
 呻き声が洩れる。見開いた目の先、チューリップの腕が自分へと伸びているのが見えた。拳はすぐに引き抜かれる。腹部に残る鈍痛に、マーガレットはわずかに膝を折った。自然と体がくの字に折れる。
 治療士は、体力を鍛えることはあっても、攻撃を受けることについては基本的に考えていない。何故なら自分は後衛だし、前衛が守ってくれるからだ。
 今回、幼なじみはボディーガード役のはずだった。
「くぁっ、かはっ……!」
 自然と唾液が溢れ出た。こんなに苦しいものだとは思わなかった。腹を押さえて痛みに震えるが、マーガレットは怒りを覚えた。チューリップを見上げて叫ぶ。
「このっ……馬鹿!」
「え、あ……」
「手加減してどうします! けほっ、は、吐き出すくらい思い切り、やりなさい!」
 無理やり体を起こす。再び外壁に背中を押し付けた。鈍く痛む腹部から手を離し、無防備な状態をさらす。
 チューリップは困惑した表情を浮かべていた。幼なじみである自分を殴るのに抵抗があるのは分かる。だが、今は躊躇などしている時間はないのだ。アロエの治療が最優先。腹を殴られることの恐怖など、無理やりはねのける。
「チューリップ!」
「う、うわああああああ!」
 刺激させるように名を叫ぶと、拳が飛んできた。速かった。目を閉じる暇もないくらいに。
 先ほどより深く、強く、音を立てて、マーガレットの腹にねじ込まれた。
「ごっ……!?」
 背中越しに壁が震えた気がした。直接胃袋を殴られたようだった。拳が自分の腹にめり込んでいるのが見える。法衣が渦を巻くように拳に吸い込まれている。手首から先しか見えなった。
「あっ、がぁ……! ぁ!」
 拳が何かを探している。ぐいぐいと腹の中を泳いで、その度にマーガレットは口をぱくぱくさせながら唾液を吐き出した。
 ぴたり、と拳が止まる。探し物を見つけたように。直後、それを押し込むように捻り上げられた。
 胃が歪む。
「ぐぶっ!? う、うえええぇぇ!」
 喉の奥からこみ上げてくる感覚。口を押さえる力もない。マーガレットは胃の中身を吐き出した。栓が取れたように、口から白い汚物が吹き出る。
 チューリップの腕が慌てたように引き抜かれた。びくんとマーガレットの体が脈打ち、膝が折れて前のめりに倒れこむ。頬が地面にへばりつくのも構わず、嘔吐を続けた。
「ぐええぇぇ、あっ、がはっ……! かぁっ……!」
 吐き出したその中に、ぽつんと黒い物体を発見する。あの石だ。
(はやく、アロエさんに……)
 咳き込みながら、膝に力を入れる。だが立ち上がれない。腹部の激痛に、涙が溢れる。粘ついた胃液が口元から垂れる。
「はっ、ふ……かふ……!」
 嘔吐感は収まらない。荒く掠れた呼吸しかできないでいた。
「マーガレット!」
 幼なじみが寄り添ってきた。腕が肩に回され、引っ張り上げられるようにして立ち上がる。足をもつれさせ、崩れ落ちそうになりながらも、共にアロエのそばへ。
 アロエは両目を閉じていた。口も動いていない。それでもマーガレットは倒れこむようにして、彼女の腹部に両手を添えた。
 魔力を解放する。マーガレットの手が淡く光り始めた。アロエの真っ赤に染まった腹部を、癒しの光が包み込む。
(お願い……! アロエさん……!)
 祈る。必死で回復魔法を浴びせ続ける。腹部の痛みなど今は気にしている暇はない。
 チューリップの両手が、重なるようにして添えられた。赤髪の幼なじみに治療の力はない。祈っているのだ、彼女も。
 たった数秒だったかもしれない。数分だったかもしれない。マーガレットには分からなかったが、アロエの体がぴくりと動くのを確かに感じ取った。
 チューリップが、患部を押さえていた法衣を取り除いた。触手によって貫かれた腹の穴は塞がっている。血も止まっていた。
「間に合ったよ! マーガレット! ……マーガレット?」
 幼なじみの声が遠く聞こえる。マーガレットは全身の力が抜けるのを感じて、眠るように目を閉じていた。

 マーガレットはベッドの上で目を覚ました。自分の部屋とは違う天井。
「あ、起きた?」
 よく知った声に、体を起こす。チューリップは椅子から立ち上がってそばに寄ってきた。
 腹部がわずかに鈍く痛み、顔をしかめた。まるで鉛が腹の奥に残っているような感覚だった。
「あ、だ、大丈夫?」
「心配いりませんわ。安心なさいな」
 すぐ隣で、アロエが眠っていた。静かに呼吸しているのを確認する。
 ここは自分たちが村を訪れた際、アロエが待機していた家だ。窓を見ると、青い空が覗いていた。どうやら既に朝を迎えているようだ。
 チューリップはというと、目が赤く充血していた。顔色も悪い。
「ずっと起きていましたの?」
「うん。また魔獣が来ないとも限らなかったし」
 はあ、とマーガレットはため息をついた。同時に幼なじみに感謝する。自分はあの後すぐに眠り込んでしまったようだ。
 二人を家の中に運び込み、さらに見張りまでずっとこなしていたのでは、相当な重荷になっただろう。
「すみません。苦労をかけましたわね」
「そんな、謝るのはあたしだよ」
 思わず声を荒げたチューリップに反応したのか、アロエがかすかに身じろぎした。
「外の空気を吸いたいですわ。出ましょう」
 腹部のかすかな痛みをこらえながら、マーガレットはベッドから足を下ろして立ち上がる。扉のそばにたてかけてある杖を持って家を出る。
 後ろをついてきたチューリップの手をぐいと引っ張り、胸元に手を添える。
「え、なに?」
「あなたをまだ治療していません。動かないでください」
 ぼろぼろなのはチューリップも同じだった。昨日助けにきてくれたときは既に怪我をしていたし、魔獣を倒したうえに一睡もしていない。魔力や心身ともに疲弊しているだろう。
 手の平が白く光り始める。ん、とチューリップがくすぐったそうに声を洩らした。露出している両脚や両腕の傷が、塞がっていく。
「ほんとにごめんね」
「まだ言いますか。らしくありませんわね。アロエさんの謝り癖がうつったんですの?」
 茶化すように言ったが、チューリップは落ち込んだように俯いた。マーガレットは再びため息をつく。悪いことをした、と思う。殴らせてしまったことを。
「あなたのおかげでアロエさんは助かったのですよ。わたくしのことは気にしないでください」
 必要な行動だったのだ。他に解決策が思いつかなかった。苦しい思いをしたのは確かだが、マーガレットは幼なじみを恨んだりなどしていない。
 まだ納得できない様子のチューリップを見て、わずかに苛立ちを覚える。
「チューリップ、こっちを見なさい」
「なに? いたっ!?」
 胸元に添えていた手で、チューリップの腹を殴りつけた。
「これでおあいこですわ。満足しました?」
 マーガレットはわずかに痛む拳を見せつけた。人を殴るのは初めてではないが、やはり慣れそうにない。
 目をぱちくりさせていたチューリップは、急に真顔となった。裂傷がひどい格闘法衣からちらりと覗く腹を、突き出すようにして胸を反らす。
「もう一回。二回殴っちゃったし」
「細かいですのね。あなた本当にチューリップですの? また魔獣が化けているんじゃないでしょうね?」
「いいから! 本気で殴って!」
 まったく、とマーガレットは三度目のため息。
 チューリップは頑固なところがある。一度決めたらそう簡単に折れない心を持っている。そんな幼なじみが、マーガレットは好きだ。ふっと思わず頬が緩む。
「分かりましたわ。思いっきりやりますわよ?」
「うん。来い!」
 それこそ今までに出したことのないような力で、マーガレットは彼女の腹部に拳を突き入れた。格闘戦の知識はほとんどない。ただがむしゃらに、腹へと突き刺した。
 偶然にも鳩尾に入ったらしい。
「うぐっ……ぅぁ」
 わずかに前かがみになって、チューリップは呻いた。魔力で強化を行っていない、生身の体に受けたのだ。鍛えてあるとはいっても、歳相応の少女である。
 しまった、とマーガレットは後悔して拳を引いたが、魔法拳士はにこりと笑顔を浮かべた。
「うく、けほっ……。こ、これでおあいこ、だね」
「……ですわね」
 つられるようにして頬が緩んだ。
 心地よい気持ちだった。マーガレットは幼なじみの微笑みをじっと見つめる。彼女との絆が、より一層深まって気がして。

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No:3|NoTitle
キャラが個性的でいいですね。
続きが楽しみです
No:4|NoTitle
number_55さん、ありがとうございます。
メインとなるキャラはもう一人増える予定です。

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