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花びらたち 5-1

 天気はよかったが、マーガレットの心は曇りきっていた。
 もうここに来るのは御免こうむりたかったのに。個人的な感情ばかりがふつふつと湧き上がってくる。いや、国の魔法使いとしてこんなことではいけない。
「……それにしても」
 相変わらずだ、と彼女は部屋を見回した。ここは客室だが、骨董品、テーブルや椅子に至るまで、高級感に満ち溢れている。とても庶民のものとは思えないし、家というよりも“お屋敷”だ。
 今訪れているこの街、ローゼライトはマーガレットの生まれ育った地である。そしてこの家は実家だ。最も彼女はすでに縁を切っているが。
 足音が扉の向こうから聞こえてきた。マーガレットは真っ白で大きな帽子をテーブルに置いて立ち上がる。その足音だけで、彼女は顔をしかめていた。
 ゆっくりと扉が開くと、眼を見張るような貴婦人が現れた。これからパーティ会場にでも向かうのか、純白のドレスを着ている。実際は、その女性の普段着なのだが。
「久しぶりマーガレット。六年ぶりね」
 その微笑みも声も、何もかもが受け入れられない。
「再会などしたくありませんでしたわ」
「あらら、ご挨拶ねえ。せっかく妹に会えた私の気持ち、汲み取ってくれないの?」
「わたくしはもうこの家の人間ではありません。ですからあなたとは家族でも、ましてや姉妹でもない。他人なのです、マリーゴールドさん」
 ローゼライトで一番の権力を持つ家系の当主。マーガレットの実の姉。それが彼女マリーゴールドであった。
 名前で呼ばれたことに対して別段腹をたてるわけでもなく、屋敷の主はくすりと笑った。
「あなたのお友達は?」
「既に現地へ向かっています。わたくしは代表として、あくまで形式に則って依頼者であるあなたに挨拶に参りました。現地に向かいたいのでこれで失礼します」
「まあ待ちなさいな。少しくらいお話しましょうよ」
 そんな暇はないし、一刻も早く視界からマリーゴールドの姿を消してしまいたかった。無視してこの場から立ち去ろうと思ったが、
「精霊召喚の噂なんだけど」
 耳を疑うような言葉に、できるだけ合わせないでいた視線を向けてしまった。マリーゴールドは嬉しそうに微笑んでいる。
「いまなんと?」
「スラム街の地下にある魔力反応、それ、精霊だって言われてるの」
 治療士だが、砲撃士としてのスキルも兼ね備えているマーガレットは、だからこそ噂なるものを信じなかった。
 精霊。諸説あるが、一般的には魔力を無尽蔵に有し、人間よりも遥かに位の高い存在だとされている。我々が住むこの世界を人間界とするなら、あちらは精霊界とでも言えばいいだろうか。昔からある伝説やおとぎ話などでよく語られている。
 だがあくまで想像上の生き物だ。古代文明に興味を示すカトレアならともかく、マーガレットは違った意味で現実主義者だった。
「本気でそんなことを信じていますの? ばかばかしい」
「本当にそう思ってる? 心当たりがあるって顔をしているわ」
 思わず舌打ちしそうになるのを寸前でこらえた。
 先日、コスモスにあだをなす二人の少女と対峙した。結果的にはこちらが勝利したものの、その二人は突如現れたドラゴンによって助けられ姿を消した。
 考えてみれば、それ以前に遭遇していたゴーレムも架空の存在だったはずで、しかし実際にマーガレットも直接目にしている。精霊などいるはずがないと断言できるような心境ではなくなっていた。
「あちらには魔力を持つ者がいないはずです」
「だからあなたに――いえ、あなたたちに調査をお願いしているのよ。私じゃあっちの人たちに拒否されちゃうからねえ」
 どんなときでもマリーゴールドは笑みを絶やさない。それが腹立たしい。そもそもスラム街なんてものが形成されてしまったのは、極端な話ではあるが彼女のせいなのだ。
 この街がいくらコスモス王妃の影響下にあるとはいえ、街そのものの所有者はマリーゴールドである。この家に住んでいるときからまざまざと見せつけられてきたのだ。裕福な者と貧しい者の差を。
 ローゼライトの最高権力者は、その溝を埋めようなどとは露ほども考えていない。
「虫のいい話ですわね、こんなときだけ国を頼るとは」
「実際、来てくれたのだからやってくれるのよね」
「わざわざわたくしを指名したのは話が通しやすいから?」
「それもあるけど。妹を頼っちゃダメなの?」
 いい加減な人だ、とマーガレットは心中で毒づいた。六年の間で何ひとつ変わっていない。目の前にいるのはあの頃と同じマリーゴールドであった。
「ともかく、事情は分かりました。仲間と合流して原因解明にあたります。それでは」
 帽子をかぶり直して椅子から立ち上がる。
「あら、もう行っちゃうの? せっかく帰ってきたのだからお茶くらい飲んでいけばいいのに」
「そんな暇はありません! 事の重大さが分かっていますの? 仮にもあなたの街ですのに!」
「そんなに怒らないで、冗談よ。終わった後ならいいでしょ?」
「期待をされない方が賢明です」
 一刻も早くマリーゴールドの声や視線が届かないところへ去りたい。これ以上の会話は時間の無駄だし精神的にも余裕が保てそうになかった。
 杖を手にし、開け放った扉をわざと叩きつけるようにして閉める。不機嫌の塊のようなマーガレットは長い廊下にさえ苛々した。
 気持ちを切り換えなくては。確かに血縁などの関係はあるが、自分はまず第一にコスモスから命令を受けて派遣された魔法使いであるということを、改めて胸に刻み込む。任務で訪れたのだ。それ以上でも以下でもない。
 ずんずんと暴れる寸前のような足取りで庭へと差し掛かったとき、背後から声が飛んできた。
「マーガレットさま?」
 その声は荒れた神経を柔らかくほぐしてくれた。透明感のあるその声はもちろん忘れスはずがない。振り返ったマーガレットの表情には既に笑みが戻っている。
「スミレ? ああ、スミレ! 久しぶりですわね」
 紫の長髪は細く滑らかで、色白な肌をしている。両目がぱっちりと大きく丸いせいか、年齢よりも幼く見られるのが悩みだといつも愚痴をこぼしていたのを覚えている。
 白を基調とした仕事服は相変わらず新品のように汚れ一つない。それは彼女の仕事服で、この屋敷に何人か存在する使用人の一人だった。
「マーガレットさま、お美しくなられました」
 紫の長髪を揺らしながら駆け寄ってきたスミレは、曇りのない瞳で見つめてきた。
「あら、ありがとう。スミレは……あまり変わりませんわね」
「こ、これでも身長は伸びたんですよ。よく見てください」
「わたくしも伸びていますが、明らかに差が広がっていますわ。歳は同じはずですのに」
「ううう! マーガレットさまだけずるい!」
 宝石のような目が小さく震えている。
 よかった、スミレは何も変わっていない。マーガレットはより一層笑みを深くした。スミレは使用人ではあるが同じ年齢ということもあり、屋敷の中で唯一の友人と言っていいほどの存在だった。あのチューリップも彼女のことを気に入っているくらいだ。
「でも、珍しいですね。こちらへおいでになるなんて」
「仕事ですわ。国から命を受けていますの」
 元々はマリーゴールドの依頼だ、とはあえて告げなかったが、スミレは表情を硬くした。こうして顔に表れるのが特徴である。おそらくすぐに察したのだろう。
「……詳しく聞いてもいいですか?」
 国とは直接係わり合いの薄い人間には、任務についてあれこれ話してしまうのはためらわれる。依頼者でもないならなおさらだ。
「大したことではありません。街の南側を少し調べるだけなので」
「だ、ダメです! 行っちゃダメです!」
 腕をぎゅっと掴まれた。感情の起伏が分かりやすいのはいつものことだが、ゆえにマーガレットは異様な雰囲気を感じ取った。
「精霊……」
 その言葉は先ほども耳にした。そんな馬鹿な話があるわけないと切り捨てながらも、心のどこかで後ろ髪を引いている。マリーゴールドも噂として聞いていたようだし、スミレが知っていても別におかしなことではないが――
「見たんです。その、お嬢様が、精霊を呼び出そうとしていたところ――」
 マーガレットはすぐに、彼女を連れて外へと出た。屋敷の中ではまずいと思ったからだ。
 妙な胸騒ぎを感じる。マリーゴールドと会話をしたときからなんとなく気になっていた、漠然とした何か。一応は妹だから分かるのかもしれない。あの人に、いいように使われているのではないかという不安が。


 街の南側、通称スラム街に足を踏み入れた二人は、服装が今までとすこし違っていた。
 言葉は悪いがこの先はいわゆる貧困の区域であり、国がこしらえた魔法使いの法衣では小奇麗すぎるのだ。
 チューリップは着替えを終えたカトレアをまじまじと見つめる。
「法衣が変わるだけでイメージ変わるもんだね」
「そうですか?」
 対してカトレアは軽く首を傾げた。
 彼女の法衣は今自室で眠っていることだろう。今の彼女はチューリップと同じく拳士タイプの法衣を身に纏っていた。赤いスカートではなく青のショートパンツ姿。膝上までの黒いソックスは相変わらず。二の腕の露出が増えたくらいのものだが、全体的なイメージから見ると彼女の氷のような雰囲気が幾分溌剌として感じられる。
 拳士の法衣はもとより軽装で普段着とさして大差がない。だからチューリップは自前のものをある程度汚すだけで済ませていた。
「チューリップさん、どうかしましたか?」
「なにが?」
「この辺りに来てから表情が険しくなっています」
「あ……うん、ちょっと。ここは全然変わってないなって」
 スラム街は六年前から良くなっているようには見えなかった。チューリップが生まれたのはこの区域ではないにせよ、荒れた家々などを見ていると心が晴れ渡ることはなかった。
 この先には魔力を持たない男性はもちろんのこと、身体に欠陥があって満足に魔法が満足に使えない女性も住んでいる。彼らははマリーゴールドだけでなく、いわゆる『一般人』にさえ憎しみの眼差しを向けていることだろう。
「コスモス様が国を立ち上げる前と比べれば、このような区域は減りました。ただ時間がかかるのです」
「分かってるけど、やっぱり納得いかない」
 本来ならこのような状況を改善するのは町長の仕事のはずだ――チューリップはそう考えると同時に、諦めの文字を胸に抱いていた。この町の最高権力者はあの人だから、と。マーガレットの実姉の顔を思い浮かべて、余計に苛立ちを募らせてしまう。
「間接的ではありますが、今回の任務は住人のためにもなります。行きましょう」
 小さく頷いてカトレアと並んで歩き出す。愛用の刀である刀は、薄汚れた大きい布で覆い隠して紐でくくり肩に担いでいる。調べられたらアウトだが、他人の目には釣竿か作業用の道具くらいに見えるだろう。
 スラム街の人口は少なくない。北側との境目はまるで国境のように人影が見当たらないが、奥では繁華街のような賑わいを見せている。チューリップたちから見ればこの区域は不幸の象徴だが、住人にとっては生活の基本環境だ。思ったほど彼らの精神は衰弱などしておらず、育ち盛りの子供たちも走り回っている。
 状況に合わせた服装にした甲斐あって、奇異な目で見られることはなかった。人口密度自体は多いから、スムーズに溶け込むことができたようである。
「……カトレア」
「はい。感じます」
 わずかではあるが、魔力の流動が地を伝って感じられた。依頼の内容はスラム街に突如として現れた謎の魔力反応を調べること。その正体如何によっては排除まで許可されている。
「地中……地下に繋がる場所があるはずです」
 となれば、このような人が入り乱れる箇所とは考えにくい。もっと奥へと進む必要があるだろうと考え、二人は連なっている家々の裏手へと滑り込む。人目が避けられるなら好都合だ。そのまま家屋の壁と塀を伝って移動していく。
 チューリップは法衣のポケットから手の平で包めるほどの小さな石を取り出した。これも魔結晶の一つだが、攻撃や強化用といった類のものではない。
 緑色をした宝石のようなそれを額に押し当てる。
「落ち着いてください。何かあればマーガレットさんの方からコンタクトがあるはずです」
「そうなんだけど、気になって」
 この魔結晶は通信石と名づけられていて、元は拳一つ分よりも大きな石だった。砕いてもお互いが共鳴し合うように加工されているため、ある程度離れていても意思の疎通を可能とする。
「返事ない。本当に大丈夫かな」
 幼なじみが心底気の進まない顔をしながら屋敷へ向かっていったのを思い出した。
「縁を切ったとはいえ元は家族なのでしょう? それに依頼者はあちらなのですから」
「あたし、あの人嫌い。マーガレットのお姉ちゃんだなんていまだに信じられないよ」
「チューリップさんにそこまで言わせるとは相当ですが、逆に興味が湧いてきます」
「会わない方がいいって絶対。うぇ~って顔になるから」
 マーガレットと容姿が似ているという事実さえ認めたくないほど、拳士はマリーゴールドを毛嫌いしていた。幼なじみの治療士はあんなに優しくて包容力があるのに、姉にはその欠片も見出せない。
 むしろ根本から違っているのだ。マリーゴールド自身も強力な魔力を備えているが、治療魔法は一切使えない――いや、たとえその才能があったとしても他人に施すことなどありえないだろう。彼女は彼女にとって意味のあるものにしか関心を示さない。だからこの区域は見向きもされないのだ。
 あれこれと陰口を並べているうち、チューリップが握っていた通信石が淡い光をともした。ふてくされていたような表情が一瞬にして笑みが咲く。
『聞こえ――』
「マーガレット! 大丈夫?」
『……聞こえてますわね。大丈夫もなにも、別に危険はありませんわよ』
 見れば、カトレアも通信石を取り出していた。マーガレットの声は石を通じてチューリップへと届けられている。言葉自体を発しなければならないが、通信石に込められた魔力の振動を利用しているため石を手にしていなければ聞こえない。魔力を持たない人間も同様である。
『カトレアさんもそばにいますわね? 二人ともよく聞いてください』
 一呼吸置くと、マーガレットは事の次第を手短に伝えてきた。スミレの名前が出たときは驚いたが、彼女から重要な情報を教えてくれたらしい。マリーゴールドのこと、精霊召喚の噂――
「なにそれ、どういうこと?」
 つらつらと並べられた言葉を聞き続けて、チューリップはいまいちよく把握しきれずに素直な感想を述べた。
『わたくしの話をちゃんと聞いていました? あなたのために分かりやすく説明したつもりなのですが』
「な、なんとなくは分かったよ。ほんと、なんとなく」
 助けを求めるように拳士は視線を仲間に移す。同じく通信石を額に押し当てているカトレアが小さく頷いて、
「つまり自作自演ということですか?」
『ええ。わたくしたちに後始末を任せるつもりのようですわ。まったく、ふざけた話です』
 要するに、故意かどうかは分からないがマリーゴールドが召喚した精霊がこの地下に潜伏しているので、それを退治せよということらしい。人間には到底御しきれない存在であるとされているから、召喚者である彼女から逃げ出したことも、使役できないなら用は無いということで排除を認められるのも辻褄は合う。
「同感ですが、精霊の件は無視できませんね」
『ああ……カトレアさんは信じていらっしゃいますの?』
「もとより調査の依頼ですから確かめる必要があると思います。どちらかといえば個人的な好奇心が強いのですが」
 ふっ、と黒髪の戦器士が微笑んだ。彼女は古代の文明や神話などに興味を持っており、今回の精霊についても関心を示すのは当然のことだった。
『しかしどうも腑に落ちませんの。あの人がなにか企んでいるような気がして』
「じゃあマーガレットはそこで見張ってればいいんじゃない? こっちはあたしとカトレアで」
『あなた時々突拍子もないことを言いますわね。てっきり早く合流しようと急かすかと思いましたのに』
「そりゃ一緒の方が安心だけど、そっちも気になるし」
『そうしたいのは山々ですが、本来の目的は……』
 通信石の向こう側で躊躇の色が感じ取れた。チューリップは少し口ごもったが、カトレアが言葉を挟む。
「依頼者がなにか行動を起こさないとも限りません。通信石があれば連絡手段は容易ですし、ここは手分けしましょう」
『……分かりました。ではお願いします。チューリップ、カトレアさんに迷惑をかけてはいけませんわよ』
 思わぬ方向から釘を刺されて十六歳の少女は口を尖らせる。
「あたしもう子供じゃないよ」
『あなたはいつも飛び出しすぎます。いつも感情に身を委ねていたら、いざというとき冷静な判断ができません。これを機会にカトレアさんから学ばせてもらいなさい』
「……はーい」
 チューリップとてその自覚はあった。確かに自分は賢いわけではないし、考えるよりもまず体を動かす性格だ。行動力があると言えば聞こえはいいけれども、突出するせいで仲間たちに思わぬ被害が及ばないとも限らない。
 小さく笑うような音が聞こえた。黒髪の少女が薄く微笑んでいる。
「な、なに?」
「まるで姉妹のようです」
「ええ~、マーガレットみたいに小言ばっかりなお姉ちゃんは嫌だなぁ」
『小言とはなんですか。手のかかる妹を持つ身にもなってみなさいな。だいたいあなたは昔から――』
 ほら始まった、とチューリップが助けを求める視線を仲間に送る。途端にぴたりと動きが止まった。彼女はカトレアの背後、少し下の方を凝視している。
 目線を追いかけた戦器士もわずかに目を瞠った。そこには子供がいたのだ。軽く抱き上げられそうなほど小さな女の子。純粋無垢とは言いがたい、なにか疑うような眼差しを二人の魔法使いに向けている。
「あっ」
 慌ててチューリップは通信石を隠した。魔法使いであることを悟られないために潜入していたのに。衣服を環境に合わせているとはいえ、魔結晶を見られてしまっては元も子もない。
 子供は突然表通りへと駆け出していく。
「ママー、変な人たちがいる」
 音の高い声がチューリップたちにも届いた。二人は目を見合わせる。
 まずい。子供ならともかく大人相手では誤魔化しきれない。近づいてくる足音にチューリップの鼓動が波打つ。
 家屋の壁に背を押し付けて息を潜めた。こうなってしまっては仕方がない。騒ぎを起こさないためにも、子供と母親には悪いが気絶でもさせなければ……
 その行動に気付いたカトレアが耳打ちしてきた。
「待ってください。安全とはいえません」
「でも、バレたら追い出されちゃうよ」
 一瞬考え込むような仕草を見せた黒髪の戦器士が、なにを思ったか刀を隠している布包みを地に捨てて体をすり寄せてくる。
「……失礼します」
「ん!?」
 え、と聞き返そうとした口元に、柔らかな感触が押し付けられた。目の前にカトレアの端正な顔立ちがある。ほのかにマナハーブの匂いがした。
 長い睫毛、黒い瞳、小さな鼻、白い肌。普段化粧などには気を遣わないチューリップでさえ羨むほどの美しさだった。
 そして薄い唇が、自分の唇と隙間なく密着している。一瞬で頭が真っ白になった。表通りの喧騒さえ耳に入らず、心臓の鼓動だけが鐘のように大きく響いている。
「ママ、あそこ」
「――あ、こらダメ。こっち来て」
 かろうじて母と子の声が聞こえたが、チューリップにそちらを気にする余裕は皆無だった。鼻先が触れるくらいに接近しているカトレアの香り、くっついている体と唇の柔らかさに頭がくらくらしている。
「――ぷあっ」
 唇が離れてようやく、呼吸を止めていたことに今更気がついた。
「行ったようです。危ないところでした」
「え、あ、ぅ」
 頬が熱い。頭が熱い。唇も熱い。体全体が熱い。喉がからからに乾いている。真夏の太陽に照らされているみたいに。
「チューリップさん、顔が赤いですよ」
「ふえっ? い、いやだってそのあの、さささささっきの」
「キスですか? 他の方法が思いつかなかったので」
 どうしてそう淡々としていられるんだ。チューリップは自分だけ火が出そうなほど赤面していることに恥ずかしくなった。
 唇を触れさせるのは愛情表現の一つであり、知識としては一応知っている。ただ、唇同士というのがあまりにも衝撃的すぎた。
「あくまで危険をやり過ごすためです。他意はありません」
 そう言われても気にするなという方が無理な話だった。
 キスは触れる位置によって意味が異なってくる。額なら祝福、頬なら親愛といった具合だ。その中でも唇は特別であり、性的な愛情を表す。
「すみません。そこまで動揺なさるとは思いませんでした」
 申し訳なさそうに目を伏せているカトレアに、チューリップはぱたぱたと手を振った。
「ううん、いいの! 全然大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから!」
 とは言いつつも心臓の鼓動は鳴り止まなかった。十六歳の自分でさえこうなのだから、なるほど子供には刺激が強いことだろう。
 カトレアが通信石を再び額へと接触させる。チューリップも慌ててそれにならう。
『返事をしてください! 返事を!』
「失礼しました。無事ですよ」
 ほっ、と安堵する呼吸音が脳内に響いた。マーガレットからすれば突然応答が消えたのだから心配するのも当然であった。
『ああ良かった。何事です?』
「いえ、少し……」
 ちらりと拳士を一瞥した戦器士は、すぐさま瞳を下に向ける。地面に置かれていた刀を拾い上げた。
「少し立て込んでしまって。今は問題ありません」
『それならいいのですが……チューリップ? 本当に大丈夫ですの?』
「うん、平気」
 心ここにあらずといった様子でチューリップは何とか答えた。その間も視線はすぐそばにいる黒髪少女の唇に吸い寄せられていて、ほとんど上の空であった。

Comment

No:61|
更新お疲れ様です

マーガレットの家庭が気になっていたので、今回知る事が出来て嬉しいです
チューリップでもあれほど人を嫌う事があるのですね(笑)

カトレアがチューリップにキスした場面は衝撃的でした
カトレア好きの私としては羨ましい限りで…
テンション上がります
もっともっと、やっちゃって下さい
しかし…危険をやり過ごす為とはいえ、平然とキスしちゃうカトレアは大物ですねww
ますます惚れます
カトレアは私のものです
チューリップには渡しません(笑)
No:62|Re: タイトルなし
>紅さん
コメント早っ! ありがとうございます。
リョナシーンを入れようと思ったのですがどうしても流れが不自然になってしまうので、こうなりました。
キスはもうちょっとエッチっぽくしたかったのですが、書いてる本人がめちゃ恥ずかしくなってきたのでこの辺りが限界でした。
紅さんどんだけカトレアが好きなんですか!
No:63|
リョナシーンがなくても十分楽しいですよ!
キスは私も読むのが恥ずかしかったです(笑)
まさかカトレアのキスが読めるとは思っていませんでした

カトレアめちゃくちゃ好きです。目の前に居たら告白しますよ!
命を懸けてでも守ってあげたいし、逆に守って欲しいです
『花びらたち』の世界に生まれたかったと何度考えた事か…
妄想が膨らみます
萌えます(*´Д`*)

…文面見る限り、私はただの変態ですやん(笑)

まぁ、それぐらいカトレア好きです
これからも応援し続けますよ
No:64|
久々の小説ですね 
次回の更新も楽しみにさせてもらいます
No:65|Re: タイトルなし
ほんと久々でした。
次はできるだけ間を置かず更新できるようがんばります。

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