スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

★ある日の望月星華

シャーさんのキャラクターである望月星華さんのSSを書きました。


 季節が夏へと移り変わる頃の夜。人があまり立ち入らないような路地裏で、この街ではあまり珍しくもない喧嘩が始まっていた。一分弱で決着はついていたが。
「そっちから吹っかけといてそんだけ?」
 馬鹿にするような口調は、若々しく力強い少女の声だった。
「くっそ……! つえぇ……!」
 不良というレッテルがこれ以上ないほどふさわしい風体の少年が、腕を押さえながらじりじり後ずさっている。
 一般常識を持つ人間であれば男女の喧嘩、しかも殴り合いなんてとんでもないと思うかもしれないが、ことに金髪の少女――望月星華にとっては日常茶飯事と言ってもいいくらいだった。
 彼女はまだ二十歳にもなっていないが抜群の格闘センスを持ち合わせており、その筋ではよく名を知られているストリートファイターであった。この街で一番強いといっても過言ではないだろう。
 対する同年代くらいの少年は体格も並で、知らない人間が一見した印象でもおそらく星華が強いと判断するだろう。
「ちくしょ! 女に負けるなんて……!」
「……はあ」
 星華は肩をすくめながら少年を眺める。確かに喧嘩慣れしているようだったが、体の作り方からして大したものではなかった。単純な力比べでもこちらが上回っている。
「あんたさ、分かったらもう家に帰りなよ。子供がふらふらしていい時間じゃないし」
「た、たいして年齢変わんねーだろ! くっそ、一発入れりゃ……!」
「じゃあ試してみ?」
「……あ?」
 悔しがる茶髪の少年に向けて、星華はほぼむき出しの腹部を向けた。目に見えて腹筋が割れているというわけではないが、健康的で適度に引き締まっていることが分かる。
「入れたいんでしょ一発。それとも打ち抜く自信ないの?」
「いちいちうっせーな! 後悔すんなよ!」
 すぐに逆上した少年は、なりふり構わず右拳を振るった。星華の健康的な色をした腹部の、狙ったのかどうかは分からないが中央にうまく命中した。
「づっ!」
 これは少年の呻き声である。ばち、という乾いた音は拳が腹に激突したものだったが、その拳は一ミリも受け入れられてはいなかった。彼女の腹筋に対し、逆に少年の拳が痛むという始末である。
「これで分かった? 腕力もだけどさ、打ち方とか全然下手くそなわけ。今のあんたじゃ無理無理」
「ううぅぅ! お、覚えてろよ! めっちゃ力つけてボッコボコにしてる!」
「あーはいはい。期待しないで待ってる」
 蚊でも追い払うように星華は手を振る。こうして喧嘩を売られるのはいつものことだ。強い女がいるという噂を聞きつけた、隣町だったりはたまた県外の人間だったり――そういう奴らが、わざわざ挑んでくるのである。全部返り討ちにしてしまうが。
「まあ、体は動かせたし」
 自分もそろそろ帰るか、と路地裏を抜けようとしたとき、ふと背後に気配を感じた。
「今日はお客さんが多いわね」
 振り向きながら睨むような視線を投げつける。しかし予想に反して、場違いな人物がそこにいた。眼鏡をかけた女性が暗がりから姿を現す。
「今の見てましたよ。いやぁ素晴らしいですね」
 二十歳半ばだろうか。白いブラウスに黒のタイトスカート。仕事帰りなのか。もう夜も遅いのに。
「あんた誰。つーか女の人がこんなところ一人で歩いてちゃ危ないでしょ」
「あらごめんなさい。えーっと、わたしはこういう者です」
 女性は行儀よくなにかを差し出してきた。携帯電話で照らしながら見ると、どうやら名刺らしい。名前は真坂正美、職業はあん摩マッサージ指圧師と書いてある。
「マッサージ屋さんが私に何の用?」
「それはもちろん、マッサージしに来ました」
「……は?」
「運動のアフターケアはとっても大事なんですよ。なので早速」
「あ、こらっ」
 なんの脈略もなく女性の手がするりと伸びてきて、腕を掴まれた。振りほどこうとしたが、ゆるく揉みほぐすような手つきに思わず躊躇する。
「どうですか? 気持ちいいでしょう」
「まあ、うん」
「筋肉っていうのは適度にほぐさないとダメなんです。疲労が続いちゃいますからね」
 そのくらい星華も承知しているが、マッサージが非常に気持ちよかったため何も言わなかった。腕だけだというのに体全体まで染み渡るような心地良さがある。
「気に入ってくれました? それじゃうちの店行きましょう。全身ほぐしてあげます」
 嬉しい誘いだったが、すぐに答えることはできなかった。彼女はこれを仕事にしているはずだし、自分はそのお客ということになる。
 星華の思案する表情を読み取ったか、真坂正美は笑みを深くした。
「お金はいりませんよ。その代わり、うちを宣伝してくれませんか? 最近人が来なくて困ってるんですよー。あなたはこの辺だと有名人ですし、店の名前を出してくれるだけでも効果あると思うんです。どうですか?」
「……なるほどね」
 この時点で星華は心の天秤を完全に傾けていた。集客に協力しようという以前に、全身をマッサージしてくれるというのがあまりにも魅力的だった。さぞ気持ちいいだろう。
「分かった。じゃあお願い」
「そうこなくっちゃ。ささ、うちの店はあっちですー」
 子供のような笑顔で真坂正美は星華の腕を引っ張っていく。年齢に似合わず、というのは失礼かもしれないが、無邪気な印象は少なからず好感が持てた。
 星華は彼女が経営する小さな店で、一時間近くかけてマッサージを受けた。肩、腕、腹、脚、余すところなく筋肉をほぐされている間は、ほとんど眠ってしまっていた――


 翌日。同じ場所でまた彼がやってきた。
「……マジでリベンジしにきたの?」
「ったりめーだろ! 負けたまんまで終われるか!」
 昨晩の少年である。額や頬に貼られた絆創膏に思わず吹き出してしまった。その心意気は大したものだが、実力の差は気合で埋まるものではない。
「はあ……いいけどさ。次は鼻血程度じゃ済まないかもよ?」
「う、うっせーな! 今度は俺の番だっつーの! 行くぞオラァ!」
 少し腰が引けているが突進してきた。負けたときの恐怖みたいなものがあるのだろうか。それでも戦おうとするのは嫌いじゃないけれど、馬鹿正直に突っ込んでくるのはなんとも。
 また何度も挑まれちゃ面倒だし、ここは一つ派手にカウンターをかまして――
「……ッ!」
 星華は一瞬表情を曇らせた。目の前に少年の拳が迫っている。それはとっくに把握していたし、避けてからのハイキックを茶髪の頭に叩き込んでやろうという展開まで即座にシミュレートまでしていた。
 なのに、体がうまく動いてくれない。
「ぐっ!」
 慌てて両腕を顔の前でクロスさせたのは、本能的なものだった。その動きだってキレがあまりよくない。なんとかガードが間に合ったけれど、少年の拳は腕にびりびりと痛みを残していた。
 なにか変だ。
 少年がスキルアップしたからとは思えない。一日で劇的に身体能力が向上するわけないし、なにより星華は彼の動きをしっかり見て捉え、反撃まで入れることができるはずだったのだ。
「へっ、どうしたんだよ」
 なにやら余裕の笑みを浮かべている少年に、イラッときた。
「調子に乗んな!」
 動揺を吹き飛ばすように声を張り上げると、びくりと少年が肩を震わせた。
 星華は有無を言わさず殴りかかる。絆創膏が張られた顔面めがけて左拳を構えると、少年は案の定両腕を上げた。
 思わずほくそ笑む。これはフェイントだ。かなりわざとらしく顔を狙ったのだが、少年はやはり経験不足。単なる喧嘩だけじゃこういった駆け引きはできまい。
「バカ、がら空きよ!」
 ガードを上げたことで少年の胴体は無防備。星華は遠慮なくその学生服のど真ん中に右拳を砲弾のごとく打ち放った。風を切る音さえ鳴り響くような猛打である。
「あっ……!?」
 格闘少女の表情は驚愕と戸惑いに支配された。手加減なんかするはずない。一撃で沈めようとしたはずのボディブローは、制服をわずかに歪ませただけだった。
「いってて……は、ははっ、その程度かよ」
「な、なんで?」
 ほとんどダメージがない……ワケが分からなかった。昨晩は少年を泣かせるほどの拳を打ち込んでやったというのに、それが全く通じないというのはおかしい。
 彼の体が強化されたのか? いやそれもあり得ない。体の線だって変わっていないし、肉体改造したとは思えなかった。
「こっちの番だ、おらっ!」
 お返しとばかりに少年が拳を放ってきた。何の小細工もない真正面からのボディブロー、というのが、予備動作に入った瞬間に把握できた。が、
――まただ。
 やはり自分の動作が鈍い。素早いステップを行おうとしているのに体がついてこないのだ。さらに先ほどの攻撃をガードしたせいか、両腕までもがうまく反応しない。
 避けられないと悟った星華は瞬時に別の判断を下す。ぐっ、と両足で地を踏みしめながら腹を固める。
 しかし、引き締まった腹筋が軋む音を彼女ははっきりと聞いた。
「ごぉっ……!?」
 思わぬ衝撃に目が見開かれた。呻き声と酸素が勝手に漏れて、上半身が前へと折れる。
「かっ、は……!」
 むき出しの腹部に埋まっているのは少年の拳だ。それが信じられない。星華は腹の中を圧迫されて呼吸を乱しながら、無残にもへこんでしまっている腹筋を凝視した。
「す、すげえ、マジで柔らけえ」
 なにやら不自然な発言だったが、星華はそんなことを気にしている余裕はなかった。
「けほっ! なんで、こんなの、けふっ……!」
 格闘少女は腹部を押さえながら咳き込む。普段であればまともな攻撃など受けることすらないし、たとえそのダメージが重かったとしても顔に表すなんて無様なことはしない。
 それが、ただ喧嘩が好きというド素人の少年に腹筋を破られるなんて。星華にとってその事実が、痛みより先に脳を曇らせた。自分の体に異変が起きていることに気付いていたが、どうしてこうなっているのかさっぱり理解できない。
「どうしたんだよ、おい。へへっ」
 ついにまともな攻撃を当てることができたためか、少年はやけに嬉しそうだった。そのニヤけた顔に星華は余計苛立ちを募らせる。
「こんの……!」
 腹部の鈍痛を無視し、なりふり構わず殴りかかる。相手の鼻を叩き潰さんとするストレートパンチ。今までに何人もの男を屠ってきた全力の拳だ。
「おっと」
 いとも簡単に避けられる。勢いあまって突き進んでしまう星華には、少年の膝が待ち受けていた。
「っ……! ぅぶっ!」
 腹部へとカウンター気味に決まり、少女の口から唾液が噴き出る。膝頭が臍へとめり込み、衝撃で再び体がくの字に折れた。
「うぐっ、ぅ、ぐうぅぅう……!」
 星華はもう苦痛を隠し通す余裕さえなかった。腹を抱えながらよろよろとたたらを踏み、なんとか立っている状態である。
「おらおら、休んでる場合かよ!」
 痛みに震えている星華の肩を掴み、少年は躊躇することなく彼女の頬を打ち抜く。
「ぶぁっ!?」
 視界がズレる。一瞬見えた少年の顔には、恍惚とした色が張り付いていた。自分より格上だったはずの星華を思うさま殴りつけていることが、彼にとっては最高に気持ちいいのだろう。
 殴られたことで脳が少し揺れたかもしれない。星華は目の焦点が定まらないまま壁に押し付けられた。さらに顔面を追撃しようとする拳が視界に映り、なんとか両腕で顔を庇う。
 フッ、と少年が小さく笑った気がする。しまった――気付いた瞬間、ぼぐっ、と腹筋が陥没した。
「ぐぶっ……!」
 また唾液が飛び出る。ガード上げたため無防備になってしまった腹部、露出した鳩尾に拳が突き刺さった。
「へっ、バーカ、がら空きじゃねえか」
「ぇ……ぇほっ……」
 星華の唇から唾液が流れ落ちる。背中が壁に密着しているためか、ボディブローの威力はほとんど腹部の中で炸裂した。腹筋が破られる痛み、さらに内臓が揺れる不快感が、渦巻くような嘔吐感を巻き起こす。
「ぅえっ、ぐっ……!」
 半分ほど食い込んだ拳を引き抜こうと少年の腕を掴んだが、やはりビクともしない。めいっぱい力を入れているのに。
 それどころか、さらに腹の奥まで沈み込もうとしてきた。
「ふっ、ぐぁ!?」
「うは、すげえ、まだめり込む……!」
 めりめりと拳が腹に食い込んでいく。腹筋を固め、どれだけ腕を引き剥がそうとしても無意味だった。そんなことはお構いなしに少年の拳は深く、まだまだ深く進入してくる。
「げうっ、ごほ、ぁっ!」
 柔らかくなってしまっている腹は異物を抵抗なく迎え入れていく。鳩尾にうまく着弾した拳は胃袋にまで届き、びくりと体を震わせた星華は嘔吐感が増すのを自覚した。
「あっ……ぁ……!?」
「おい見ろよ、へへ、全部入ったぞ」
 完全に埋没している。拳を包み込んでしまった自分の腹部を、星華は唾液をこぼしながら唖然と見下ろした。周囲の肌が着弾点に向かって吸い込まれている。
 小年は興奮したような笑みをたたえ、三百六十度を腹肉に包まれている拳をわずかに動かした。
「ぐぼっ、ぉ!?」
 胃袋がぐにゃりと形を変える感覚に、星華の顎が跳ね上がった。
「お前の胃あったけえな。ぴくぴくしてるぜ……」
 反応を楽しむかのようにして少年は胃袋を拳で動かし始めた。上、下、左、右。ぐりぐりともてあそぶ。
「むぐっ! ぅぅ、んぶ……!」
 激しい嘔吐感に星華は歯をぐっと食いしばっているが、固く結ばれている唇からは絶えず粘ついた唾液が溢れていた。殴られた痛みよりも吐きそうな不快感が体を支配している。
「おい、このまま腕を思いっきり回したらどうなるだろうな」
「んっ……!?」
 格闘少女は恐怖の色を瞳に宿してしまった。そんなことをされたら……きっと耐えられない。今必死で押しとどめようとしているものが決壊してしまう。
「なあ、一つ提案がある。お前が頷いてくれたらやめてやってもいい」
 少年は気持ちの悪い笑みをさらに深くする。
「俺の女にならねえか? お前顔は悪くないし、いい体してるしな」
 内臓の感触を楽しみながら彼は星華の体を眺める。
 舐めるような視線に、生理的な嫌悪感が込み上げた。胃袋をいたぶられてあふれ出しそうな吐き気が、さらに膨れ上がる。
「――ぷっ!」
 また唾液が飛ぶ。しかしそれは意志の表れだった。星華は朦朧とする中で、口内にたまった液体を少年の顔めがけて吐き捨てたのである。
「ぇほっ、お断りよ、この、童貞野郎……!」
 苦痛に苛まれても彼女の瞳はまだ力を保っていた。涙さえ滲んでいないのはさすがといえるだろう。素人相手に敗北を喫する目にあっても、まだ精神力は折れていなかった。
「……」
 頬に付着した唾液を拭った少年は、怒りを爆発させるかのように目を剥いた。
「ああ、そうかよぉ!」
 杭のように突き埋まっている腕が強引に回転する。へこんだ腹筋がねじれて、肌が千切れるような音をたてながら巻き込まれていく。
 拳が食い込んでいる胃袋も変な形にひしゃげた。腹の底から急速に熱いものが駆け上ってくる。
「うっ、ぐぼっ……!?」
 喉が蠢き、口内で水が泡立つような音とともに頬が膨らんだ。押さえる余裕もなく、すぐに壁が崩れ去る。
「ごぉえぇぇぇぇぇぇぇ! げへ、えっ、ごほっ……!」
 胃が雑巾のように絞られ、若干黄色く濁った胃液が溢れ出した。夕食が消化されていたのが幸いというべきか――だが実力で遥かに劣っているはずの男に吐かされるのは、星華の精神を打ち崩すのに十分な屈辱だった。
 めりこんだ拳へと吸い込まれるように、生肌がぎちぎちと音をたてながら螺旋を描いている。
「げへっ、ぇ、ごぼっ……! えぁっ……!」
「言うこと聞かねーから、そうなるんだぞ」
 興奮して息を荒くしている少年は、胃液が降りかかった腕をようやく引き抜いた。ぐにゃりと歪んでいる胃袋、腹膜、筋肉組織――それらがスローモーションのように修復を始めていく。
「げぶっ、ごふっ……! ぁはっ……!」
 星華は陥没が戻っていく腹を抱えながら両膝をついた。体内が蠢いている感覚に、またしても液体を吐き出す。粘ついたそれは舌と地面を結んだ。
 背中を丸めて痙攣を始める。金髪のサイドテールが、ぐいっと掴み上げられた。瞳を欲望の色に染め上げた少年の顔が目の前にある。
「従わないってんならそれでもいいぜ。無理矢理やっちまう方が楽しそうだからな!」
 この時初めて、星華は女としての危険が迫っていることをようやく自覚した。精神的にはガキだけど、こいつはれっきとした男なんだ。
「げほっ……! や、やめ……! んぐっ!」
 また頬を殴られる。これはもうファイトでもなければ喧嘩でもない。
 時刻は日付けが変わる直前。しかも人通りがほとんどない路地裏だ。たとえ自分たちの声が聞こえたとしても、通行人は気味悪がって近づかないか、聞こえないフリをするだろう。きっと誰も来ない――
「待ちなさい!」
 夜空に響き渡る力強い声に、星華は耳を疑った。女の子の声である。意識が朦朧として、幻聴まで聞こえてきたのか――いや違った。
「あ、あれ、誰だ?」
 少年は星華の髪を掴みつつ、なぜか視線を上に向けていた。つられるようにして目を泳がせる星華もまた、彼と同じく驚愕の色にとらえられる。
 電柱の上。月明かりでかろうじてその姿を視認できた。純白のトップスに赤色のスカートやツインテール。まるで漫画かアニメから飛び出したような。
「この木なんの木リンゴの木! 果汁系戦士、アップルハート!」
 その少女は高らかに宣言しながら、それこそヒーローめいたポーズを決めた。
 星華は腹部の猛烈な痛みに呻きながらも、突然の乱入者には目を白黒させた。あまりにも存在感が浮いている。自分の名が知られるようになって仲裁はむしろ少なくなってきたのだが、あんな女の子は初めてだ。
「そこまでよ! とうっ!」
 電柱の上から威勢よくジャンプする姿に思わず息を呑む。少女がこちらに向かって飛び降りてくることが分かった少年は、慌てて星華の髪を解放して後ずさった。
 アップルハートなる少女は難なく着地してみせる。星華の目の前、立ち塞がるようにして。
 そして少年にびしりと指を突きつけた。
「怪人め、姿を現しなさい! ネタは上がってるのよ!」
「え? なに? 俺?」
 謎の少女にワケの分からないことを言われて彼は戸惑っていた。星華にだって意味が分からない。カイジンってなんだろう。
 対してアップルハートは予断を許さない。
「なるほどしらばっくれるつもりね。でもあなたに逃げ場はないのよ」
 彼女はぱちんときれいに指を鳴らした。すると手品のごとく宙にリンゴが出現した。真っ赤に熟れた果実。
 星華はさらに目を疑う。ヘタ部分から火花が散っていたからである。まるで導火線のようだ、と彼女は思った。
「いい? 今から十かぞえるわ。その間にいさぎよく投降しなさい。さもなくばこの正義の爆弾が火を噴くことになる。さあいくわよ!」
 完全に赤髪少女の独壇場だ。しかも冗談などではなく本気であることを、星華は肌で感じ取った。
 少年は両手を振り乱しながら慌てふためく。
「い、いやいやいやちょっと待って意味わかんね――」
「いーち、じゅう!」
「えええええ!?」
「必殺! アップルダイナマーイト!」
 なんという無慈悲。アップルハートは問答無用で手にしていたリンゴ型爆弾を投げつけた。狙いは――少年ではなく、その背後だった。
 薄暗くてライトでもなければほとんど見えない路地裏の奥、リンゴが飛んでいく。そちらからおかしな悲鳴が聞こえてきた。
「ひゃああああ!?」
 女性の声である。同時に、風船が割れるような音が響いた。さっきの爆弾だろうか。
 倒れるようにしてリンゴを避けた少年の後方。薄暗がりの奥から、フラフラとした足取りで新たな人物が姿を現す。
「あっ、あんたは……!」
 星華は知っていた。昨日会ったあのマッサージ師……確か真坂正美といったか。彼女はリンゴの爆発をもろに受けたのか白いブラウスだけでなく肌まで真っ黒に汚れていた。可愛らしい破裂音に反してえらくダメージが大きい。
「ぐぬぬ、おのれアップルハート! どうして私がいると分かったの!」
「わたしの正義力センサーはいつどんなときでも悪の存在を感知するのよ。人間に化けていても無駄。あなたたち怪人特有の悪の匂いは滲み出ている!」
「な、ならば仕方ないわね。もうこの姿も不要!」
 マッサージ師はおもむろにブラウスを引っ掴むと、思い切り破り捨てる。痴女かと確信するほどの乱暴な行動だったが、衣服の下から現れたのは人間の体ではなかった。
 茎である。緑色。植物。星華は混乱する頭でなんとかその単語を掘り起こした。マッサージ師こと真坂正美はなるほど人間とはほど遠い、別の生物であることがはっきりと分かる。
 両手足も変化していく。それらは触手のような植物のツタであった。厳密には、変化というより元の姿に戻ったというのが正しいのだろう。
 眼鏡をかけた顔はバラのような花弁になった。体も一回り大きくなっている気がする。二足歩行のバラ。ツタは触手のように蠢いていて、あれに体をマッサージされたのだと思うと星華はまた吐き気を催した。
「出たわね怪人マッサージャー! マッサージといういかにも人の欲望を刺激する行為を利用し、みんなの体を思い通りに変化させる罪は重いわ!」
 パズルのピースがはまったように、星華は理解した。自分の体がやけに鈍く感じ、力もまるで発揮できなかったのはあいつのせいだ。
 もしかしたら、少年にそのことを教えたのかもしれない。あの女は昨夜の喧嘩を見ていたし、理由は分からないけれども、とにかく自分を敗北させようとしたのだ。
「アップルハート! 私がただ人間どもの体をいじり回していただけだと思うの? それは大きな間違い」
 ククク、とバラの化け物がほくそ笑んだ。どこから声を出しているんだろう。
「老若男女の体を触り続けた結果、私は人間の弱点を網羅することができたわ! そして果汁系戦士といっても所詮は人間。さあ私のマッサージテクでお前をいたぶって――い、いたぶっ、いたっいたたたたたっ」
 何事なのか、マッサージャーなる怪物は突然体をビクビクと震わせ始めた。赤いバラの花弁が次第に紫色へと変化していく。あまり鮮やかな色とはいえない。
 アップルハートが腰に手を当て、あまり豊かではない胸を誇らしげに張る。
「残念、あなたはもう終わりよ。さっき投げたのはただの爆弾じゃないわ。怪人の体をきれいさっぱり浄化する正義ワクチンが詰め込まれいたの。名づけてアップルワクチンダイナマイト!」
「な、なにそれ……」
 ひどいネーミングだ、と星華は腹部を押さえながらも思わず苦笑した。
 怪人の痙攣はより激しさを増していき、ついに地面へと倒れ伏してしまった。ワクチンとやらで浄化しているようにはとても見えない。
「な、なにが、正義ワクチンよ! そんなの、私たちからすれば、毒みたいな、ものじゃない!」
「じゃあアップルポイズンでいいわ!」
「じゃあって何! 毒リンゴってこと!? お前、そんなので、正義の味方を――」
「見苦しいわよマッサージャー! 観念して正義の鉄槌を受けなさい!」
 もはや会話さえ成り立っていない。赤髪の少女は倒れているマッサージャーの触手じみた腕をむんずと鷲掴み、ジャイアントスイングよろしく真上へと放り投げた。
 夜空に浮かび上がる巨大な植物。アップルハートは膝をバネのように伸縮させ、一気にに飛び上がる。常人では考えられないほどの跳躍力。
 宙でくるりと前転しつつ、オーバーニーソックスとショートブーツに包まれた右足を突き出した。なぜかスカートがめくれない。
「アップルキィィィィィィィック!」
 全身全霊を込めた、魂の叫びだった。その一撃に全てをかけているような。
 舞い上がったアップルハートの蹴りが、宙を泳ぐバラ怪人の体に叩き込まれた。女性とは思えない――女と言っていいものかどうか分からないけれども、とにかく怪人は変な呻き声をあげた。
 キックの爆発的なエネルギーは着弾しても衰えず、そのまま宇宙ロケットばりに上空へと打ち上がっていく。
「ガアアァッ! おのれアップルハートォォォォォ!」
 電柱よりも、周囲の建物よりも遥か上空へと怪人の声が遠ざかっていき――突如として爆発した。それこそダイナマイトが爆散したような騒音や熱と光に、星華は思わず顔を伏せた。
 空にもくもくとたちこめる爆煙を突き破って、赤いツインテールをなびかせながら少女が真っ逆さまに降下してくる。可愛らしいショートブーツが地面を鳴らすと、
「正義は勝つ!」
 とガッツポーズを決めた。
 星華は一部始終を目撃して、夢でも見ているのかと疑った。しかしいまだに鈍痛が残る腹部がそれを否定している。
「さあ次は……って、あれっ? 男の子気絶してる」
 いきなり爆弾を投げつけられたら失神しても仕方ない。たぶんその破裂した音が意識を失う引き金になったのだろう。爆心地は彼の真後ろだったからなおさらだ。
「あなた、大丈夫?」
 ツインテール少女が視線を向けてきた。この時初めて彼女の顔をまともに見たが、まだまだ幼い印象を残していたので驚いた。自分よりも確実に年下だろう、と星華は判断する。
「ぇほっ、これくらい、別に」
「ダメよ無理しちゃ。これを食べるといいわ」
 アップルハートはうずくまっている星華の背中を壁へと押し付けつつ、また指を鳴らす。するとまたリンゴが出現した。
「ひいっ!」
「あ、違う違う。爆発なんかしないから。これは傷を癒すアップルヒーリング。ちょっと待っててね」
 ほっ、という可愛らしいかけ声。彼女は手にしているリンゴに軽く手刀を打ち下ろした。すると真っ赤な果実が鮮やかに割れ、きれいに八等分された。
 手の平からこぼれ落ちそうになるリンゴにわたわたしつつも、一切れを差し出してくる。
「はい。これを食べれば痛みなんてどこか知らないところに飛んでいく――だから爆発なんかしないって。そんな怖い目しないで」
「い、いやでも」
「好き嫌いはいけないわ!」
「そういう問題じゃ――むぐっ?」
 口に無理矢理リンゴを押し込まれた。驚いたせいか、本能的な何かなのか、とにかく口に入ってしまった一切れを噛み砕いてしまう。
 それだけで深い甘みのある果汁が口内を満たした。おいしい。続けて何度も咀嚼してしまう。
 うんうん、とアップルハートは微笑む。
「どう? 楽になったでしょ?」
「え、あ、うん……」
 星華は素直に頷いた。舌にリンゴの味が広がると同時に、全身にもその水分が染み渡っていくようだった。腹部の痛みと嘔吐感が薄れていく。
「あの子のことは許してあげてね。怪人に洗脳されていただけだから」
「……は?」
 どういうことだそれは――星華は先ほどまで少年にいたぶられていたことを思い返し、苛立ちを募らせた。
 諭すようにアップルハートが言葉を続ける。
「かよわい女の子のお腹を思いっきり殴ってしかも嘔吐までさせちゃうなんて非道極まりないわ。そんな男として最低な行為、あんな純粋そうな男の子に無理矢理させるなんて、怪人たちは本当に許せない……!」
「いや、ちょっ、ちょっと待って」
 突っ込むところが多すぎる。純粋の定義がよく分からない。
「あいつは本気だったって! 目がマジだったし! それに私、ほんとはこんなに弱くなんか――」
「いいの! みなまで言わなくていいわ。男の子には負けたくないって気持ち、痛いほど分かる。そんな年頃だもんね」
「人を話聞けっつーの! それにあんたの方が年下でしょ!」
 思わず叫んでから、星華は体の痛みや重みが完全に消えうせていることに気付いた。改めて目の前にいる彼女がただの少女ではないことを思い知る。
 あの植物の怪物だってそうだ。テレビや映画でしか見ないような光景。アップルハートが戦い慣れていたのも気になる。
 女の子はどうのこうの、と熱弁しているアップルハートに問いかける。
「……ねえあんた、普段からこんなことやってんの?」
「そうよ。怪人は次から次へと現れる。人々の生活を守るため、わたしは日々戦い続けているの」
「や、やっぱり信じらんない……」
 まだ中学生くらいの女の子が、コスプレみたいな格好をして化け物と戦っている――どこの漫画の世界だ。
 微妙な表情を貼り付けた星華にアップルハートはくすりと笑う。
「信じられないのも無理ないわ。でもこれが真実で、みんなが知らないだけなの。ううん、知らない方がいい」
「じゃあ、あんたのこと知ってるの私だけ?」
「今はね。でも、ごめんなさい。わたしと怪人に関する記憶を、忘れてもらわなきゃいけないの」
「忘れられるわけないでしょこんなファンタジー世界……」
「だから、わたしの力でその記憶だけ消しちゃうね」
 優しく微笑みながらアップルハートが手をかざしてきた。慌ててその小さな手を押さえ込む。
「は? い、いや、ちょっと待ってよ。なんで?」
「怪人たちは狡猾で残忍なの。わたしのことを知っていたら、あなたを利用して卑怯な手を使ってくるかもしれない。だから――」
 その怪人どもが狙ってくる危険性があるということか。いや、そうじゃない。厳密にはアップルハートが危険なのだ。一般人である自分が例えば人質になったりすれば、彼女が追い詰められてしまう可能性がある。
 だからといって星華も黙って引き下がれない。
「そんなの返り討ちにしてやる! 本当は私、弱くなんかないんだって!」
「言ったでしょ、怪人に対抗できるのはわたし、果汁系戦士だけなの」
「やってみなきゃ分かんないでしょ!」
「お願いだから聞いて!」
「でもっ――」
 思わず口を閉ざしてしまう。アップルハートの表情は明るい笑みから一転して、悲しげな色を宿していた。どうしてそんな顔をする。
「あなたの気持ちは嬉しい。だけど、これだけは譲れないの。たとえどんなにあなたが強かったとしても」
 以前になにかあったのかもしれない。自分を守ろうとしている思いが溢れんばかりに伝わってくる。それは間違いない。
 しかしそれでも、納得いかないのだ。
「私たちを守るために、命かけて戦ってるってこと誰も知らないって、あんたそれでいいの?」
 おそらく今までにも似たような状況があっただろう。その度に彼女は関連した記憶を消し、なにも変わらない日常へと一般人を帰していった。当然その人間はアップルハートに助けられたことをきれいさっぱり忘れている。
 そんなの納得できるわけがない。まだ十代前半ばくらいの少女が身を削って戦い続けているなんていう真実。それに気付かないまま過ごすなんて、馬鹿げている。
 そんな星華の心情を知ってか知らずか、アップルハートはさっきまでのスマイルを咲かせた。人差し指を立てながら、
「ほら、ヒーローは孤独なものだから。誰かに褒められたいとか、そういう見返りなんて求めてないの。う~ん、これぞ正義の味方! ヒーローの醍醐味! ロンリーウルフ!」
 なにやら勝手にテンションが上がっているが、星華は別の意味で気が高まっている。
「待ってってば! そんなの絶対――おか、しい――あれ? なに、これ」
 言葉が途切れ途切れになってしまう。急に頭がぼーっとしてきたのだった。視界がわずかに左右へ揺れている。
 急激な眠気が襲ってきたのだ。なんだってこんなときに――星華はすぐに思い至った。
「あんた、さっきの、リンゴ……!」
「ごめんね。あなた、ちょっと頑固そうだったから。すぐに目が覚めるわ。そのときにはもう忘れてる」
 傷を癒すだけのリンゴではなかった。アップルヒーリング。記憶の傷まで消そうというのか。
 だが星華は、彼女との出会いを傷だなんて考えていない。
「ふざけないでよ……!」
 意識が薄れていく。ダメだ。眠っちゃいけない。星華は瞼が降りてこようとするのを必死で堪えた。目を閉じてしまえばきっと、彼女はいなくなってしまう。
「絶対……あんたのこと……ずっと戦ってるってこと、絶対に覚えててやるからね……!」
 忘れちゃいけない。忘れてたまるか。
 だって、寂しそうな目をしてる。表面上は柔らかく微笑んでいても、それが分かった。一人で人々を守り通すという意志に嘘偽りはないだろう。彼女は正真正銘の正義の味方なのだ。
 だけど、本当は欲しいんじゃないのか。共有できる仲間が。
「くっ……勝手にどっか行ったら、許さない、から……!」
 星華は暖かく包まれるような眠気に抵抗を続けたが、視界が狭くなっていくのをどうしても抑えられない。ほとんどぼやけてしまって、アップルハートの表情も読み取れない。
「ありがとう」
 彼女の小さな呟きを最後に、星華は深い眠りへと落ちた。


「……んぁ」
 ぴくっ、と頭を震わせて、望月星華は目を覚ました。
 薄暗い路地裏である。同じ歳くらいの少年にまた戦いを挑まれたはずだが――全然思い出せない。少年の姿も見えない。勝った記憶もないし負けた記憶もない。いや、負けるなんてことはあり得ないか。
「なんだろ、疲れてたのかな」
 とはいえこんな場所で居眠りなんていくらなんでも自衛心なさすぎだ。星華は頬をぴしゃりと叩いて立ち上がる。夢を見ていた気がするのだが、こういうのは大抵思い出せない。
「……帰ろ」
 大きなあくびをしながら路地裏を抜けていく。まだ寝ぼけていたのだろうか、大きな通りへと出るときに通行人と肩がぶつかってしまった。
「いてっ。ああん? おいこらなにしてくれてんだこらぁ」
 威圧的な言葉だがあまり声力のない男だった。年上。見た目はなんだかヤクザっぽいが、今時いないだろこんなの、という感じの風体だった。怖そうな印象を持たせようとしているだけの、適当に着飾っただけの大したことない男である。
 ため息をつく星華に、彼はにやりと気持ち悪い笑みを浮かべながら周囲を見回す。時間も時間なので通りは大きくても人通りはほとんどない。
「おいおい、この町はこんな時間に女が一人出歩くのが普通なん? へへへ、お嬢ちゃんこれからいいところに、ぶごお!?」
 間抜けな呻き声。男が手を伸ばしてくる前に、星華は彼の顔面に拳を叩き込んでいた。打撃音も痛々しく変な感触も伝わってきたし、ちょっとやりすぎたかもしれない。眠っていた割にはしっかりと力が入った。
「邪魔。通れないでしょ」
 鼻血を流しながら怯えたような声をあげている男を見下ろしつつ、星華は再び歩みを進めていく。
 ふと夜空を見上げると、見事な円を描いている月が視界に入った。かすかな風を頬に感じながら、星華は二度目のあくびをする。
 なんてことはない、いつもの夜だった。

Comment

コメントの投稿

Comment
管理者にだけ表示を許可する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。