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★未知との遭遇

 ここが地球か。
 太陽系よりも遠く離れた宇宙からやってきたファンケル星人、クレイは真上にある太陽を眩しそうに見上げた。
 地球人と同じ姿なのは、あらかじめそのように体の細胞構成を変えたからである。
「太陽がこんなに近いとは。すごいですね、お嬢さま」
 彼が振り向いた先には円盤型の物体が転がっている。それもかなりの大きさだ。
 その出入り口らしき部分から、お嬢さまと呼ばれた人物が顔だけひょこっと覗かせてきた。
「なに感心してんのあんた! 今の状況分かってんの? わたしたち墜落したのよ! つ、い、ら、く!」
 二人が搭乗していたこの飛行物体はところどころ煙が噴き出している。大きさはたいしたものだがあまり綺麗に手入れされておらず、元からガタがきていたとしか思えない。
「仕方ありませんよ。今時こんな円盤型のモデルを使っているなんてお嬢さまくらいのものです」
「誰のせいよ誰の! あんたが任務を成功させないからランクアップしないんでしょーが! 同期はもう遥か上に行ってるってのに……!」
「いやはや、現実は厳しいものですね」
「どの口が言ってんの! いいからさっさと指令された任務をクリアするわよ。まさかとは思うけど忘れてないでしょうね?」
「地球人を拉致すること、でしたよね?」
「そうよ。こんな辺境の星に住んでるヤツらなんてどうせたいしたことないからわたしが行ってもいいんだけど、あいにくこのポンコツを修理しなきゃいけないのよ。だからお願いね」
「はっ、承知いたしました」
 反論すると彼女の頭からも怒りの煙が噴き出しかねないので、クレイは即座に背中を向けて駆け出した。小高い山の中は荒れ果てていたが、苦もなく駆け下りていく。
 地球人を拉致する。それが二人に課せられた使命だった。
 どちらかというとなんの名誉にもならない任務なのだが、母星での社会的地位が低空飛行を続けているクレイたちにとっては昇進するためのまたとない機会である。
 ものの十数秒で人間が住んでいると思われる街を見下ろす地点まで下りてきた。目の前には整備された道路が横切っている。
「む、これは好都合」
 クレイは人間ではあり得ない視覚や聴覚を駆使し、右方向の先から地球人が歩いてくるのを感知した。
 ほぼ同時に、頭の中に主の声が響き渡る。ファンケル星人特有のテレパシーだ。
『ちょっと待ちなさいクレイ。あんたどうやって拉致るつもりなの?』
 本来であれば飛行物体に標準搭載されている、対象物を強制転送させる装置を使うのだが今はそれを頼りにできない。
 だがクレイはにやりと笑みをつくった。
「ご安心を。地球人については既に調べつくしております。田舎の星ゆえ十分な資料がなく時間がかかりましたが」
『あーっ! だーからあんた出発の日まで姿を見せなかったわけね! おかげでわたしがどんだけ雑務で苦労したと……!』
「申し訳ありませんが、そのお話はまた後ほど。雌型の人間を発見しました」
 クレイの並外れた視力は、この星の単位でいうところの百メートルほど先にいる少女を捉えた。数少ない資料で得た知識の海を探ったところ、どうやら彼女は日本人。
 肩より下まで伸びた真っ黒な髪や色白の肌、年齢は十代半ばだろう。一見地味っぽいが、この国で言えばカワイイとかいう部類に入るだろう。
 詳しく載っていなかった部分ではあるが、ジョシコーセーなる人種であるらしい。上半身は白い衣類に赤いリボン、下半身は紺色で妙にヒラヒラしたものを履いている。
 確かセーラー服とかいうファッションだったか。そこから伸びる両脚や露出している二の腕からして細身であることが窺えた。
『で、一人で勝手に調べてたあんたはどんな方法を思いついたのかしら?』
「私の視界とどうぞ同調なさってください。一部始終をご覧にいれましょう」
 自信満々で答えたクレイは車道の端へと降り立ち、こちらの方へ歩いてくるジョシコーセーを待った。

 すぐ目の前まで近づいてきたとき、クレイはいかにも困った風な表情を浮かべて声をかける。
「失礼、少しよろしいですか?」
「え、は、はい。どうぞ」
 少女はまず警戒したようだったが、クレイと視線を合わせると若干頬を染めながら微笑んだ。
 これも計算の内。『イケメン』なる顔や体格に変身しているクレイは小さくほくそ笑む。このジョシコーセーはおそらく男性に声をかけられるなんて経験はほとんどなかったろう。そんな雰囲気をしている。
 絶好のタイミングを彼は見逃さない。
「御免!」
 少女が咄嗟に反応できない速度でもって、クレイは右の拳を突き放った。
 狙いはがら空きの腹部。セーラーなる衣服の中央。殴られるなんて微塵も感じていないであろう少女は、抵抗なくそれを受け入れることになった。
「う゛っ……!?」
 常人では捉えることもできないボディブローは掬い上げるような軌道を描き、ジョシコーセーの腹へと突き埋まる。
 柔な肉を打つ音と共に、ぐちゃっ、とあまりにも異様な異音が少女の体内から木霊した。
「ぅぐっ……、げぼっ……、ぉ゛……!」
 両目がこれ以上ないほど見開かれ、口から熱い血液が迸った。その吐血量も尋常ではない。
 道路にぶちまけられた赤を見たクレイは動揺を隠せなかった。
「うわ、しまった……!」
 咄嗟に右腕を引くと、少女は糸が切れた人形のように力無く倒れこんだ。うつ伏せになった口元からはいまだにどろりとした血液が溢れ、円形に広がっていく。
『このバカ! バカタレ! なにしてんのあんた!? 殺してどーすんのよ!』
「い、いえ。スマートに気絶させるつもりが……」
 しかし地球人というのは予想していたよりもずっと脆い肉体をしているようだ。
 クレイ的には軽く小突いたつもりだったのだが、この少女の内臓器官はもちろん、心臓まで破裂させてしまったのだ。
『なーにがスマートよ。ていうかマジでどうすんの、殺したら宇宙問題になるでしょ!』
 その通り。いくら辺境とはいえ他の惑星の住人を殺害することは宇宙法律において重罪だ。
「い、いえ、バレれなければ犯罪にはなりませんよ」
『ふざけないで、こういうのは隠し通せるものじゃないの! あーもうしょうがないわね、ほら!』
 苛立ちの収まらない思念が一瞬止むと、直後にクレイの目の前――空中に錠剤のようなもの出現した。主人が何か転送してきたのである。
「お嬢さま、これは」
『蘇生薬。こういうときのために持っておいたのよ。その女の子に使いなさい』
「さすがはお嬢さま! 部下である私のためにサポートまで行うとは上司の鑑!」
『おちょくってんの!? いいから早く飲ませなさい!』
 青いカプセルを掴み取りつつ少女を抱き起こす。なんて軽く、細い体。
 肌がうっすらと白く変色し始めているジョシコーセーの口の中へと、強引に蘇生薬を押し込む。
 するとどうだ、少女の血色が瞬く間に健康そのものとなり、肌のツヤまで取り戻し始めた。クレイの耳には心臓の小さな鼓動も聞こえている。
 つい今しがたまで生命を停止させていた彼女は、やけに美形な男性に体を支えられているという状況に頬をそれこそ血みたいな色に変化させながら飛び起きた。
「ひあっ! あ、あの」
「ああ、大丈夫ですか? あなたは突然倒れてしまったのですよ。いや、今日は陽射しが強いですからね、はっはっは」
 地面に付着している血液に気付かれないよう、クレイはできるだけ少女との間合いを狭くした。
「はわ、あ、ありがとう、ございます! わ、わわわ私、急いでますから!」
 異性に慣れていないことは明白だった。彼女は鞄を拾い上げつつ、途中で転びそうになりながらもダッシュで車道を駆け下りていく。
 これはこれで結果オーライか。
「危ない危ない。一時はどうなることかと」
『他人事みたいに言ってんじゃないわよ。もう少しであんた宇宙犯罪者になって賞金かけられるところだったんだからね。感謝しなさい』
「はっ、お嬢さまには頭が上がりません」
『まったく……ちゃんと力を抑えなさいよ。蘇生薬はもうないんだから』
 怒りよりも、心底呆れているといった思念が飛んできた。さすがのクレイも己の不甲斐なさを生まれて初めてようやく自覚し、主人のために決意を新たにする。

「む、お嬢さま、向こうからまた人間の女がやってきます」
『クレイ、あんたの肉体組織を地球人レベルまで落としなさい。それならさすがに殺すことはないでしょ?』
「ごもっともですが、お嬢さま、私を信用なさっていませんね?」
『どの口が言ってんのよ! いいから言う通りにしなさい! 次失敗したら減給するからね!』
「ははっ、お任せあれ!」
 己の胸を叩いて決意を示す。これ以上給料を減らされては死活問題なのだ。主人に隠れて飼っているペットを食わせていけなくなってしまう。
 しばし目を閉じてイメージする。あらかじめ調査しておいた、地球人という生物の生態を思い出し、筋肉や身体能力を一般人の基準に調整していく。
 なんとなく体が重くなっていく気がする――人間は常にこんな状態で生活しているのか。
 調整を済ませた彼は目を開く。燃えたぎるような視線を近づいてくる女へと移した。
 先ほどのジョシコーセーよりも年齢は少し上だろう。黒い長髪。白いブラウスに黒のタイトスカート、ストッキングにパンプス。オーエルとか呼ばれているんだったか。
 あれはカワイイというのではなく、ビジンと言われる類だろう。目つきや歩き方からしてどこかキツそうな雰囲気をかもし出している。
 背は特別高いわけではないが脚が長くスタイルがいい。胸はあまり目立っていないけれども。
 その女性が持つ性格に合わせて、腰を低くしながら尋ねた。
「す、すみません。道をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
 見た目通り尖った口調だが、透明感のある声だったため不快には感じられない。
 しかしジョシコーセーのように純粋ではないらしく、若干身構えている。
 クレイはあらかじめ用意していた質問内容を口にする。
「ここから一番近いガソリンスタンドはどこにありますか?」
「ええと、あっちに――」
 女性が歩いてきた方角へと指差しながら視線を動かした瞬間、クレイは握り締めていた拳を打ち放った。
「御免!」
 しかし。
 クレイの視界にはなぜか薄く青い空が広がっていた。次いで背中に激痛と衝撃。
「いっ! ……は?」
『ちょっとクレイ! 大丈夫!?』
 ワケが分からずにクレイは呆然となった。主人に返答できないほど。自分は今背中を地面に密着させている……倒された?
「女にいきなり殴りかかるなんて、最低ね」
 女性の鋭い眼光が見下ろしてくる。
 彼女の鳩尾に打ち込まれるはずだった拳は、その手首を小さな手で力強く掴み取られていた。クレイの脳内データベースが高速でページをめくる。
――セオイナゲ。攻撃を逆に利用されてしまったのだ。
 なんという反応。今はこちらも人間レベルにまで身体能力を落としているとはいえ、一応は一般男性の基準値だ。
 それなのにこの女は。
「何者……!」
「それはこっちのセリフよ。これが見えない?」
 彼女はクレイの手首を離さないまま、片方の手で胸ポケットから手帳を取り出した。真っ黒な生地の前面になにやら文字が書かれている。
 ぎくり、とクレイの鼓動が跳ねた。
「なっ、まさかケーサツカンか!」
 なんということだ、この地球における守護者の名称ではないか。不運にも程がある。ばったり出会った人物がよりにもよって。
 なるほどオーエルに変装していたというわけか。侮りがたし。
「むむ……!」
 クレイはなんとか手を振りほどきつつ、痛みによろめきながらも立ち上がった。
「あら、あれだけ思いっきり背中を打ちつけてたのに。体だけは丈夫なのね」
「いえそれほどでも。いやはや、人違いでした。すみません」
「見苦しすぎるでしょその言い訳。一体誰と間違えれば人のお腹殴るのよ」
 確かに。クレイは苦い顔を浮かべて新しい言い訳を探した。
「あとさ、それ、血だよね」
「は? あっー! しまった!」
 迂闊すぎた。先ほどのジョシコーセーの吐血をまだ処理していなかったのだ。
 傍目から見れば何かしらここで殺傷があったのだと気付くだろう。なにしろこの女はケーサツカン。
「あなた何か知ってるわね。詳しく聞きましょうか」
 そういうわけにはいかない。ここで捕まってしまっては減給どころの話ではないだろう。クレイは咄嗟に両拳を構えた。
 ふっ、と女が微笑む。
「やる気? さっきあっさり投げられたくせに。もっと痛い目みないとダメかな」
 彼女は慣れたようなファイティングポーズを取った。格下の相手だと確信しているのか、馬鹿にしたような笑みで見返してくる。
『大丈夫なの? その女、ヤバイ存在なんでしょ』
「ええ、しかしケーサツカンに目をつけられた以上逃げるのは困難なのです! なんとか撃退しなくては……!」
「誰と話してるのよ。それに撃退されるはあなたの方!」
 女は表情を真剣な色に変えると、即座に殴りかかってくる。今や一般人の反射神経にレベルを落としこんでいるクレイには、そのパンチがあまりにも速く見えた。
「ひいっ!」
 情けない悲鳴をあげつつギリギリのところで避ける。運が良かった。ここぞとばかり彼は――脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ、こら待ちなさい!」
 当然地球の守護者は追いかけてくる。
『結局逃げるんじゃないの! こっちに連れてこないでよ!』
「違います! 今、別のデータを探しているところで! 一度テレパシー切りますよ!」
 一般男性の能力では太刀打ちできないと判断し、クレイは脳内地球人データーベースに検索をかける。ケーサツカンに対抗できそうなものはないか。
 再び山の中へと入り込んだが、女の追跡は全く衰えない。あいにくとケーサツカンのデータは不足していてそれを肉体に宿すことはできない。どうする。
「いでっ!」
 検索しながらの逃走はやはり無理があったか。クレイはわずかな土の盛り上がりに足を引っ掛け、無様に転倒してしまった。
 すぐ背後で足音が停止。
「はあ、はあ……ほら、起きなさい」
 腕を引っ張りあげられる。されるがまま、クレイはよろめきながら立ち上がった――瞬間、即座に体ごと女へと振り向く。
 ズン、と重い音が木々の間を駆け抜けた。
「……ぁっ」
 女は何が起きたのかすぐに理解できなかっただろう。目の前の男が突如として機敏な動きで反応したかと思うと、自分の体を鈍い衝撃が貫いたのだ。
 くの字に折れ曲がっている女。彼女の腹部を、クレイは拳で容赦なく突き上げていた。
「かっ……はっ……!?」
 次第に開かれていく両目と薄い唇。勝てると分かっていて油断していたのか、それともクレイのボディアッパーの威力が予想を遥かに超えていたせいか。
 とにかく、この一撃は女の戦意を半分以上奪っていた。
「よし!」
 勝利を確信したクレイは拳を引き抜いた。げほっ、と大きく咳き込んだ女は腹を抱えてよろよろと後ずさる。
 なんとかデータのインストールが間に合った。この地球における様々な戦闘属性の要素を検索し続けたところ、『ボクサー』というものに辿りついたのだ。
 このボクサーなるもののパンチ力は一般人を遥かに凌駕しているが、それでも地球人レベルの許容範囲内である。たとえ本気の一撃でも殺害してしまうことはないと見た。
 これはある意味で一石二鳥だ。元の力では人間をあっさり殺してしまったが、これならきっとこの女が気絶、そして拉致できる――
「けほっ、い、一発、入ったくらい、ぇほっ……!」
「なっ、なんだと……」
 息を呑む。ボクサーパンチをボディに受けて、ケーサツカンの女は倒れていなかった。
 腹部を押さえ、内股の両脚が小刻みに震えているものの、敵意に満ちた眼差しが死んでいない。さすが地球の守護者。
「むむ、仕方がない!」
 それならば気を失うまでやるしかない。実際のところ女は反撃する体力さえ失っているだろうから、たたみかけるなら今だ。
 再び戦闘体勢に入ろうとした女の右腕を掴み上げ、体前面をがら空きにさせる。
 さっきの一撃は威力を抑えすぎたのだ。失神させるなら、もっと強く――クレイは右のボディブローを打ち込んだ。
「ぇうっ……!」
 白いブラウスの中心に拳が着弾する。しかし腹筋を固めていたのか、思いのほか沈み込まなかった。
 すでに致命的な一撃を貰っているはずなのに、まだ抵抗する力があるとは。
「ぬうう、ならば!」
 クレイは狙いを変更し、彼女の左脇腹へと拳をフック気味に叩き込む。
「げおぉっ!?」
 想定外の痛みだったらしく、変な声が漏れた。
 女の体が前ではなく横へとくの字に曲がり、クレイの拳には肝臓を抉る感触が伝わる。
「げっ、ぇほっ……がっ……!」
 だが女の足は震えながらもまだその体を支える力を失っていない。しぶとすぎる。
 なかなか思い通りに事が進まず、苛立ちが募っていく。
「ええい、一体どこを殴れば気絶するんだ! ここか!」
 次に狙ったのは臍がある位置のやや下、子宮と呼ばれる器官。振り下ろすような拳を突きこむ。
「ああうぅぅうぅ!」
 びくん、と女が喉を晒しながら仰け反る。痛みとはまた違う色の呻きと反応だ。
 奥で何かがぴくぴく動いている。気を失わせるどころか何かしら刺激を与えてしまったらしい。
「ち、違った。こっちか!」
 続いて鳩尾。焦りを感じ始めたクレイの拳が、胸の下、くぼんだ急所へと抉りこまれる。
「ぐぷっ……! ぉ゛あ゛っ、ぁあ゛……!」
 より深く女の引き締まった肢体が折れ曲がった。紫に変色した唇から唾液が散り、次いで小さな舌が突き出される。
 腹肉の内側で、柔らかい物体を歪ませる感触が返ってきた。胃袋か。
 きっとこれだ。もっと強い打撃を与えてやれば今度こそ気絶する。
 はっ、とクレイは気付く。引き抜いた拳が震えていた。もしかしたら恐怖を感じ始めているのかもしれない。ケーサツカンという恐るべき存在に。
「うおおおおおおおおおおお!」
 その弱気な感情を吹き飛ばすように叫びながら、最大限の力を込めて再度鳩尾を突き上げる。
「ごっ……!?」
 度重なる打撃で柔らかくなってしまった女の腹筋が、ぼぐっ、と陥没した。
 固く握り締められた拳がブラウスを巻き込み、腹肉と腹膜を突き抜け、内臓器官の中へと沈み込む。
「ぁ゛はっ……! げぼっ……!」
 またしても胃袋を抉られた女の口から粘ついた液体が漏れ出す。
 飛び出した舌をつたって地面へとぱたぱたと垂れ落ちていくそれは、少し黄色がかっていた。
 もう両脚から力が抜けているが、クレイが拳で支えているため崩れ落ちない。
 目の焦点が合わなくなってきた女はしかし、まだ意識がある。どういうことだ、得た知識に間違いはないはず。
「ぬううう! まだまだああああ!」
 女を抱きかかえるようにしながら、拳を強引に腹の奥へと突き進めた。
 陥没した腹筋に抵抗力はほとんどなく、まるで受け入れるかのようにクレイの拳を飲み込んでいく。
「ぐぅぶっ……! ぇぼっ、げぉおぁぁっ……!」
 あの透明感のある声は、今や苦痛で濁りきっていた。母星でも聞いたことのないような醜い呻き声と、粘液が溢れ続けている。
 やがて柔らかな胃袋は体内の奥深く、背骨にまで達した。
「これでどうだああああああああ!」
 拳と背骨に挟まれて苦しげに蠢くその小さな胃を、クレイは腕全体でひねり上げた。途端に様々な音が彼の鼓膜を叩いていく。
 ブラウスのボタンが弾け飛ぶ。肌と肉がこすれ、ねじれる。
 肋骨が軋む。肝臓が巻き込まれる。潰された胃袋がさらによじれる。
「むぐっ……! んっ! ぉぶっ……! ~~~~~~!」
 瀕死の小動物みたいな呻き声。見開かれる両目。大きく脈動する喉元から、ごぽっ、とくぐぐもった水音。
 女の青ざめた表情が一瞬だけ停止して。
「ぉえええぇえぇぇぇぇぇ! ぇ゛ふっ、げえ゛っ……!」
 突然、ぐっちゃりした白っぽいものを彼女が嘔吐し始めた。
「ひいっ!? な、なんだこれは!」
 小さく悲鳴をあげたクレイは、大きく動揺して思わず拳を引き抜いた。
 支えを失った女はヘコんだブラウスの中心をかばうように抱えて、どさりと両膝をつく。
「ぐふっ、うぇほっ、ぐえ、え゛え゛ぇぇぇぇぇ……!」
 うずくまった後も嘔吐は続いた。胃に入っていたものが飛び出したのだろうか、びちゃびちゃと土に吐瀉物が広がり、異臭が漂い始める。
 断続的に痙攣している女を見下ろしながら、クレイは青ざめた。食べ物がこんなに溶けてしまうなんて、もしや地球人の胃袋はなんでも消化してしまうのか?
 ならば今吐き出しているのは――
「さ、酸だ……! 酸だあああああああ!」
 女に背中を向けて、脇目も振らずに走り出す。逃げ出したと言った方が的確だ。足をもつれさせながらも木々の間を駆け抜けていく。
 無意識のうちに地球人のデータを消去して、元の自分の身体能力へと戻していたようだ。数秒のうちに彼は主人が待つ艦の墜落地点へと辿りついた。
「あっ、クレイ! テレパシーを受信拒否するなんてどういうつもり――」
「お、おじょ、お嬢さま! 修理は終わっているのですか!?」
「はあ? ああ、まあね。あんたがもたもたしている間にちゃちゃっと」
「でしたら一刻も早くこの星から脱出しましょう! ここは危険です! 地球人は危険すぎます!」
 主人の腕を掴んで飛行物体に乗り込む。制止の言葉を聞いている暇さえ惜しい。各システムのチェックをすっ飛ばして、クレイは艦を発進させた。
 離陸した直後、猛スピードで空の彼方へと飛び上がっていく。
「任務はどーすんの! 手ぶらで帰ったら今度こそわたしたち最低ランクに落とされるわよ!」
「そんなこと言っている場合では――あ、そ、そうか。そうだったのか……!」
 わなわなとクレイの唇が震える。思えば地球とかいうド田舎の惑星の住人をなぜ拉致しなければならないのか、彼にはずっと疑問だった。
 分かった。これはファンケル星政府の陰謀なのだ!
「上層部はおそらく、私たちを事故に見せかけて抹殺するつもりなのです! でなければこんな危険極まりない生物が住む星に送りつけませんよ!」
「あんたね……映画の見すぎよ、それかマンガの読みすぎ!」
 呆れかえっている主人の言葉に、クレイの耳がぴくりと反応する。
「お、お嬢さま、マンガをご存知で?」
「あんなに面白いもの、わたしが知らないとでも? でもアレはフィクションなのよ。空想。作り話。だから陰謀とかいうのも考えすぎ。つーかあんたどこで読んだの」
「いえ、この地球もそのマンガなるものが有名なので、敵を知るために」
「あらそうなの? こんなところにもマンガって存在するのね。さすがマンガは伊達じゃない――ちょっとあんた、まさか、ここ調査するときに」
「ええ、地球に関する書物が皆無といってよかったので、マンガなるものを取り寄せて……」
 ごくり、とクレイは唾を飲み込んで一呼吸置いた。窓の外では宇宙空間の星々が次々と横へ流れていく。
 見る見るうちに主人の表情が、目をそらしたくなるほど険しく変化していった。
「お嬢さま、腹を殴ると気絶するというのは……」
「この……! フィクションに決まってるでしょバカタレー!」
 主人の怒声が響き渡り、艦の外壁から黒い煙が噴き出した。

Comment

No:89|コッソリ
お疲れ様です
黒葉さんの作品を楽しみにしている私としては嬉しい限り。
いきなり現地の地球人をやっちまったときはうお、と思ってしまいました(笑)
やはりけーさつかんとはいえ腹を何発も抉られてしまえばただの女よのぉ。
蘇生薬…自分もほしいですわい。
No:90|
>星野さん
今、生活環境があまり整っていないため、精神的にも書くのがちょーっとしんどかったんです。
しばらくこんな状態が続くと思われます……すみません……
ちょこちょこと書いていきたいんですけどね~。

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